フォッサマグナ 見出された時 | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

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← 江口 孝夫訳注『懐風藻』(講談社学術文庫) 「751年に編纂された日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、『風土記』『古事記』『日本書紀』『万葉集』と並ぶ国家創成時の貴重な史料、魅力満載の文学作品である。近江朝から奈良朝時代、律令制天皇国家樹立をめざした大友皇子、大津皇子、藤原宇合(ふじわらのうまかい)や遣唐留学生などの詩、新時代への讃美や清新溌刺とした若き気漲(みなぎ)る佳品、120編の文庫版初の全訳注」。

 

 今日も落ち葉拾い。一冊読了したし、買い物も済ませたし、その勢いで、一時間。中腰(ウンチング)で。冬とは思えぬ、うららかな日和。雪が降らないのはありがたいけど、これでいいのか。

 

 水曜日は父の月命日だった。住職に来てもらう。お布施はともかく、一月は他に本山への割り当てとかで、大枚を。大切だろうし、惜しんじゃいけないけど、貧乏人には辛い出費。

 

 江口孝夫訳注の『懐風藻』を今日から読み始めた。
 世界の古典を制覇するなんて、とっくに諦めているけど、せめて日本の古典だけでも……と思いつつも、それすら難しい。ま、一つ一つ。本書は日本の草創期の最古の漢詩集。唐を意識して、懸命に文化の面でも負けないものを創造しようとした。国家を作り上げた英傑だちの心の声だ。
 吾輩が別に古典主義者でも、教養主義でもないが、最低限の古典には触れておきたいのだ。

 

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← 藤岡 換太郎著『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』(講談社ブルーバックス) 「誰もがその名を知っていても、それが何かはよく知られていない「フォッサマグナ」は、この国の「背骨」のど真ん中を横断する、深さ6000m以上におよぶ巨大地溝である。それは地質だけでなく、動植物の分布から文化に至るまで日本列島を東西に分断し、日本と日本人にきわめて大きな影響を与えつづけている。フォッサマグナを抜きにして、日本列島の将来は語れないのだ」。

 

 藤岡 換太郎著の『フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体』を昨日(木曜日)から読み始めた。

 フォッサマグナを知らずして、日本列島の形成は語れない。が、学会に於いて関連の研究成果の発表が相継ぐようになってきたのは、比較的近年だとか。名前も存在も少なからぬ人は知っていても、正体は鵺のようだった(著者の表現)フォッサマグナを学ぶ。

 

 本書についての感想は後日として、思いっきりの余談をメモっておく。

 

 我輩が初めて(それと知らず)フォッサマグナ近辺を旅したのは、二十歳の冬のこと。仙台での学生だったのでバイトで中古のバイク(2万円)を買い、大型免許を取得。その年の夏、バイクで仙台から東京を経由し、一路富山へ。が、手書きした地図は当てにならず、何を勘違いしてか、一泊した東京(本郷)から西へ走り、夕方には箱根の山を登っていた

 

 故障寸前(チェーンケースにチェーンが擦れてカタカタ鳴っていた)のバイクには箱根の峠は辛く、ローギアでも喘ぎ喘ぎやっと。更け行く中、霧は濃くなり、道は弱々しいヘッドライトに朧に浮かぶだけ。中途の何処かで案内所に遭遇。すがる思いで電話したら、何とか宿が見つかった(どうやってその宿に辿り着いたのか覚えていない)。

 

 翌朝、一路、富山へ、のはずが、バイクは何故か更に西へ。気が付くと静岡県の三島に。茫然自失。それでも、気を取り直して、北へ、山のほうへ、ひたすら。多分、山梨県の三国峠を通って北上。この辺りから、フォッサマグナ沿いに更に北上することになる。

 

 この無謀な往復で2000キロとなるツーリングについては、以前、日記に書いたような。無論、フォッサマグナなんてまるで意識せずに。図らずして、フォッサマグナとは接近遭遇していたことに感激だ?!

 

 それにしても、東京(本郷)の旅館を出て、一路、富山へ、つまり北西方向へ走ったはずなのに、何故、いつの間に箱根の山を登っていたんだろう。そもそも、登る前に変だと気付くはずじゃないのか? 謎だ。

 

 ところで、気づくことは、仙台あるいは東京から富山へ帰省するとなると、鉄路にしろ車やバイクにしろ、よほど遠回りしない限り、何処かしらフォッサマグナの地帯を通らないといけないわけだ。


 18歳から53歳まで、仙台や東京で暮らしていたので、年に数回(平均で3回)は帰省するとして、100回以上(往復だから200回以上か)は、フォッサマグナの地の上を移動していたわけである。

 

関連拙稿:
オートバイ我が唯一のパートナー
独りきりの祝祭

 

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← プルースト 作『失われた時を求めて 13  見出された時 I』 (吉川 一義 訳 岩波文庫) 「第一次大戦さなかのパリで,変貌する人びと社会.それを見つめる語り手は,文学についての啓示を得る」

 

 吉川一義氏訳のプルースト作『失われた時を求めて 13  見出された時 I』 を読了した。
 全14巻のうちの13巻目。長丁場の翻訳作業は、ひたすらご苦労様と言うしかない。あと一冊。今夏の出版を目標に訳されているとか。


 鈴木氏訳の3巻本や、文学全集所載の井上氏の訳(たぶん、全体の3分の一)などを読んできたが、全体を通して読んだことはない。今夏、最終巻を読めば、初となる。楽しみ。

 

 どの巻も、それぞれに特色があるが、本巻は見出された時、特に最後の章はまさに文学・芸術論というべきで、圧巻。


 私の意味する初版本とは、私がその書物から最初の印象をえた本。真の人生は見いだされ解明された人生であり、本当に生きたといえる唯一の人生、それが芸術。真の書物は暗闇と沈黙から生まれる。一冊の書物とは、広大な墓地。文学作品の素材は私の過去の人生にある。などなど、思わず膝を打つくだりがこれでもかと。