ひとひらの雲

つれづれなるままに書き留めた気まぐれ日記です

大奥の年中行事

2020-09-13 19:24:48 | 日記

 長い梅雨が明けて猛暑。暑さがまだ落ち着かないうちに台風シーズン到来で、停電にでもなったら死活問題ですよね。本当に生きるって大変。そんな中でも年中行事は結構頑張って行われるようです。例えばこのコロナ禍の猛暑にあっても、お盆のお墓参りをされた方多いのでは? 大奥でも御魂祭(みたままつり)といって七月十三日から十五日まで、御仏間で礼拝がなされました。盂蘭盆会(うらぼんえ)ともいいます。増上寺と寛永寺には毎日御代参が遣わされました。この御代参は御年寄や御中臈など上級女中たちが御台様の代理で参詣するものなのですが、宿下がりの許されない上級女中にとっていい気晴らしになったようです。さらには御代参のあと芝居見物をするのが普通になり、「絵島事件」なども起こりました。

 さてその年中行事、現代でもほぼ同様に行われていますけれど、大奥と比較すると少し違うものもあります。まず元旦の祝いは規模こそ違え、各家庭で行われるものと大差はないようですが、二日には御掃除初め、御書初め、御裁(たち)初めというのがあり、夜は将軍との御寝(ぎょしん)で姫初めとなりました。御書初め以外はあまり聞きませんよね。

 二月には初午(はつうま)というのがありますが、これは御年寄が江戸城の稲荷神社へ御代参をしました。今でも企業などでは行われるところがあるようですが、一般家庭ではあまりしませんね。さてお彼岸、今は一般的に「おはぎ」が供えられていますけれど、大奥では御台様が手ずから丸めた団子を御仏間にお供えしたようです。

 三月の一日から四日までは雛祭り。十二段の雛人形を御座の間と御休息の間に飾り、毎日供物を取り替えました。桜の季節には吹上御苑で花見をし、三月下旬になると、東海道五十三次の宿場に見立てて名物の模擬店が並ぶ五十三次という行事が大奥の御庭で行われました。華やかな行事です。四月八日は花祭り(灌仏会)、この日も大奥の長局(ながつぼね)に露店が並びました。

 五月五日は端午の節句。御三家や御三卿、御簾中(御家門)から粽(ちまき)が献上されました。六月一日には加賀前田家から氷室(ひむろ)の献上があり、七月七日は七夕で、御目見得以上の女中たちはみな歌を作りました。七月十三日から十五日までは御魂祭。八月十五日は中秋で月見を楽しみました。この時御歌合せが催され、秀逸の者には賞品が下されたといいます。何かにつけ歌を詠むところが現代にはない風習です。

 月見の宴

 九月九日は重陽(ちょうよう)の節句、十月一日は炉開きで御茶会が開かれました。これらはみな旧暦でのことなので、季節感が少し違うかもしれません。十一月中旬にはもう冬至のお祝いがありました。御目見得以上の女中に蛤の吸い物・刺身・うどんなどの料理が下されたそうです。十二月一日から十二日までは煤払い。今でいう大掃除ですけれど、主に御三の間の女中たちの仕事だったようで、終わると織物や手拭い、御肴などが下されました。十二月二十八日には注連飾(しめかざり)を飾り、御納戸(おなんど)払いといって御台様の御召物(おめしもの)が女中たちに下げ渡されました。一度も袖を通していないものもあったそうです。最後は大晦日。御目見得以上の女中たちは将軍と御台様に除夜のお祝いを述べました。以上簡単に大奥の年中行事を見てきましたが、他にもまだまだあります。多くの女性たちがそれぞれに役割を持ち、働くことで、これらの行事が遂行されていきました。

 マイホームページ   おすすめ情報(『栄光のかけら』・『薬子伝』、一般書店からも注文できます)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