私は心を持ってないと思っていました。

 

私の母は的外れな精神分析の大好きな人で、

小さい頃、ほんの小さい小学校に上がる前から、

「嫌がらせのためにわざとやった」

「親を馬鹿にして」

「親を恨んでいる」

と口にしていたのをよく覚えています。

やっぱり小さい頃からドジで、よく失敗していたし、

夜尿や失禁などもなかなかなおらず、

かんしゃくもよくおこしていたし、

腹が立つのはよくわかります。

発達障害の子を持つ親の抑うつや、虐待は今でも多いと言われています。

心の通じない、(通常の方法では)躾の通らない子供を持つと親は病みます。

まして、発達障害の概念が伝わっていない40年前の話です。

彼女は何も悪くないことを今では知っています。

一番苦しんでいたのは私の母だったのかもしれません。

ごめんね・・・。

 

学校の教師も的外れな精神分析が大好きでした。

平均台の上で前転ができないと、

「やればできる、手を抜いている、教師を馬鹿にしている

やらないならお前の一生は駄目だ」

あとさまざまな教師によく言われたのは

「お前は甘やかされてるから

お前のためを思って俺だけはお前に厳しく言うんだ」

でしたね。

子供の頃の私は、

「甘やかされている!?

私が!?

いつ!?誰に!?」

母も厳しかったし、出会う教師教師こんな妄想

甘やかされているわがままな子に俺だけが愛の鞭妄想

を抱いてきつく接してくるので大人の人に優しい言葉一つかけてもらったことはありませんが。

(イジメにあっても庇われ愛されるのはいじめっ子だけで

許せとか忘れろとかあと、いじめられるほうに問題があるとか

いじめられるようなことをしたんじゃないかとかそういう言葉しか聴いたことがありません)

 

叔母も的外れな精神分析大好きでした。

あるとき、誤ってゴミ箱を壊してしまって、

もちろん、壊した私が悪いのです、

しかし、ギャグで受けを狙って壊したんだと決め付けて。

そんなことするはずないでしょう?

当時、ショートカットの活発な女の子が好きだったのですが、

それをぽろっと言ったら

「それってどういうコンプレックス?」

純粋にかわいいというだけですが、コ、コンプレックス!?

 

小学校に背が高く、睫毛の長い、そしておっとりとした美少女がいて、その子は私によくしてくれたのですが、

外野から

「ひがんでる」だの

「妬んでる」だの。

そんな感情ありませんが?

 

というわけで的外れな精神分析が大嫌いです。

42歳の今なら、的外れな精神分析をされるのが大嫌いで非常に迷惑だ

と堂々と言えるのですが、

(今では、的外れな精神分析をする人って

半分はその人自身がそういう人なんだと思っています

ex.こちらが純粋に好意でしたことを金目当てだと決め付ける人は言った人がお金が大好きなのでしょう

こちらが純粋に好意でしたことを賞賛目当てだと決め付ける人は言った人が名誉欲が強いのでしょう)

小学生とか中学生とか、あるいは30代くらいまでは、

人々が口々に私の心を抉る的外れな精神分析を私自身が信じてしまっていて・・・。

 

私は他人に悪意を持っている。

私は他人が嫌いだ。

私は他人を馬鹿にしている。

私が何かを好きになることはなく、薄汚い計算が背景にある。

 

そう信じていました。

 

そんなことがなくても元々、

ASDって自分の感情をつかみにくく、

人間らしい自然な感情がわきにくいのです。

(人間が人間である理由である高次脳機能が疎外されているのですから・・・)

 

まして、そんなことを言われたら、

私には心がない。

としか思えません。

 

レトロかわいいぬいぐるみの話をしても

「ぬいぐるみがかわいそうーw

自分がかわいいとでも思ってるの?」

承認欲求だと片付けられ、

きれいなお花を見ても

「似合わねえ」承認欲求だと責められ、

誰かを好きになっても性欲支配欲だと罵られ、

自分でもそうなのかな?と思っていたし。

 

私は、他責や他害、被害妄想はありませんから、

私が悪いんだ、

人々がそう言うのが本当の自分なんだろうとずっと考えていました。

 

