昨日のフィギペディア見ました?

 

有料放送なのでキャプや書き起こしはできませんけど、既出のイメージで少しでも伝われば!

 

この辺はほぼ重複してたかな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初見だったのが、Originの衣装についてゆづが「自分の中で紫のイメージが今シーズンはあって」って言ってたこと

 

 

ホプレガも色のイメージを伊藤さんに伝えたんだったよね

 

MwWの伊藤さんコメントより

「“Hope&Legacy”も羽生さんからの「こういう色とデザインで」というリクエストで進みました。」

 

なんか…ほんとすごいなって思って

 

色のイメージが湧くって、やっぱりイメージの人なんだなって思ったんですよね

 

特殊な感性というか、ゆづ独特の感じ方でプログラムを生み出していくんだなって思いました

 

 

過去にチラッと書いたことあるけど、私もこんな風に感じるのね

 

だから、ゆづの『色』っていうのが面白いなぁと私は感じて…それは滑っている上で湧いてくるのか、曲のイメージで湧いてくるのか、世界観で描かれるのか、頭の中に自然と見えるのかわかりませんけど、ゆづの感性やっぱ大好きだなぁと思いました

 

詳しく聞きたいなぁってw

(頭の中見てみたいと思う時あるw)

 

 

 

それにしてもさぁ…ゆづが喋っている姿を久々に見た気がして…

 

もちろん動画や録画はありますけど(白壁通信も)、そういうんじゃなくて…ゆづがプログラムに対する思いを自分の言葉で丁寧に話してくれている姿が胸に刺さった(;A;)←

 

懐かしいっていうのとも違くて…新鮮に近いのかなぁ…?

 

ああ…こんな日が当たり前に思えていたんだなって、胸に沁みた(;A;)←

 

生きているゆづを見た感覚かなぁ…

 

 

もう1年も前のことだけれど、でもそのたった1年で当時は想像もできない現在になっているわけで…画面の中で普通に喋ってプログラムと向き合い紡ぎ出そうとしているゆづの姿に胸がギューーーーっとなりました

 

 

乙女になっているわけじゃないけれど、画面の中のゆづを見つめてしまったよ

 

私この人好きだったんだなぁと思って←は?

 

 

好きなんだなぁと思って

 

ほんとに大好きだなぁと思って

 

 

今もすごくすごくすごく大好きだぁーーーーって思った

 

 

 

言葉で説明するのが難しいですけど、画面の中で感情と表情を伴って動くゆづが少し遠く感じて…ちょっと知らない人みたくも思えて…

 

そしてそんなゆづを好きだと思っている自分を俯瞰する感覚になったんですよね

 

 

なんでこんなことになるのか不思議ですけど^^;

 

なんか、そんな昨日でした

 

 

 

こういうゆづを見られる日々を当たり前に思えていたこと

 

当たり前じゃなかったし、これからも当たり前ではなくなるんだろうなと思いました

 

というか、当たり前のことなんて元々この世にないんだよね


それを今気付かされているような気もするんだな



前に書いたことあるけど、この世は奇跡の連続だなって思う時があって


それを普段私たちは忘れ去っている



言ってみれば朝目が覚めることも奇跡だし、人と目が合ったりコンタクトを取れることもその瞬間タイミング含め、すべてが奇跡なんだよね


私なんてある時悲しみのどん底にいて、ふと風が頬を撫でたの

それで泣いちゃったからねww


ありがとう、風って思ったの


なんて優しいんだろうって



おばあちゃんが亡くなった時に咲いた花もそうだよ


そのタイミングで自分が目にしてメッセージとして受け取ったこと


声が聞こえたような気がしたこと



自分は奇跡の連続の中に生かされていると思ったんだな




昨日のコメ欄でも少し話したんだけど、このコロナは人の人生の計画をも狂わせてしまうって

 

確かにそうだよなぁと

(話題は平野歩夢選手のことだったんだけどね)

 

 

でもそれが、良いことなのかそうじゃないことなのか判断するのは、きっとずっと先なんだろうなと私は思っていて

 

もちろん目の前のことを最悪だとか窮地だとか前代未聞の苦境だとか、逆にチャンスだとか契機だとか感じることはあるんですけど、本当の意味での判断というのは、もっとずーーーっと先なのだろうなと淡く思っています



 

というのも、私は元々物事の判断基準に良いか悪いかっていう尺度がないに近いんですね^^;

 

必要だと捉えるので^^;

 

 

ある出来事が自分に起きても、それを良いか悪いかとして捉えるよりも、まず『自分に必要なことが起きた』と考えるんです


もち起きた時の感情としては、うわー!最悪ー!とか、悲しいとか嬉しいとかありますけど、良い悪いで判断はしないなぁ

(だから多分ブログでもそういう言葉使用や表現をしたことない思う)



何か試練が訪れると、『自分に必要な学びがあるから起きるんだな』と思う

 

これはもう小さい頃からお母さんに言われ続けて育ってきたから、埋め込まれているものでもあるかも^^;

 

 

思考がもうそんな風になっている

 

 

自分に必要だから事態は起きるわけで、学びがあるから試練は訪れる

 

 

『試練は呼びかけ』

『意味のないことは起きない』

『意味を見出す』

 

お母さんにちっちゃい頃から言われてきたからなー。。。

 

 

 


ゆづが、去年の全日本後に家庭画報に言葉を寄せていたよね

 

--今季、全日本選手権までを終えていちばん悔しかったことは?

「悔しいことだらけで、どれかとはいえません。でも、10代の頃のように、ただ悔しくなるだけのことはなくなったかなと思っています。煮えたぎるような苦しみとか、這い上がるための炎みたいな感情は、少しずつ減っているのかなと思います。それがいいことなのかどうかはわかりません。ただ、その感情を覆ってしまうぐらい、自分に失望したり、悩んだりすることは増えたかなと思います。できないとは思わないですし、絶対できるまで頑張るという気持ちではいます。もう1回、もう1つと思いながら、壁の先に行けたらと思っています。」

 


これを読んで、複雑極まりない気持ちにはなったんですけど、ゆづが「それがいいことなのかどうかはわかりません」と言ったこと


私も、煮えたぎるような苦しみや這い上がるための炎のような感情が減っていることがいいことなのかどうかはわからないけれど、ゆづに必要なことなのだろうなとは、この時読んで思いました


それを覆ってしまうくらいの自分への失望や苦悩が増えたことも、きっとゆづがこの先に歩んでいくために必要なものであり、すべてゆづに必要なものなんだろうなぁと


そう思いました

 



私の中で、ゆづももしかしたらそんな思考をする人なんじゃないかと思ったのが平昌五輪だった

 

インタビューでこう言ったんだよね

 

 

苦労がたくさん「必要」って言ったんだよね


すごく印象に残ってる

 

 

 

今ももしかしたら“苦労”の中に入るのかもしれませんけど、またこの先に『それが必要だった』と言える日が来ることを祈っています



私の中の羽生結弦像は、そう言えるための日々を過ごしていることは間違いないんだな^^*

(あくまで私の中の勝手な羽生結弦像ね!w)

 

 

 

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