(写真は、八代城の堀と石垣)
「八代宿」は、「薩摩街道」の要衝の地で「八代城」の城下町
でもあります。
ちなみに、八代市出身の歌手・八代亜紀は「やしろ亜紀」で、
八代市は「やつしろ市」で、地元では八代を「やっちろ」と
発音します。
「八代城」は、熊本城主の加藤忠広(「加藤清正」の三男)が、
家老の加藤正方に命じ、1622年に、球磨川の河口の松江村に
築城した「平城」です。
江戸時代の「一国一城令」の例外として、肥後国(熊本県)
は、熊本城と「八代城」の2城が許されたために、「八代城」
は破却されずに残りました。
1632年、加藤家の改易により、細川忠利が肥後の藩主になる
と、忠利の父である「細川忠興」が八代城に入城し、八代城
は忠興の隠居城となりました。
その後、1646年に、細川家の筆頭家老の「松井興長」が
八代城の城主となりましたが、以降、明治3年の廃城まで、
八代城は代々「松井氏」の居城となり、松井家が八代地域
を支配しました。
現在、水堀に囲まれた本丸石垣や天守台が残っており、八代市
の中心部の公園として親しまれています。
昨年、「続日本100名城」にも選定されました。
熊本駅から、JR鹿児島本線に乗り、終点の八代駅で下車
します。
工事中のためでしょうか、JR八代駅は、次頁の写真の様に、
熊本県第二の都市の駅とは思えないショボい駅です。
八代駅駅からバスで15分、下の写真の八代市役所前で下車
すると、その前が八代城です。
現在、「八代城」には、当時の城を偲ばせる建造物は何も
残っていませんが、美しい堀と石垣は綺麗に残っています。
城跡の中央部分の本丸跡には、1884年に創建されたという
写真の「八代宮」があります。
神社の境内には、発掘調査で見つかったという上の写真の江戸
時代の井戸跡がありました。
本丸の東側には、「表舛形(おもてますがた)門」を設け、
「高麗門」と「頬当(ほほあて)御門」が置かれていました。
(高麗門跡)
(欄干橋)
(欄干橋から頬当御門跡)
また、北の丸に至る部分には、「裏舛形(うらますがた)門」
を設け、「廊下橋門」と「埋(うずみ)御門」が置かれて
いました。
(廊下橋門跡)
(廊下橋から北九間櫓の石垣を臨む)
(埋御門跡)
石垣の上には、「月見櫓」、「宝形櫓(ほうぎょう
やぐら)」、「磨櫓(みがきやぐら)」、三階櫓、
舞台櫓が設けられていました。
(月見櫓跡)
(宝形櫓跡)
(磨櫓跡)
(舞台櫓跡)
本丸の北西隅には、5層6階の「大天守」があり、渡り廊下を
通して2層2階の「小天守」とつながっていました。
(小天守跡)
(小天守跡から大天守跡へ)
(大天守跡)
(大天守跡)
(大天守跡から小天守跡を臨む)
(唐人櫓跡)
(唐人櫓から天守台を臨む)
(小天守跡と大天守跡の石垣)
また、現在、相撲場となっている上の写真の場所には、かつて
能舞台が設けられていたそうです。
本丸を一周ぐるっと堀と石垣が巡っており、階段を上ると、
全ての石垣の上が歩ける様になっていて、素晴らしいです!
全ての石垣の上は、綺麗に手入れが行き届いて、とても
歩きやすいです。
もっとも、石垣には柵がないので転落の危険はありますが
・・・
石垣の上から、市内全体を見渡すことができます。
上の写真の赤丸印は、八代港に巨大客船を横づけにして
押し寄せる中国人の観光客向けに作られた「八代城址の
舟巡り」の船着き場です。
巨大客船が着く度に、八代城址を船上から見物する中国人
観光客で賑わうそうです。
上の写真は、松浜軒の長い~塀です。
八代城を出て、お城のすぐ近くにある「松浜軒(しょうひん
けん)」へ向かいます。
八代城の城主・松井直之が、母の崇芳院尼のために造らせた
御茶屋「松浜軒」は、国の名勝として当時のまま現存して
います。(500円)
そして、驚くことに、松井の殿様のご子孫の方が、現在も
引き続き、ご自宅として、ここにそのままお住まいになって
いるそうです。
明治3年に、八代城が国有になったため、10代・松井章之氏
は城を出て、この松浜軒に引っ越し、今日に至ったらしい
です。
我々観光客が、お宅の中を覗き込みながら見物してゆくので、
殿様のご子孫も、うっかり自宅の縁側で日向ぼっこも
出来ませんよねえ・・・
松浜軒を出ると、道路向いに、上の写真の「未来の森
ミュージアム」があり、ここには下の写真の八代城の大きな
復元模型が展示されていました。
(300円:撮影禁止)
(八代城の復元模型:ミュージアムのパンフレットから)
お昼過ぎに、JR熊本駅に戻り、駅の構内の食堂で、
写真の「牛深御膳」(2,800円)を食べます。
天草の牛深港は、熊本県内最大の漁港で、熊本市内では、
ここで水揚げされた豊富で新鮮な魚介が安く食べられます。
写真の中央左が「新鮮な牛深の刺身」、中央右が「馬刺し」
です。
そして、上段左端が「あら炊き」、中央が「一文字の
ぐるぐる」と「辛子蓮根」、上段右端が子供の頃おやつ
代わりに食べさせられた「キビナゴの天ぷら」です。