中国(漢詩)から科学の美へ | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 

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← ジュディス・ヴェクスラー 編『科学にとって美とは何か  形・モデル・構造』(金子務 監訳 白揚社) 「数学・量子論・進化論・結晶学・物理学から心理学に至る第一級の科学者たちが,今まで見すごされてきた科学における「美」の役割をさまざまな角度から解説し,科学的想像力の核心に迫る」とか。こういったテーマの本は大好物。テーマはドンピシャだけど、肝心なのは中身。さて、どうだろう。

 

 連休。見に行きたい展覧会もあるが、懐が不如意で足止め状態。辛い。
 雪もひどくないし、自転車を駆って、町中へ行きたいなー。

 

 ジュディス・ヴェクスラー 編の『科学にとって美とは何か  形・モデル・構造』は、昨年まで積ん読本だった。
 けど、当分、読めそうにないので、積ん読本の山の高さに辟易して、こっそり外してしまっていた。

 

 中国(漢詩)の世界から、思いっきり飛躍。科学にとって美とは……。芸術にとって美とは、という問いかけは有りがちだけど、科学にとっての美とは、門外漢には興味津々。数式の美もだけど、思考や推察の過程で、道筋に迷った時、ある種の美的閃きが真理を示すことがあるんじゃなかろうか。混沌の海を導く美の女神。嗚呼、邪悪な世界に誘惑されてもいいから、女神、Muse 欲しい!


 っと、気を取り直して、今日から読み始めた。

 

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← 『世界の名著〈第14〉アウグスティヌス』( 山田 晶 (編集) 中央公論社 (1968)) 買ったのは、1973年。箱入り。

 

 神への真率な思い。神の前での妥協の余地のない問いかけ。他人や自分に対しては誤魔化せても、神に対しては無理。
 我輩には唯一神としての神への思いはない。八百万の神々たちの姿がちらつくだけ。
 唯一絶対の神の前で、一人立つ。その構図は、一瞬思っただけでも、背筋が凍り付く。


 パスカルの「パンセ」!


 ただ、では、八百万の神々の心性が日本的土壌に合うとして、それが優しいかというと、さにあらずだろう。厳しい棘(いばら)の道だろうと、ぬるま湯の道だろうと、最期は一人きりの瞬間を迎える。
 最後の瞬間、神にすがる? 仏の慈悲にすがる?

 

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← 『 中国名詩選 上』(松枝 茂夫 編 ワイド版岩波文庫 26) 「中国の詩歌は3000年もの豪華絢爛たる歴史をもち,質量とも世界に類を見ない.「天上の星の数」ほどもあるそれらの作品の中から愛誦するにたる詩篇約600首を精選,読み下し文と現代語訳,注釈と作者略伝を付す」。全くの余談だけど、編者の松枝茂夫氏の名を初めて目にした学生時代、これは本名なのか、ペンネームなのか、妙なところが気になったのを、ふとおもいだしてしまった。 

 

 軍(いくさ)に纏わる悲哀(明日をも知れぬ命)、出世争いから脱落した爽快感(強がりとしか感じられないが)、いろんな漢詩があって楽しい。やはり、夫婦(男女)間の歌謡や詩が多いし、胸を打つ。戦(いくさ)などで一旦、離ればなれになったら、また逢うことの難さ。

 中国大陸! 孤閨をかこつ寂しさ、夫不在の家では、嫁姑小姑らの確執。悩みは古今東西を問わないか。漢詩。漢は、中国の意だろうけど、文字通り漢代の詩もある。無名氏による詩も転記したいくらい(漢字がスマホでは、見つけづらいので断念)。

 

 本書、(素養のない我輩には)読みやすい。各作品(乃至作者)ごとに、略伝など大まかな説明。本文。読み下し文、(意訳に近い)翻訳。最小限の注釈。あまり詳しい厳密な注釈は、漢詩を窮めるより、楽しみたい初学者には反って煩雑で敷居が高い。

 読み下し文とザッと示される訳文を対比して、難解な(未知の)語彙の意味を察する楽しみもある。馴れてくると、熟語(?)の字面からその意味を想像したりするようになる。

 

 それにしても、漢字文化の国柄とは言え、あれだけの語彙を誰しもが有していたのか。やはり、文面を詠めるのは知識人だけなのかな。
 本書は、上中下の上巻。探したけど、中巻が見つからない。飛ばして、下巻に行く? 父の蔵書だから、そもそも中巻があったかも分からない。
 浮気して、全く違う本に手を出しちゃうかな。