ずさん過ぎる遺骨の収集 | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Sikence ← 『透明な沈黙 哲学者ウィトゲンシュタインの言葉×新世界『透明標本』』(訳/鬼界彰夫 透明標本/冨田伊織 ) 「20世紀最大の哲学者と、永遠の生命を与えられた美しき生物たちとの「真理」と「生」の結実」

 

透明な沈黙』を読了した。冨田伊織氏による独特の標本世界もさることながら、やはり、ヴィトゲンシュタインの言葉は素晴らしい。日記もだが、『反哲学的断章』を読み返したくなった。
 ヴィトゲンシュタインは、抜群の断章を書く。アフォリズムを意図して書いたわけじゃない。にも関わらず、文章の随所で切り取った言葉が匕首のように鋭く、深い。

 

美以前:

 以前ほど展覧会巡りに熱心になれない。以前……多分、東京在住時代と比べてる。比べるのが論外だと分かっている。富山(の関係者)だって頑張っている。それでも、選択肢が限られる。目ぼしいものを幾つか観たら、あとは途方に暮れる。バイクを駆って向かうのは、ダムだったり、中でも砂防ダム(水害に苦しんできた富山を象徴する)など。幾つもある一級河川を上流まで遡ると(といってもバイクで走れる所までだが)、川は一気に急流となる。富山は立山連峰に囲まれ、一方だけ開かれた盆地のような扇状地の平野。しかも、海岸線を越えると一気に深さ千メートルの海へ。つまり、立山連峰は落差四千メートルの山々で、その中途にたまたま踊り場があるだけなのだ。富山を体感したければ山を登るのもいいが(それだったら何処の山でも構わないはず)、国連の世界湾クラブに選ばれた富山湾クルーズもいいが(一度はクルーズしたい!)、砂防ダムがいい。
 と、そんなことを書こうとしたんじゃない。先程、昨夜の中秋の名月を実損ねた……なんて書いたことにも関連するのだが、展覧会巡りに熱心になれなくなったのは、自分の感性が鈍くなったからではないかと内心、感じている。あ、まだ誤魔化している。問題は老眼なのだ。美は細部にあり。本は老眼鏡を使えば何とかなるが、昨夜、月影を眺めて、ほんの数年前ほどは輪郭鮮やかに観ることが出来ないことに愕然ときたのだ。同じことは、展覧会でも言える。作品の細部を、細部の美を愛でることが出来ないのだ。
 感性が鈍くなったから感動しないのか、眼を含めた肉体の衰えが美への執着を萎えさせてしまったのか。
 さて、ここまで読んでくれる人はほとんどいないだろう。ここから本題に入る。バルザックやゾラに限らず、芸術に命を懸ける人間の生きざまを描いた作家(美術であれ文学であれ、あるいは自らの身自身を創造の舞台にする方)は、数々あろう。では仮に自分が美に生きる人物像を描くとしたら、どうたわろう。オソラク全く違う視点に立たざるを得ない。なぜなら、我輩は10歳の時の手術で鼻呼吸が出来なくなった。つまり、口呼吸だけに。睡眠時無呼吸症候群どころじゃない、睡眠自体が奪われたのだ。我輩の辞書に夜はない。しかし、睡魔は等しく我輩にも訪れる。寝入る……と、自らのイビキで目が覚める……が睡魔は眠ることを強いる……が、体は睡眠を許さない。我輩の夜、つまり睡眠時間帯とは、その繰り返し。朝、目覚めたら、あるいは、起きるべき時間が来たら、自分の体は完全にグロッキー状態にあることに気付かされる。普段、運動したことのない人が、マラソンかサッカーをいきなりやった、その翌日の朝の体の状態に近いだろうか。

 昔、スキーの経験のない自分が誘われるがままに、スキー場へ行き、転びまくり滑り落ちまくり、コブコブの急斜面さえ挑戦させられたことがある。宿に一泊した翌朝の体の節々の痛さと云ったら! か、寝床から這い出ようとしながら、このきつさは、自分が日々体験しているきつさとさほど変わらないなと感じていた。それほどの日々のグロッキーさ。自分にとって日中とは、襲い来る睡魔との戦いであり(毎日徹夜しているようなもの)、朝方の打ちのめされた体を少しでも回復させることに費やされた。

 昼行灯という言葉があるが、日中は生ける屍で、普通を装うのに懸命だった(気が小さいので、親兄弟を含めた他人に惨状を知られたくなかった)。まだ若い頃は夕方か夜には少しは回復するのだが、目の前には地獄の夜が待ち構えている。愚かな自分は、自分の体の異常さ、普通でない状態のダメージの大きさに気付くことはなかった。誰一人相談しなかった。

 誰かに窮状を訴えるという発想など全く浮かばなかった。多少でも問題に気づき始めたのは、テレビなどで睡眠時無呼吸症候群の話題が徐々に取り上げられるようになってから。既に40歳。待てよ、俺は睡眠時無呼吸症候群の連中など問題にならないくらいひどいんじゃないのか?! 気付くのが遅すぎるって! さて、そんな自分に美を美として感じる感性の育まれる余地が一体あるものなのか。

 遥かに深い海の底から日の光を偲んでいる、酸欠が恒常的な体だから、酸素を求めて口をパクパクさせている、しかも、人には気付かれないように。そう、まずは海面上へ、水面に顔を出すことが先決なのだ。誰かが言った意味じゃなく、もっと光を!

