内村選手!練習再開!

体操・内村航平、NTCで練習再開へ…利用再開第1号に : その他 : スポーツ : ニュース日本体操協会は30日、体操男子の内村航平(リンガーハット)が6月1日から味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)での練習を再開すると発表した。同協会は29日にNTCの利用再開に向け、新型コロナウイルスの感染防止策リンク読売新聞オンライン

 

おお~ヽ(;▽;)ノ待ってた!待ってた!

 

コメントも動向も明らかになってなかったので、めっちゃ嬉しーヽ(;▽;)ノ

 

『練習再開』という言葉の重みと嬉しさ(T-T)

 

もう応援するのみ!内村選手の道を心から応援しています!

 

 

あー、7月の長期密着番組が楽しみだー(T-T)(絶対に正座して見る)

 
 
 
 
近々、花火が上がるの!?

全国一斉に花火 新型コロナ収束願い新型コロナウイルス感染拡大の収束を願って、全国約160の花火業者が6月初旬、各地で一斉に花火を打ち上げることが分かった。見物客の密集、密接を避けるため、場所は秘…リンク産経ニュース

 

わぁ…なんだかこのお知らせだけでパァっと気持ちが明るくなった(*^^*)
 
うちとこの県でも見られるのかなぁ?(あるかな?どこかな?あそこかな?ここかな?って思い巡らせるw)
 
たくさんの人の心に届く光になるといいね^^*
 
 
 
 
そして、マガジンを読んで明らかになったこと…
 
去年の美しい二人の手を思い出しました
 
当時記事には書いたんだけど、ゆづ 腰が低いなー!って
 
両膝を折って、両手で握手…
 
ゆづにとっては自然な行動だったと思いますが、意味があったんだなとわかりました
 
美紀子さん(おばあちゃま)は嬉しかったと思うなぁ
 
そしてそれを見る山口さんも本当に嬉しかったと思う
 
ずーーーーーーっと長年苦労して努めて地道に時を重ねてこられた方のひとつの光の瞬間っていうのかな…花が咲くような笑顔が見られて、あらためて胸が熱くなりました
 
 
そして、なんだか勝手ですけど、自分のおじいちゃんおばあちゃんを思い重ねて泣きそうになってしまった
 
 
ふと、おじいちゃんは幸せだったかな…って思いました
 
 
人生の若くて最もいい時期に戦争を経験し、心と体に一生涯癒えることのない傷を負う
 
私の前では、戦争の事実は話してくれても、生涯一度も『痛い』『苦しい』『辛い』『憎い』『恨めしい』『○○が悪い』『○○のせい』『○○がひどい』『○○の責任』などという言葉は発したことはありませんでした
けれども、いつも穏やかで平和主義で争いごとが大嫌いで優しくにこにこと笑っているおじいちゃんのその姿は、私には戦争の悲惨さを最も訴えるかたちだったと思っています
 
戦争を思い出すからと花火は生涯見ることはありませんでしたし、お肉も口にすることはなかった
 
振り返ると命尽きるその近日まで、戦争に囚われているのは目に見えてわかりました(病室でね、「大砲の音が聞こえる。敵軍がそこまで来ている」「攻めてきた」って言うわけですよ。「おじいちゃん大丈夫だよー。今は去って行ったよ」「ここは安全だから心配ないからね」って言って。おばあちゃんが認知症だったから、私こういう会話は全然大丈夫なの)
 
 
そんなおじいちゃん、幸せだったかなって思いました
 
 
 
でも思い浮かぶのは、おじいちゃんの笑顔ばっかりで…いつも優しく「○○(私の本名)ちゃん」と呼びかけてくれ、背中や肩をさすってくれた感覚が思い出されます
 
 
あれが最期のお別れになるとは まさか思ってなかったけれど、病室から帰る私に「バイバイ。バイバイ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとうね。」と何度も何度も何度も言い続け、私の姿が見えなくなるまで、やっぱり最後まで優しい笑顔で手を振ってくれた姿
 
これを残していってくれたことは、私にはある種おじいちゃんからのメッセージのようで…
 
 
幸せだったと思いたい
 
幸せでしたと言ってくれたと思いたい…
 
 
 
なんかそんなことを思い出しました
 
 
 
美紀子さんの苦労する姿を見てこられた山口さんは、本当に本当に嬉しかったと思います
 
ゆづと美紀子さんのあの瞬間…
 
 
 
 
 
そして敬意…
 
 
 
これもおじいちゃんの話になっちゃうけど、おじいちゃん、戦地で自身のお兄さんと再会してるんだよね
 
お兄さんが長男でおじいちゃんは次男
 
兄弟で徴兵され、それぞれ別の戦地に送り込まれるんですけど、偶然ある地で再会したんだと
 
 
その時にお兄さんは、「○○(おじいちゃんの名前)。お前は生きて帰れよ。」と最後に言い残して去って行ったと
 
それが最期の会話でお別れになったとおじいちゃんは言っていました
 
 
もしかしたらお兄さんは自分の死期を予感していたのかもしれませんが、私にはその言葉はおじいちゃんを守る言霊だったように感じられて…今もふと考えることがあります
 
 
 
実家の仏間には、仏壇と神棚があって、上方にはご先祖さまの遺影がかざってあるんです
 
おじいちゃんは私が物心ついた幼少期から、朝晩2回それぞれにお参りをしていました
 
きっとそれは戦地から帰ってきて欠かしたことがないと思います
 
正座して仏壇に手を合わせ、神棚には背筋を伸ばしてきれいに一礼し、遺影にもそれぞれ一枚一枚深々と頭を下げる
 
それを毎日必ず朝晩2回、どんな日も、足腰が立たなくなるその日まで欠かすことなく続けました
 
 
 
それをね、小さい頃からずーーーーっと見てきて…時には一緒にして…
 
今思うと、あれは敬意だったのかなって思いました
 
 
感謝と敬意
 
 
 
 
うちは実家に家族が揃うと、みんなで仏壇にお参りするんですね
 
それが習慣というか、もう昔から当たり前のこととして今も自然にやっていることなのですが…
 
 
弟がね、高校生くらいの時かなぁ?年頃でw帽子を被って参ろうとした時があったようで
 
その時に、おじいちゃんがスっと横に来て、「脱帽」って言ったそうなんです
 
 
弟が後で、「姉ちゃん!じーちゃんが一言『脱帽』って言った時の目、顔、声。めちゃくちゃマジやった!ピリッとしたわ…。あんなじーちゃん初めて見た…」って言ってました
 
 
その時に、おじいちゃんにとってそれらがどんなものなのか、どのような存在なのかってことを思い知ったというか…理解した…感じたことでもありました
 
 
やっぱり『敬意』なんだろうなぁと
 
 
 
 
敬意を表すって、優しいとか心根が穏やかとか、礼儀や感謝や信心、共感力や慈愛も必要なんだと思うんですけど、やっぱり“芯”だと思うんですよね
 
相手やその存在を敬い尊ぶという揺るぎない芯がなければ表せないと思います
 
 
 
だから、ゆづの自然で包容力のある敬意の表し方は、私は同時にいつもそこに彼の強さも見ています
 
 
なんかそんなことを、勝手ですけども、おじいちゃんの姿を思い出しながら感じていました
 
 
 
私もそんな人になりたいって、そうありたいって思います
 
 
 
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