ウォーク更家の散歩(東海道・中山道など五街道踏破、首都圏散策)

バスで行く「奥の細道」(その25)  ( 「酒田」: 山形県酒田市)    2018.7.11


(写真は、酒田・山居倉庫の吉永小百合)  

我々の「奥の細道」バス旅行は、秋田県の象潟町を出た後、
バスで2時間余りで山形県の酒田市に入り、明治26年に建て
られた「山居(さんきょ)倉庫」に向かいます。

酒田市は、かつて北前船による交易で栄え、また、米の

積出港として賑わいました。

冒頭の写真は、JR東日本「大人の休日倶楽部」CM の
「酒田・山居倉庫の吉永小百合」です。

「山居(さんきょ)倉庫」は、1983年に放送されたNHK
ドラマ「おしん」、2013年の映画「おしん」のロケ地
として一躍有名になりました。



山居倉庫は、 美しい外観を兼ね備え、18万俵もの膨大な米
を収納したという12棟の米保管倉庫で、米どころ「酒田」
の繁栄を今に伝えています。

また、内部の湿気防止には二重屋根にするなど、自然を利用
した低温倉庫として、現在も現役の農業倉庫です。

更に、夏の高温防止と、冬の風雪から倉庫を守るために、
背後に樹齢150年のケヤキ並木を配しています。

我々も、日本海からの強風と、夏の暑い日差しから倉庫を

守るために植えられたというケヤキ並木の下を散策します。




上の写真は、建設当時から敷地内に鎮座しているという

「三居稲荷神社」です。

倉庫の敷地内には、大量の米の輸送に活躍したといわれる
「小鵜飼船(こうがいふね)」が復元して展示されています。

川幅の狭い場所や急流が多い最上川の水運に対応できるよう、
スリムなボディをしています。


そして、倉庫群のすぐ前が、小鵜飼船が乗り入れる石畳の

造りの船着き場になっています。






上の写真は、倉庫の1号棟を使って作られた「庄内米歴史
資料館」で、館内では、「おしん」の人形が出迎えて
くれます。



我々のツアーは、山居倉庫を出て、酒田市内を散策します。










前頁と上の合計4枚の写真は、「本間家旧本邸」で、

幕府の巡見使一行を迎える宿舎として、「本間家」が

1768年に新築し、そのまま「庄内藩」に献上しました。

「庄内藩」と言えば、意外と知られていませんが、戊辰戦争
では、新政府軍を相手に連戦連勝、負けなしの戦いを続け
ました。

しかし、”会津藩討伐の赦免”を目的に戦っていた「庄内藩」
は、会津藩が先に降伏してしまったために、戦う意味が
なくなり、負け知らずのまま降伏します。

新政府軍が出した降伏の条件は、城の明け渡し、家老の切腹、
更に、福島・磐城平への転封(国替え)でした。

このとき、庄内藩に同情的だった西郷隆盛は、何と!、
既に戊辰戦争で戦死していた家老への切腹を命じます!

う~ん、西郷の人柄を表す奇策ですね~。

更に、西郷の裏からの努力により、明治政府への70万両
(現在の数百億円)の献金を条件に、新政府軍は転封を中止
することを決定します。

しかし、庄内藩は、70万両のうち30万両しか工面出来
ませんでした・・・

このとき、「本間家」が中心になって残りの40万両を工面、
庄内藩は転封を免れました!

江戸時代には、「本間様には及びもないが、せめてなりたや
殿様に」と言われましたが、上記は、正に、本間家と庄内藩
藩主の力関係を表している逸話なのでしょうね。


本間家旧本邸を出て、酒田市内の散策を続けます。


 

上の写真は、酒田を代表する廻船問屋の「鐙屋(あぶみや)」
で、井原西鶴の「日本永代蔵」にも紹介されました。
(国の史跡)

屋敷は、石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りとなっており、
内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、板の間が
並んでいます。

また、鐙屋は酒田三十六人衆の筆頭格として町年寄役を勤め、
町政に重要な役割を果たしました。

ん?、鐙屋の入口にも、おしんが立っています!


上の写真は、「不玉(ふぎょく)宅跡で、芭蕉が、酒田

滞在中に9泊もした邸宅の跡です。

象潟から戻った芭蕉は、不玉宅で、不玉と句を詠み、芭蕉は、

”温海(あつみ)山や 吹浦(ふくうら)かけて 夕涼み”と

発句を詠み、不玉は、

”みるかる礒(いそ)に たたむ帆莚(ほむしろ)”と、

返句しています。

(折からの暑さに縁のある名の「あつみ山」が彼方に見え、
暑気を吹き払うという名の「吹浦」も見渡され、この眺望を
見渡しながらの夕涼みは気持ちのよいことよ。 芭蕉)

 

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我々のバス旅行は、酒田市内を抜けて、市の外れの「日和山
公園」へ向かいます。

写真の「日和山公園」は、酒田港や最上川河口を一望できる
小高い丘にある歴史公園です。

写真は、「芭蕉像」と「芭蕉句碑」です。

(温海山や 吹うらかけて ゆふ涼み 芭蕉)

六角灯台や常夜灯等の文化遺産が点在し、酒田を訪れた文人

の句碑が並ぶ「文学の散歩道」があります。

上の写真は、「河村瑞賢庫跡」で、酒田港より幕府直轄地
(天領)の御城米を江戸に直送することを河村瑞賢に
命じました。
庫跡は、上部から見ると”米”の字になってます。

