山村…古道を歩きたい | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Buyo ← アブの「ムシヒキアブ」「幼虫は土中や朽木中に棲み、甲虫の幼虫などほかの昆虫を捕食して育ち、成虫は他の昆虫を捕え、その体液を吸う。シオヤアブ等は、家畜やヒトなど脊椎動物に向かうこともある」(「ムシヒキアブ - Wikipedia」)とか。名前は、ネッ友に教えていただいた。

 

 仕事から帰って服を着替えてたら、靴下から指がちょろっと顔を見せていた。1ヶ所だけだし、誰も見てないんだから……。でも、棄てるしかないか。

 

 床屋さんに。客、少ない。週日だから? 入り口、開放。空気の流れを感じるってことは、通用口も開けてあるのか。ほんとにカットだけ。顔剃り、鬚剃りなし。何の説明もなく。事情は分かるけど、ひと言 説明すべきだよね。

 

 微風の晴れ。風がないってのが助かる。落ち葉掃除、拾いせずに済む。軽~く、竹箒で掃いただけ。

 

 ラジオで志村けんの「東村山音頭」をフルヴァージョンで聴いた。テレビじゃ編集されてるからね。改めて東村山を地図で確認。東京在住30年の我輩だが、東村山へ行ったことがあるかどうか不明。でも、わりと近くに所沢や狭山湖がある。その近辺へはバイクで行ったことがある。上京したその年に。50ccのバイクを駆って。交通量が半端なくて怖かった。3月末。幾つかの場面は記憶に鮮明。日記に書いてあるかもしれない。

 

 この度の検察庁法改変案、日頃は声をあげない芸能人らが発信したことが大きかった。現下のコロナ対応で露見したように、いかに日本のシステムが脆弱か、政治家の識見が足りないか、国民の声への感性が鈍いか。黙っていても政治家が何とかしてくれる、なんて大間違い。知らぬが仏でとんでもないことを平気でやらかす。二世議員の多くなった今日、国会議員は特に、世情に疎く成っている。芸能人に限らず一般国民が遠慮なく声をあげないと。別に芸能人に政治活動すべきというつもりはない。ただ、気が付いた時は意見を発信してほしい。同時にファンもそうした文化風土を尊重してほしいな。

 

Sanzon ← 岡田 喜秋【著】『定本 山村を歩く』(ヤマケイ文庫)「旅行雑誌『旅』の名編集長として知られた著者が、歩いて旅した日本全国の山里のようすを精緻に記録した紀行文三十二編を収録。一九七四年に初版が刊行された際は大きな反響があった名作を復刻し、未来に伝えたい山村の風景を再現する」 

 

 岡田 喜秋著の『定本 山村を歩く』を再読し始めた。車中での待機中に読むには最適の本。特に現下のような外出自粛の時節を鑑みると猶更。古道を歩く。地図を見ると、幹線道路の他にそれこそ毛細血管のように細い道が輻輳している。嘗ては馬で徒歩で、街道を迂回して使われたのだろう。しなびた隘路にも歴史が刻まれている。数知れない人々が行き交った。汗や涙や時には血だって流れたかもしれない。舗装されて今では覆われ見えなくなった道もある。そんな古道を思うと、胸がジーンと来るのはなぜだろう。

 

 万歩計。昨日のような在宅だと、指数は2500から3000くらい。今日、仕事の日。座りっ放しの仕事。なのに、指数は既に2400を越えている。夜の九時前には4800ほど。仕事してたほうが、健康的? 夜半には6000を超えていた。ほとんどがトイレへの往復。2か所あるトイレがタクシーから遠い。近いほうでも350。遠いほうだと700以上。日に数回、通うわけである。在宅の人は大違いなのだ。