 10歳から睡眠が奪われて、授業は空白の時間帯となった。口を開けないと息ができない。かといって口をパクパクしたらみっともないし、ハーハーしてちゃ変。授業中は、口を薄く開けて、口呼吸に気付かれないように、ただそれだけ。でも、細い呼吸で段々息が苦しくなる、そう酸欠状態になる。顔が真っ赤になってくるのが嫌でも分かる。先生の話など上の空。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ! 授業が終わると教室を大急ぎで飛び出して……違う、さりげなく外に出て、誰にも見られていない場所に隠れて口を大きく開けて息をする。

 授業中の話など聞いている振りをするのがやっと。万が一にも話に夢中になったら、我を忘れて、口をあんぐりして、スーハーしちゃう。そんな不様を演じられるものか。まして居眠りなど論外。ガオーというライオンの唸り声を発してしまう。授業中はゾンビー。では、いつ普通で居られるのか。自分にも分からなかった。

 40歳を超してから、手術の必要を感じた、ようやく認めたというべきか。何度目かの手術は全身麻酔だった。麻酔から醒めて、体の楽さを感じた。何十年ぶりかの熟睡の感覚。一晩グッスリ眠るとは、こんなにも素晴らしいことなのか。が、治療は道半ば。過日書いた事情で同じ病院へは行きたくない。そもそも、もう手遅れではないか。今さらどうなる?

 〇▼□さん コメント、ありがとうございます。負けず嫌いというより、気が小さく、自分が変だと人に気づかれたくなかったのです。というか、自分が変だと自分でも認めたくなかった。展覧会だけなら、何かのツールを使えば何とかなるでしょうが、美は日常にあり、です。日々の中に美を感じたい。夜空の星とか、山の緑、池の水、散歩の道すがらに見かける草花とか。

 

遺骨収集:

 203高地、旅順攻囲戦の悲惨な肉弾戦。明治以降の軍の指導者は、庶民を塹壕にして戦った。養い切れない増えすぎる人口を、人減らしするため、肉弾戦を強い、嘘をついてブラジルなどへ移住させ、北方領土も含め北海道へ渡らせた。人……庶民は消耗品扱いだったとしか思えない。その証左が厚労省による遺骨収拾事業の杜撰さに歴然と現れている。
 ロシアでの日本人の遺骨収拾の杜撰さ。厚労省の窓際族の仕事扱いなのか。千鳥ヶ淵にどれほどのロシア人が日本人として葬られていることやら。遺骨を全て回収しなければ、戦後とは言えない。

 ウエルベックは、ショーペンハウアーの思想をシニカルだと理解しているようだが、とんでもないと思う。ショーペンハウアーの哲学は、野蛮なほどに危険なのだ。シニカルになる余地などない。

 

中秋の名月:

 月見。昨晩の中秋の名月。仕事中だったが、夜半近く、車はたまたま月影を右斜め前方に走ることに。満月。月だけじゃなく、地球も星屑の1つに過ぎないと分かっていても、やはり、月が夜空にぽっかり浮かんでいると感じてしまう。古代人の遺制、名残りなのか。昔、満月の夜には何かが起きる……なんて都会伝説がまことしやかに。交通事故などの悪いことばかりじゃなく、血が頭に(普段より多めに)集まって、血走って、普段の臆病なまでの冷静さを失い、雄が雌を(逆もまた真)求めて彷徨し、咆哮し、つい事に及んでしまうなんてこともある……かも。
 だが、悲しいことに、我輩は、丑三つ時近くに帰宅した時、月影を追い求めるなんて風流な心は皆無だった。仕事で疲れていたから……といいたいところだが、さにあらず、車中の荷物を下ろすのに懸命だった。いや、それもウソだ。気になる誰かを思って……も違う(いつものことだ)、ただ真夜中の空を眺め上げる心を失ってしまっただけなのだ。そのことに気付いたのは、着替えして部屋でお茶でひと息ついた時。我輩としたことが……。気を取り直して外に出てみることすら思い付かなかった。

 

 千葉の大災害より組閣に受かれる政権。組閣、数日は遅らせるといい英断はなかった。
 千葉県知事が国の対応の鈍さや組閣のタイミングの悪さに怒りまくっていた。

 

 我輩はよく空飛ぶ椅子に乗って駆ける夢を観る。肘掛けの付いた椅子にぬくもり座っていて、道路の上、1メートルの空中を何処までも。落ちそうになると、体をグッと反らすとまた飛び続ける。自由? 普段、座りっぱなしの生活だから?