異世界こぼれ話 その二十三 「ロズウェル事件研究を追ってみた 序章」 | Siyohです

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音楽とスピリチュアルに生きる、冨山詩曜という人間のブログです

さて、ロズウェル事件。それだけで一冊の本が書ける大ネタ。

1947年に起きた事件ですが、近年、死ぬ間際なら本当のことを言っても構わないだろう、ということで、当時のことを告白する人たちがどんどん増えてきていて、インターネットもますます整備されてきた結果、毎年新しい事実が発見されているようです。私のこの事件に関する知識は1980年代半ばで止まっていたので、この機会に少し本気で追ってみました。

 

まずはロズウェル事件について、ちょっと基本のおさらいです。

 

1947年7月8日、少し前に何かが落ちたけど、それは空飛ぶ円盤でした、というプレスリリースがロズウェル陸軍飛行場から発せられました。流したのは、第8航空軍第509爆撃航空群の報道官ウォルター・G・ハウト中尉(Lt. Walter G. Haut)です。この人はもちろん、上司の命令でそのリリースをしたのですが、そんな情報をリリースするなとかなり怒られたようです。そして数時間後に、実は気象観測用気球でしたというリリースが成されたのです。画像は当時の新聞ですが、その残骸と共に写っているのは、第509爆撃航空群情報局のジェシー・A・マーセル(Jesse A. Marcel)少佐です。

憂鬱そうな顔ですね。一体何を思っているのやら。実はこの少佐、ロズウェル事件が再び注目され始めるきっかけとなる一人となります。

 

ロズウェル事件の残骸を最初に発見したのはマック・ブラゼル(Mac Brazel)です。彼は、ロズウェルから北西に少し離れた位置にある、フォスター牧場の管理をしていました。1947年、6月後半か7月前半のある雷雨の夜、彼は雷鳴とは異なる、何か大きな音を聞きました。その音が気になって翌日見に行ってみると、牧場の一角にたくさんの残骸が散乱していたのです。

 

残骸には、とても薄いアルミ箔のようでいて、クシャクシャにしても元に戻ってしまう金属、木のようでいて燃やすことのできない物質、象形文字のようなものが書かれた紫色に輝く長い物体などがありました。ブラゼルは隣人のロレッタとフロイド・プロクター夫妻(Loretta and Floyd Proctor)に、木のような、とても軽い物質を持っていって見せ、それが切れないし、燃やせないことを試してもらっています。そして彼は翌週の月曜日、ロズウェル陸軍飛行場近くに住むジョージ・ウィルコックス保安官(Sheriff George Wilcox)に連絡します。この後でジョージ・マーセル少佐などが現場に来て、ブラゼルと同様に、その不思議な残骸に驚き、最終的にプレスリリースとなりました。

 

プレスリリースの修正後、ある日、フロイド・プロクターとその友人が、ブラゼルが軍の人たちに囲まれて歩いているのを見ました。ブラゼルには彼らが見えているはずなのに、何も声をかけようとはしません。ロレッタの証言によると、ブラゼルは5,6日後に戻ってきて、勾留中、「お前が見つけたものは気球だ」と言われ続けたとのことです。彼はそんなに長く勾留されたことにショックを受け、「もう一度あんなものを見つけても、絶対通報しない」と言い、それからは墜落のことも話さなくなり、1963年に亡くなりました。

 

そして、ほぼ忘れ去られたようになっていたこの事件を掘り起こしたのはスタントン・フリードマンです。彼は物理学の学位を持ち、数々の企業でエンジニアとして働いていたのですが、UFO問題に興味を持ち出し、1960年代中ごろにエンジニアの仕事を辞め、全時間をUFOの研究と講演に注ぎ始めました。随分思い切りましたね。この分野にはそれだけのエネルギーを注ぐ価値があると感じたのでしょう。そして1978年ロズウェルに行き、マーセル少佐にインタビューを行ったのです。

 

マーセル少佐はこの1978年のインタビューで、残骸は気象観測用気球の破片なんかではなかったと主張しながらも、ロジャー・M・レイミー(Roger M. Ramey)准将の命令で何も言えなかったと告白しています。彼はさらに、破片の中には象形文字のような文字が刻まれているものがあったこと、ある破片はとても薄いのに破壊したり燃やしたりできないし、曲げることさえできなかったと言っています。実際彼らは、16パウンドのハンマーまで使ったとのことです。翌年、少佐はドキュメンタリー番組「UFOs Are Real」に出て、同主張を繰り返すと、ロズウェル事件に対する関心が一気に高まりました。

 

このドキュメンタリーでは、バーニー・バーネット(Barney Barnett)という人物が、残骸が発見された場所であるフォスター牧場とはとても離れた場所、プレインズ・オブ・サン・アグスティンで、7月の初めに墜落した円盤と、宇宙人を見たという話も、さらりと紹介されています。バーニー・バーネット自身は、ロズウェル研究が始まる前に、1969年に亡くなりました。彼の目撃談は、スタントン・フリードマンが1978年にベミジー州立大学で講演を行った後、バーネットの友人であるマルテーズ(Maltais)夫妻によってもたらされたものです。