上の銅像の瑞賢は、1672年、この日和山に堀や土壘を

築いて御城米置場を完成させました。

前頁の写真は、明治28年に建てられた、木造灯台として
残っている最古の「木造六角灯台」です。

上の写真は、「常夜灯」で、1813年、酒田に寄港する北国
廻船の航海安全を祈願して建てられました。

上の写真は、「千石船(北前船)」で、庄内米を酒田港から
江戸に回漕するために活躍した千石船を実物の二分の一に
縮尺して再現したものです。


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コメント一覧

ウォーク更家
ブラタモリの酒田
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
おしんも、もう相当昔に見たので、背景となった酒田のシーンはよく思い出せません・・・

そうですか、ブラタモリの酒田は見落としたので残念です。

ええ、本間家住宅や倉庫群は、他では見られない独特な雰囲気です。

そうですよね、東北は、私にとっても遠いので、この様な特別なバス旅行でもないと、来る機会も少ないです。
こもよみこもち
こんばんは。
https://blogs.yahoo.co.jp/ya3249
おしんの舞台がここでしたか。

酒田といえば先日、ブラタモリで「勉強」しました。
北前船が酒田起点だったというのもこの番組でしりました。
本間家住宅や倉庫群、見てみたいものですが
なにしろ東北は遠すぎるので、実現はしないかも...
ウォーク更家
二人の河村
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
了解しました。

同性の歴史上の人物は紛らわしいですよね。
しかも、どちらも東海地区出身で江戸期に活躍した二人とあれば尚更です。

コスモタイガーさんの河村瑞賢、どの様な場面での登場か楽しみです。
コスモタイガー
失礼しました(恥)
>>河村瑞賢

すみません、これは私の勘違いでした。
瑞賢先生は三重県伊勢市の出身ですもんね。

河村市長の先祖は、尾張藩7代藩主徳川宗春の家臣で国学者としても活躍した、「河村秀根」の方でした。

江戸期に活躍したお二人の河村さん。
しかもお二方とも東海地区出身。
一瞬二人を取り違えてしまいました。
大変失礼しました。(恥)

実は屈ブログにも、今後河村瑞賢先生がどこかで登場する予定です。
改めて混戦しないようにしないと…。
ウォーク更家
酒田港から各地へ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
なるほどね、山で形どられた「山形」ですか、確かに、山形県は、その様なイメージですね。

全ての物資が酒田港から入り、米は酒田港から積み出されていた訳ですから、酒田の繁栄は頷けます。

ええ、転封中止の条件の70万両の献金を、北前船問屋「本間家」が中心に大半を工面したという話の通り、ホントに、殿様より本間家の方が力が上だったのでしょうね。

そうでしたか、本間家は、不動産部門を中心に、現代を生き延びていたのですね。
もののはじめのiina
酒田港   
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/0ff2e8b2953458b82fe602f8981ae9d4
山で形どられた「山形」は、酒田の港で海に開けていたのでした・・・。

> 「庄内藩」は、会津藩が先に降伏してしまったために、戦う意味がなくなり、負け知らずのまま降伏します。
転封中止の条件に、明治政府への70万両の献金を北前船問屋「本間家」が中心に大半を工面したとは剛毅です。
ゴーン容疑者なら、びた一文出さぬでしょうね。

その本間家は、不動産部門を中心に系列の会社が立ち直って来ているとWEBにありました。

   iinaの当該ブログ記事のアドレスをコメント上のURLに置きました。

ウォーク更家
hide-sanさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
本間邸などは、当時の雰囲気のままで公開されており、なかなか見応えがありましたよ。

このブログでは、奥の細道のハイライトの平泉などがスキップされて、読者の皆様には誠に申し訳ないのですが、
我々のツアーは、平泉や立石寺や最上川(大石田)については、メンバーの皆さんが複数回行ったことがあるということで、
これらを飛ばして、宮城県の登米から、新幹線でいきなり山形へ向かってしまいました・・・
ウォーク更家
コスモタイガーさんへ
http://blog.goo.ne.jp/mrsaraie
私は勝手に、吉永小百合のCMは、何となく全国版のイメージを持っていましたが、そうか、考えてみれば、地域限定CMですよね。

そう、旅行好きの間では、山居倉庫は、吉永小百合のCMの前に、既に有名になっていましたね。

ええ、北前船で栄えた酒田は、独特の雰囲気があり、訪れてみる価値があると思います。

そうでしたか、コロンボ竹村警部は、酒田でも活躍していましたか。

えぇ~っ!、名古屋の河村市長は、河村瑞賢の子孫なんですか!、もともとが名古屋の出なんですね。

いや~、知りませんでした、驚きです!
hide-san
本間邸
https://blog.goo.ne.jp/hidebach/
本間家や鐙屋の古い民間人のお屋敷は、
一見の価値ありと、どの本にも紹介されていますが、
なかなか写真がありませんでした。
この後、大石田ですか?
ここにも大物の商人がいましたね。
芭蕉もずいぶん長く逗留したとか、
お宅は残って居ないようですが・・・・。
コスモタイガー
酒田
https://blog.goo.ne.jp/cosmotiger_1968
山居倉庫は鉄道雑誌や鉄道番組でも紹介されてるんで、自分の中では結構有名ですよ。
CMの舞台になったとかで、吉永小百合さんになりきって歩く方も多いとか。
ただ残念なことに、わが町名古屋でも、単身で住んでる大阪でも、そのCMを見たことはありませんけどね。
JR東日本なので当たり前ですが。

酒田もいずれ観光してみたいなと思ったりします。
北前船の寄港地ですからね。

私の好きな、浅見光彦や信濃のコロンボ竹村警部も、ここで大活躍しました。(内田康夫作品)

「河村瑞賢」
名古屋市民を代表?して、ご紹介ありがとうございます。

名古屋市の河村現市長のご先祖ですね♪
河村市長がこのHPを見たら、さぞかしお喜びになられると思いますよ。

河村瑞賢先生の居宅跡も、名古屋市中区丸の内の交差点近くに、静かに案内板が建てられています。

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