吉村昭作品 読書ガイド

「戦史」「幕末から明治の歴史的事件・人物」「医学史に残る医師」「動物」「江戸期の漂流記」「脱獄・逃亡」「難事業に挑戦する男達」「純文学作品」「私小説」「エッセイ」・・・。 幅広いジャンル・テーマで数多くの魅力的作品を残した小説家・吉村昭のトータルな読書ガイドをめざします!

☆最新掲載記事
『遥かな道』(2014年11月26日)

このブログは、小説家・吉村昭の作品の魅力を伝えるとともに、どの作品を読むかを決めるうえで役に立つ情報の提供を目的としたものです。

吉村昭は多数の作品を残しています。多くの作品の中から、次に読む作品を選ぶ際の参考となるよう、全長編作品および主要な短編集やエッセイ集等を一つ一つ簡単に紹介・解説するほか、氏のエッセイに書かれた各作品にまつわるエピソードなども紹介していきます。

*各作品紹介の最後には、単行本としての刊行年と現時点での文庫版名を( )に書いています。なお、絶版となっているものもあります。


作品を読み終えたのち、関連する分野の作品を続けて読みたいというニーズもあるかと思います。その際の参考となるよう、私なりの視点で作品を分類してみました。

このうち、長編作品については、「長編作品全56作」についての分類私のお薦め作品群をはじめとする解説記事をアップしています。

短編小説集についても、全39作品の分類お薦め作品をアップしたところです。

このほか、「私小説・自伝」「エッセイ集」や各ジャンルについての解説記事をまとめた「読書ガイド」、そして妻・津村節子が吉村昭について書いた作品や評論家等による吉村昭論を分類した「津村節子」「吉村昭を語る」というカテゴリーも設けています。

※このブログを作成するにあたっては、HP「吉村昭資料室」(吉村昭の著書一覧や年別の著作(エッセイ等も含む)一覧など、参考になるデータなどが多く掲載されています。)や『吉村昭資料集1』(桑原文明・編)を参考にさせてもらっています。

※現在、記事掲載を中断しています。(今のところ再開メドは立っておりません・・・)

津村節子の対談12編を集めた1冊。
 

12編のうち、吉村昭との夫婦対談(1970年)を除けば、
いずれも吉村昭没後に行われた対談をまとめたもの。

 

対談の内容は、津村節子自身のことと吉村昭にまつわることがメイン。

前者の中で多くを占めるのが、吉村昭を看取ったときのことや亡くなった直後の状況、
それに続く津村節子の心境、暮らしぶりといった話。
『紅梅』や『遍路みち』で津村節子自身が書いているが、本書の対談からも、
津村節子が吉村昭へ寄せる深い愛情、信頼といったものが、確固たるものとして伝わってくる。

 

吉村昭については、対談相手と吉村昭の関係により、話の深さに違いはあるものの、
それぞれの対談で何らかの言及がある。
特に大河内昭爾氏や瀬戸内寂聴氏といった、古くからの友人との対談では、
生前の吉村昭についての想い出話で盛り上がったり、彼らによる吉村昭評もある。


 

津村節子は本書「あとがき」で、“これは対談集というより、私の貴重な人生録である。”と記している。
この1冊を読むだけでも、彼女の人生の中でいかに吉村昭の存在が大きかったか、という事がよく分かるだろう。


(平成26年刊行/河出書房新社) 

吉村昭のエッセイの主要ジャンルが、食べものや酒の話。本書はそれらを集めたものだ。

氏は自分のことを「酒好きだが食通ではない」という。
食べものにはそれ相応の代金があるべきで、いくらおいしくても代金が凄く高ければ、
それはもはや食べものではないとまで言い切る。
適度な値段でおいしく食べられるものこそが、氏の言う「うまいもの」なのである。

食糧難であった時代の記憶が、抜きがたく氏をとらえているのだ。



このエッセイ集には、氏の故郷である東京の下町をはじめ、
氏が好んで旅した長崎、宇和島、札幌ほか、全国各地の酒や食べ物、それらを出す店が描かれる。

うまいものと過ごす時を、味わい楽しむ氏の様子が目に浮かんでくる。


(平成22年刊行/河出書房新社) 

