こんにちは。

今年も残すところ、あと十日余りですね。


18日、納めの観音の日になるということで六角堂にお参りに行きました。
毎月18日は観音様の縁日ですが、数霊で18は十(神)八(開く)の意味があり、また(3+6+9)又は(6+6+6)又は(5+6+7)=18でミロクの意味もあります。

六角堂は通称で地元の人から六角さんと呼ばれていますが正式名称は紫雲山頂法寺と号し、西国三十三所観音霊場の十八番札所として信仰されています。


 


山門

紫雲山頂法寺(六角堂)
京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248 
開基 聖徳太子
創建 587年
本尊 如意輪観音菩薩

 【紫雲山頂法寺(しうんざんちょうほうじ)と号する寺で、本堂が六角宝形造(ほうぎょうづくり)であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。  開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国33箇所観音霊場(現18番札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。  本堂には、聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。本堂前の六角形の礎石はへそ石といい、古来、京都の中心に当たるとされてきた。 また、本堂北の本坊は池坊(いけのぼう)と呼ばれ、室町時代以降、多くのいけ花の名手を輩出した所で、華道発祥の地として有名である。現在も池坊華道の拠点となっている。 】
 



拝堂

本堂は 明治10年(1877)の再建で拝堂が付属しています。

本堂を真上からみた屋根の形は六角形です。
六角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のことで、これらを捨て去って角を無くし、円満になること、すなわち「六根清浄を願う」という祈りを込めた形と伝えられています。 
聖徳太子の持仏と伝える本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などが安置されています。




聖徳太子沐浴の池跡

本堂の北側に、聖徳太子が身を清めたと伝えられる池の跡があります。如意輪観音像を念持仏としていた聖徳太子が、四天王寺建立の材木を求め京都を訪れました。太子が池で身を清めるときに、念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したといわれています。 
現代に人工池として蘇り、白鳥や鯉が泳いでいます。

池のほとりに、小野妹子を始祖とする僧侶の住坊があり、池坊と呼ばれるようになりました。代々六角堂の住職を務める池坊は、仏前に花を供える中で様々な工夫を加え、室町時代のいけばな成立に至りいけばな発祥の地といわれています。




太子堂

境内北東の池の隅に浮かんでいる建物は太子堂と呼ばれ、六角堂を創建した聖徳太子を祀っています。またの名を開山堂ともいいます。平安時代以降、六角堂を一つの拠点として京都に太子信仰が広まっていきました 。




まだ残っている紅葉がありました🍁




十六羅漢

羅漢とは、仏の教えを護り伝えることのできる優れた僧侶の名前です。十六は、方位の四方八方を倍にした数で、あらゆる場所に羅漢がいることを意味しています。 




親鸞堂

 親鸞が鎌倉時代の初め、建仁元年(1201)六角堂に参籠し、浄土真宗を開くきっかけを得たことにちなみ、親鸞の像を二体安置しています。 




唐崎社

唐崎社は、六角堂の鎮守です。御祭神の唐崎明神は、唐崎の松で有名な琵琶湖畔の唐崎神社の神様で、比叡山延暦寺とも深い関係があります。明星天神とも称していました。祇園社と天満宮の神様が合祀されています。 
唐崎明神は老翁の姿で私見では金星から飛来したとされるサナート・クマラ魔王尊と同体とみています。




縁結びの柳

平安時代初期、妃になる女性を探していた嵯峨天皇の夢枕に六角堂の如意輪観音が現れ、「六角堂の柳の下を見てみなさい」とお告げがあり人を遣わしてみると、柳の下には一人の美しい女性が立っており、天皇はただちに妃として迎えました。
この話から六角堂の柳に願えば良縁が得られると噂が広がり縁結びの柳といわれています。




へそ石

中央にまるい穴があいた六角形の石をへそになぞらえて「へそ石」と呼ばれています 。六角堂がかつて京都の中心であったことから体の中心のへそになぞらえたものです。門前の六角通りにあったものを、明治時代初期に門内へ移したものといわれています。


境内には他にもわらべ地蔵や一言願い地蔵、石不動、鐘楼などがあります。


先月は聖徳太子創建の四天王寺に参拝しましたがその流れもありまたこの所、観音について思う所がありました。

中世の神仏習合説では如意輪観音は月読尊の本地の姿とみなされていたようです。
創建当初の六角堂は現在とまた違った姿だった可能性も考えられます。

六角堂はビルに囲まれたオフィス街の中にありサラリーマンや観光客など多くの人が訪れますが、いつもお参りするとやはり落ち着ける空間です。
また折りを見つけてお参りしたいと思います。


ご覧頂きありがとうございました✨