指導者と教育者 | 直心會 武勝館

 


似てるようで

 

全然立ち位置が違う

 

と思う。

 

 

 

空手だけ教えるんやったら

 

指導者でええ。

 

 

 

勝負に勝つのに

 

指し示して導くだけやから。

 

 

 

最近の学校の

 

空手クラブなんかは

 

そうやね。

 

 

 

俺は逆に教育者になりたい。

 

空手道を通じて

 

人の道、日本人としての心を

 

教育できるようなね。

 

 

この前いいことを聞いた。

 

 

 

教育の「教」は

 

子供たちの過ちを

 

気づかせ、それを取り除く

 

ことやと。

 

 

 

「育」は

 

子供たちが持ってる

 

いい部分を引き出すこと

 

やと。

 

 

 

神道で言えば

 

「祓い給え」

 

が「教」に該当し、

 

「清め給え」

 

が「育」に該当する。

 

 

 

神道には何の経典もなく

 

ただ、日本人が、いにしえか

 

受け継いできた、和合の精神、

 

異なるものを拒むのではなく、

 

いったん受け入れ

 

それを融合していく

 

生活のあり方。

 

 

 

特に決まった一人の神の教えを

 

崇拝するわけでもなく、

 

他の宗教家を

 

攻撃するわけでもなく、

 

神道とは

 

それこそ八百万の神々に

 

感謝するだけの

 

心の在り方だと思う。

 

 

 

宗教のように

 

唯一神に仕えるための

 

お経は唱えない。

 

 

 

祝詞というものを

 

奏上する。

 

 

 

祝詞とは

 

読んで字のごとく

 

神様を喜ばせる言葉で、

 

日々の誓いであったり

 

感謝を表すもの。

 

 

 

地獄に落ちるとか

 

極楽浄土に行けるとか

 

そんな直接的な

 

損得主義ではない。

 

 

 

俺は教育者を目指す。