おはようございます。
前編では、愛犬のイニシアチブ(主導権)を取れない理由として
A:リードが付いた状態←・・・→付いていない状態
B:飼い主との距離が近い状態←・・・→離れた状態
C:愛犬が平静な状態←・・・→興奮状態(何かに気を奪われた状態)
各々がどこにあるかで難易度が決まり、練習・反復…つまり日々の習慣によってその成果も決まる。
今回はもっと手前のお話…結構心理的に深い内容になるので、それを踏まえてお付き合い下さい。
上記A~C全て←寄り、難易度が易しいのにどこかそれがままならないと感じる場合、もしくは練習・反復をしているけれども成果が伴わない場合、根本的に立ち戻らなければならない事柄がある…という事を思いました。
後編ではそれを挙げてみます。
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https://ameblo.jp/fujiwara-ah/entry-12630445582.html
我が家のかかりつけの藤原先生のブログの内容を一部引用させて頂きました。
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~引用~
ぼくは、日本人なのに国語が苦手で中学校の時は国語は10段階でずっと2、中2の時には1をとったこともある。
「許す」とか
「認める」とか
「共感する」とか
「受け入れる」とか
「愛」とか
「愛情」とか
あまりイメージがわかないし理解できていない。
俗にいう
ポジティブの言葉
ライトサイドの言葉
正の言葉
というのがイメージできない。
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通知表10段階で毎回1~2となると、おそらくその人の知能や学力の優劣の問題ではない気がする。
実は私も(理系のクセに…)高校数学で同じ経験があるんですが、全て無回答、あるいは、全て誤回答に近い状態です。
もし…テストの設問で”意味”がイメージ出来ずに何の事だかサッパリ分からなかったら、本人がどんなに時間をかけて懸命に回答しても、求められている正解から遠いものばかりになってしまう。
学力が高くなければ就けない獣医師でも、深堀りされなければ外からは分からない内情がある例もあって、”人を知る”というのは深い事だなぁ…と個人的にしみじみ思った次第です。
※参考まで:藤原先生ご本人の過去ブログの内容からは、気性が上下する母親を常に畏怖し、内面的にどこか怯えた幼年期だったのがその一因という話だった。
その人の中で経験ゼロに近い事柄について、それを表す既存の言葉で提示されても実は…「!?」つまり、その人には本質的に意味がよく分からない=理解が出来ていないという事なのです。
誤解の無いよう…これは”物わかりが良い/悪い”とか”察しが良い/悪い”とか、そうではない、そういう話ではありません。
これは、犬にトレーニングを施す局面においても同様に顕著に当て嵌まると個人的には見ている。
(人間に対してもそうですが)犬に対するトレーニングに関して、近年では”ポジティブトレーニング”というのが基本になってきているのは皆様、何となく分かられていると思います。
では、その”ポジティブ”というのが、その人の中で具体的にどういう理解内容になっているか?というのをよくよく追うと、相当なバラつきがある様に思えている。
もしも、その人自身にポジティブに教えられるという実体験が少なかったら、それをどれだけ再現・体現して犬に対して行えるだろう?
例えば、ポジティブ=”高い声で声掛けする事”という表面的な理解止まりでいたら、いくらご本人なりに頑張ってポジティブしても、本人の期待する様にはいかない。
”ポジティブ”という言葉を自分なりになぞってインプットしても、Aという実体験の少ない人とBという相応にある人の間には、犬に対する再現性と伝わる効果に多大な差が生じてしまう。
AさんもBさんも同じ”ポジティブ”という単語を聞いて、行っているにも関わらず…です。
では!
Aの人が、ポジティブの再現性を高める為にはどうすればいいか?
必要な事は至ってシンプル…
自ら”ポジティブ”を実体験しながら、それを意識する事
※体験数が多いほど良い
「ああ、これが”ポジティブ”というものなのか!」
「ああ、こういう感覚でいるのが”ポジティブ”なのか!」
「ああ、自分がこうなると犬に”ポジティブ”に伝わるのか!」
意識をするというのは、新たに気付くという事です。
人間の使う”言葉”ですが、一言も発さなくても犬にポジティブを体現する事は充分可能で、例えば、笑顔・拍手・動き(≒ボディランゲージ全般)です。
でもね、それを実体験しながら意識したとしても
「う~ん…それでも何か自分は”ポジティブ”を感じないな。」
という結論に至ってしまう可能性もある。
もうそれはね、本質的に自分がやりたい事ではない…つまり、好き/嫌いの話になるから、それはそれで素直に受け入れてしまうのもひとつではないかな
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犬の場合、必ず行動や反応に心理の一端が現れますから、それを見ればその瞬間、どういう気持ちかを察するのは難しくありません。
しかし人間の場合、どういう理由があってその人は犬に対してイニシアチブを取れないか?…双方の様子をただ見ただけでは全てを読み取るのはさすがに難しい。
まして、「実は…〇〇というのが本当はよく理解出来ていない」というのは心理的に深い内容で、多くはトラウマを含んでいて、おいそれと他人が迂闊に立ち入れない領域です。
過去ログで「パーソナリティ障害」というのを題材にしましたけど、(ちょっとここで書きにくいのですが)犬を飼われている中に顕著な方が少なくないと感じていましてね。
それと関連する事ですが、世界的に見て日本は信仰の意識が低い側面があるので、様々な他のモノに強く依存してしまう割合が多いという話を耳にしたことがある。
それがパーソナリティーに関する事の場合、ご自分の中に根強くある”囚われ”が、一体どこから生じているのかに向き合い、客観視された解決が成されれば、自分の意識の中でかなり楽になる。
向き合うまでが非常に苦痛というか、億劫というか…でもそれに背を向けている限り、なかなか望む方向に物事は流れていかずに苦しい様に私も経験の中で思えるのだ。
藤原先生のブログにも書かれている通りですけど、迷路に入って分からない感覚で、それも長い間(数年~数十年単位)苦痛をもたらすものです
ではこのへんで