 

ちなみにフォスター牧場とプレインズ・オブ・サン・アグスティンがどれくらい離れているかと言うと、こんな感じです。

地図のピンがある場所がプレインズ・オブ・サン・アグスティン。赤い四角がフォスター牧場。だいたい200kmは離れています。実はこの目撃談、翌年に出版された本にかなり詳しく書いてあります。

 

ロズウェル事件について書かれた最初の本と言われる「The Roswell Incident」が1980年に出版されました。著者はチャールズ・ベルリッツ(Charles Berlitz)とウィリアム・L・ムーア(William L. Moore)。日本語訳は「ロズウェルUFO回収事件」として出ています。著者の中にフリードマンはいませんが、彼は裏でかなり協力していたようです。そこに書かれているバーネットの話をまとめると、次のようになります。

 

マルテーズ夫妻はバーネットからこの話を、1950年2月に、数年前の話として聞いたそうです。バーネットはニューメキシコ州の土壌保護局の仕事をしていた人です。彼はある朝、2km程先にかなり大きな金属製と思われる物体があるのを見ました。飛行機の墜落かと思ってそこに行ったところ、それは直径が8〜9mほどの円盤状の物体だったのです。バーネットがそれを、一体何なのかと見ていると、別方向から何人かやってきました。彼らはペンシルヴァニア大学の考古学調査隊のメンバーで、やはり飛行機が墜落したのでは、と思って見に来たそうです。

 

調査隊の彼らはそれぞれ、思い思いにあちこちを歩き回りながら、散乱した残骸を眺めていましたが、バーネットはそのうちの何人かが固まっているのを見ました。そこには、死体があったのです。死体は人間ではありません。身体がとても小さく、頭は真ん丸で、目は小さくて周囲が異常にくぼんでいます。また、身体に比較して頭が異常に大きい。そしてグレーのワンピースの服を着ていました。ファスナーやボタン、ベルトの類は一切見えませんでした。この死体をもっと詳しく見ようとしていたときに、軍隊がやってきて、彼らは皆、何も見なかったことにして、この場をすぐに立ち去るように言われたのです。

 

ロズウェル事件の中で、実際にエイリアンらしきものを見たという目撃談はこれが初めてのようで、研究家たちはその扱いに悩みました。実は二箇所に墜落したのか、フォスター牧場では落ちかけただけで、実際にはこちらに落ちたのか、いや、こんな又聞きの話は信用できない、など、研究者たちの意見が分かれる中、1984年にとんでもない怪情報が出てきました。それはMJ-12(マジェスティック12)に関する一連の文書です。

 

1984年12月11日、テレビプロデューサーのジェイム・シャンデラ(Jaime Shandera)が匿名の郵便小包を受け取りました。彼はUFO研究家繋がりの、1980年に本を書いたムーアを頼り、中に入っていたフィルムを現像したところ、そこには下記のようなことが載っていました。

 

1947年のあるとき、ニューメキシコ州のある牧場主から、ロズウェル陸軍飛行場の北西、約120kmの彼の牧場内に未確認飛行物体が墜落したという報告がなされ、7月7日、その物体(残骸)の回収作業が秘密裏に開始された。そしてその作業中、航空機による上空からの調査で、残骸回収現場の東方約3kmの地点において、人間に似た小型生命体の遺体が四体発見された。それらは、死後約一週間に渡り捕食動物と大気にさらされ続けたことで、著しく変形していた。遺体は特別科学研究チームの手で回収、移送され、飛行物体の残骸も回収後にいくつかの異なった施設へと移送された。

 

軍は目撃者たちに対して、見たことを口外しないよう強く念を押し、記者連中に対しては、気象観測用気球が墜落しただけだという効果的なニセ情報を提供した。残骸に関する秘密研究の結果、1949年9月19日、トワイニング空軍大将(Gen. Twining)とラッシュ博士(Dr. Rush)の間で、その飛行物体はおそらく地球以外の天体からやってきた短距離用偵察機であろう、という合意が成された。

 

四つの死体に関する研究では、彼らは外見は人間に似ているが、生物学的にも進化学的にも、ホモサピエンスとは全く異なった生命体のようだという結論が出され、より詳細な事実が判明するまで、彼らを〝地球外生命体 (Extra-terrestrial Biological Entities)″あるいは、その頭文字を取って〝EBE″と呼ぶことが決定された。また、残骸の中からは文字とおぼしきものが多数発見されているが、その解読にはまだ成功していない。この飛行物体の推進原理、動力源等についても、今のところ全く不明である。

1949年9月24日、上記の内容をさらに研究していくために、トルーマン大統領の元に、ロスコー・H・ヒレンケッター海軍大将、ヴァネヴァー・ブッシュ博士、ジェームズ・フォレスタル国防長官、ネーサン・ファラガット・トワイニング空軍大将、ホイト・ヴァンデンバーグ空軍大将、ロバート・モンターギュー陸軍大将、ジェローム・ハンセーカー博士、シドニー・サウアーズ安全保障会議秘書官、ゴードン・グレイ国防動員局(ODM)長官、ドナルド・メンゼル博士、デトリーブ・ブロンク博士、ロイド・バークナー博士の12人からなるMJ-12が結成された。