おかしいなと思ったのが、

ハンディキャップドの男の子と付き合って別れたとき。

彼は

「俺も男だから。

こういう身体だからこそ、

人が振り返るようなモデルみたいな美人と街を歩いてみたかった。

お前みたいなのが一番の差別者なんだ。」

と言われたときです。

いえ、その場はおかしいと思わず

私って差別者なんだ。

と素直に信じていました。

しかし、数年よくよく考えると私が差別心から彼とつきあったというのはおかしい。

だって、付き合いたいと言ったのは彼の方からだったのですから

私が差別心から、ハンティキャップドを馬鹿にして

デブスでも満足するのだろうと付き合ったはずないですよね。

 

私は心のない、地面に開いた穴。

人々が手軽にゴミを投げ入れていくだけの。

 

ところが、40歳の頃、私は布袋寅泰さんと出会いました。

出会いましたといってももちろん以前から存じ上げていましたし、曲も聴いたことがある。

しかも、BDを鑑賞したというただそれだけの話なのですが・・・。

 

元々氷室さんのfanで、

「GUITARHYTHM Ⅳ」を聴いて、なんだろう?

「私はこの人好きかも?」

と感じたことがきっかけでした。

繰り返し述べていますが、私は人は大好きです。

でも、誰か個人を特別自分から好きになることはありません

(相手が自分に好意を持っていることを確認できたら好きになれます)

何故かというと、

私に好意を持たれるということは、ときとして

迷惑であり屈辱的なことであるからです。

そして、人に好意を持つには資格が必要なんですね。

だって、そうでしょう?

この文章を読んでいるあなただって、

嫌いな人、気持ち悪い人に好意をもたれるのは不快ですよね?

(ちなみに、

私は自分が思いがけない人に好意を持たれるのを不快と感じたことがないので、

そもそも人に好かれたことないし

そのお気持ちが、まったくわかりません)

夫の場合も、生まれて初めて男性が、こちらをまっすぐ見て微笑むところを見たので、

好きになってもいいんだなと思ってから好きになりました。

私は関係妄想や恋愛妄想は持っていませんし、ストーカーではありません

よく、持ってそう、キモイって言われますが誤解です)

 

youtubeで布袋さんのステージを見て、

「思ってたよりきれいな人だな」

と思って、

これ↓

に聞き惚れて&見とれてしまってその先はもう布袋さん布袋さんで。

 

私に心があるとすれば、

暗くて狭くて何もない汚い地下室です。

天窓から、人々がときおりゴミを投げ入れたりナイフで刺してきたりします。

天窓越しに、美しいものを見て楽しむこともたくさんあります。

(触れてはいけません)

定型さんのふりをして定型らしい遊びをひととき楽しんだこともあります。

夫は私のことを

批評家みたいで中身がない」と評したことがありますが

そのとおりです

 

ところが、布袋さんだけは、

その地下室そのものに、仄かな暖かい光を灯してくれたんです。

理由はわかりません。

もしくは、思いつく理由は20個以上あります。

 

布袋さんに出遭ってから、暖かい心が芽生えました。

子供に対してもそれまではどこか冷めていて、

3歳、4歳にもなると、

ずば抜けた才能のある子供とそうじゃない子供、

実家の財力や家柄の差、

国や社会にとって重要な子供と堂でもいい子供って既にだんだんわかってくるじゃないですか?

かわいいとは思っても、

「将来見えてるよな・・・」という冷めた感情も同時に持っていました。

ところが布袋さんに出会ってからは

「心のままに長女が、次女が宇宙一美しく、愛らしく、面白い子供でいいじゃないか!?

実の親がどこに、冷静に仕分ける必要がある!?

(そんなことは嫌というほど社会がやってくれます)」

と感じて、

暖かい気持ちが心の中に溢れました。

 

空なんて見たこともなかった。

布袋さんに出会ってからは、朝焼けのコントラスト、

雲の面白さ、虹の儚さ、

全て新鮮で美しく思えるようになりました。

 

夫とももっと深く、

一人の人間として、魂と魂で結びつきたいと考えました。

 

毎日が楽しくてたまらなかった。

私の肉体が産まれた日は1976年ですが、

心を持った人間として産まれた日は

2017年03月29日です。

 

私にも普通の人間と同じように、

美しいものを美しいと感じたり、

愛しいものを愛しいと感じる心がある・・・。

 

アスペルガーには心がない、そう主張する人はたくさんいますが、

それは間違っていると私は考えます。

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