 

と、こんな感じの内容が、当時の極秘文書の流出という形でフィルムに写っていたのです。この文書の研究にはフリードマンも加わり、慎重に調査が進められていました。ところが調査を開始して間もなく、彼らのもとにニュージーランドから差出人不明の謎の手紙が届き、その手紙にはワシントンDCの国立公文書館へ行くように書かれていました。そしてムーアとシャンデラが1985年7月に公文書館へ向かうと、機密が解除された数百箱の書類の中から、アイゼンハワー大統領の補佐官ロバート・カトラー(Robert Cutler)による1954年7月14日付けの覚え書きが出てきたのです。その覚え書きには、「MJ-12特別研究プロジェクトの概要説明」を、「7月16日に予定されているホワイトハウスでの会議で行う」ことが書かれていました。

 

三人はさらに調査を続け、1987年5月29日についにその内容を公開しました。その発表は非常に反響を呼びましたが、残念なことにあちこちから、これらの文書が明らかに偽造であると言える証拠が寄せられて来ました。終いにはFBIが乗り出してきて、彼らも偽物だという結論を下しました。当時のFBI文書は現在閲覧可能なのですが、ここに紹介する画像はその一枚で、MJ-12文書の1ページ目に大きく「BOGUS(偽物)」と書かれています。

三人が見つけた公文書も、調査によって、何者かが公文書館に紛れ込ませた偽書であることは明らかだと言われています。

 

そう。この文書は確かに、当時の文書ではなく、後からそれを真似て書かれたのだと思えます。とは言え、内容があまりに真実っぽいのです。そのため、この文書の内容を真実とみなすかどうかで、研究家たちのさらなる対立が起きてきました。なお、マジェスティック12は、マジョリティー12という、実際に存在した委員会をごまかすための隠れ蓑だと言っている人もいます(ウィリアム・クーパー)。

 

そんな混沌の中、1989年に出てきた二人の重要人物がいます。それはグレン・デニス(Glenn Dennis)とジェラルド・アンダーソン(Gerald Anderson)です。

 

まずはデニスが、1989年、スタントン・フリードマンによって見いだされました。デニスは当時、ロズウェル陸軍飛行場と契約しているバラード葬儀院(Ballard Funeral Home)で働いていました。彼はそこで、死体保存技術を見習いとして学びながら、救急車の運転もしていました。フリードマンは、基地の近くの葬儀院に勤めていた人なら何か知っているかもしれないと考え、その年の8月5日、デニスにインタビューすることになったわけです。そこでデニスは、当時基地で働いていた仲の良い看護師が、奇妙な、小さな人間のような死体の解剖に付き添ったことを話してくれた、と語ったのです。

写真は当時のデニスです。その後すぐ、9月20日に「Unsolved Mysteries(未解決のミステリー)」というTV番組でロズウェル特集が放映されました。

00:19:17から最後までがロズウェル特集です。

 

番組では、元々のフォースター牧場の墜落をかなり詳しく紹介しただけでなく、バーネットが見たという墜落に関してもかなり紹介しました。そして最後に、情報をお持ちの方はこちらに電話して、となったのですが、デニスはこの際に電話をしたようです。そして彼の存在は、番組スタッフからフリードマン以外の研究家にも伝わり、注目を引き始めました。彼の話の詳細については、もう少し後で紹介します。

 

この番組にもうひとり電話してきた人がいます。それがアンダーソンです。アンダーソンは番組に電話してきて、バーネットが見た宇宙船の形は、自分が見たのとは違う、など色々話し始めたのです。

写真は1991年にインタビューを受けているアンダーソンです。彼の出現にフリードマンは狂喜しました。今まで判然としなかったバーネットの情報を裏付ける人が出てきたのですから。

 

フリードマンは、1991年当時アンダーソンが住んでいたスプリングフィールドでセラピストをしている、ジョン・カーペンター(John Carpenter)の力を借りることにしました。彼は、UFO研究家のネットワークであるMUFONの一員なのです。カーペンターはアンダーソンと何度もセッションを持ち、時には催眠も使いながら、当時まだ6歳だった彼の記憶を探っていきました。

 

プレインズ・オブ・サン・アグスティンに何人かで珍しい石を探しに行ったとき、円盤がクラッシュしているのを見つけました。3体の生物が地面に横たわっていて、2体は動いてません。そしてもう一体は、肋骨が折れてでもいるかのように、苦しそうに息をしていました。4人目もいて、それは他の人に応急処置をしていました。

 

彼に関して詳しく書くとまた長くなってしまうので、ここでは、彼の話を本当だと思う研究家と、作り話だという研究家がいて、私は本物だと思うとだけ書いておきましょう。実際、ロズウェル事件関連は、誰か一人についてのエピソードを書くだけでもかなりのボリュームになるのです。そして私が詳しく書きたいのはアンダーソンではなく、もう一人のグレン・デニスについてなのです。

 

ということで、次回はグレン・デニスの語る、エイリアン解剖の情報について、詳しく迫ってみたいと思います。