吉村昭の対談集。

対談相手は、城山三郎・吉行淳之介・半藤一利・沢木耕太郎をはじめとする10名の作家・評論家・学者・編集者。
対談時期は1970年から2001年まで。


小説とノンフィクションの違いや東京で体験した戦争の話など、内容も幅広い。

異色のところでは、『Number』誌上で沢木耕太郎と主にボクシングをテーマとした対談がある。
吉村昭には、初期にボクシング選手を題材とした作品がある(『孤独な噴水』「鉄橋」など)ことから、
ボクシングについてスポーツ専門誌で対談しているのである。


吉村昭が相手から問いかけられて答えたり、相手が吉村昭を評したりすることで、
氏の作家としての矜持や信念が浮き彫りになる。
エッセイとは違った形で、吉村昭という作家の姿が見えてくるのが、対談集の魅力である。


(平成21年刊行/河出書房新社) 

本書は、タイトルにあるとおり、人をテーマとしたエッセイばかりを集めたもの。
著者のエッセイ集としては初めての切り口ではないだろうか。

それに加えて、他のエッセイ集では語られたことのない話が多いせいか、新鮮な印象がある。
著者の死後に出されたエッセイ集は、そうしたネタが入っていることが多いのだが、
本書は少々色合いが違うように感じるのである。


本書に登場する人物は、家族、友人、調査の過程で出会った人、
恩師、なじみの床屋さんから街中で見かける人まで幅広い。

もちろん、著名人も出てくる。
文壇では、吉行淳之介、新田次郎、伊藤整、大岡昇平、宮尾登美子、城山三郎、池波正太郎・・。
スポーツでは、王貞治、北の湖、輪島巧一・・。


本書で描かれる人達の言葉、行動、生き様を通じて、著者の姿が浮かび上がってくる。
そこがエッセイの面白いところだ。


(平成23年刊行/河出書房新社) 

このエッセイ集の中で、吉村昭が出てくるのは一部の作品にとどまる。
タイトルや帯の宣伝文句からすると、肩すかしの感はぬぐえない・・。

 

5章のうちの最終章「夫婦の時間」に収められたエッセイそれぞれに、
何らかの形で吉村昭が登場するのだが、
津村節子のユーモアのセンスが随所に発揮されているのが目立つ。


頑な面があり、機械やコンピュータに弱く、
意外な行動をすることもある吉村の様子が巧みに描かれており、
ちょっとした笑いを誘う場面が何箇所もある。


 

マニアックな話になるが、
本書の中で私が注目したのは、吉村家の飼い犬の事を題材とした「賢犬、愚犬」である。

吉村家で長年にわたって飼育されていた犬たちにまつわる思い出話なのだが、
吉村昭のエッセイでは飼い犬の話を読んだ記憶がない。
その気になればいくらでもエッセイのネタとして使えたはずだが、
(ほとんど)書いていないのはなぜか?

吉村昭にとっての飼い犬は、
あくまで「妻と子供達のもの」だったことがその理由ではないか、と思っている。
 

 

(平成25年刊行/河出書房新社(新書))

『評伝 吉村昭』を読んだ。


全編にわたる丁寧かつ網羅的な記述ぶりは、さすがにプロの仕事である。こうやって、吉村昭の生きざまや作品群が紹介されることにより、ファンが増えていくのだろう。本書が少しでも多く読まれればと思う。

 

本書に記述のある執筆プロセスやエピソードは、基本的に吉村昭のエッセイが元ネタとなっているが、「私ならあの話を載せたかった」と思う箇所がいくつもあった。もちろんそこは著者の好みであり判断の範疇という話ではある。


作品群の分類方法についても、私のものとは違うところがある。これも当然の話なのだが、同時に、私の分類方法も決して筋が悪いわけではない、という思いを持った。


 

本ブログでは、『評伝 吉村昭』には載っていない諸エピソードをカバーしているし、同書とは異なる観点からの分類も提示している。またプロではやりにくいであろう「お薦め作品」もあえて選定した。


自画自賛にはなるが、本ブログには吉村昭作品を世に広めるという点で、一定のオリジナリティがあり、多少なりともその役割を果たしているのだと、少しばかりの自信も湧いた。これをモチベーションにして、引き続き本ブログの充実を図っていこうと思う。

吉村昭の作家人生をトータルで描いた「評伝」。


吉村昭という作家が遺した多くの作品の全体像とそれらを生み出した作家の生きざまが、この本からは見えてくる。


 

著者は、吉村昭の作品を年代順を基本にして丁寧に紹介する。このうち長編については全作品を解説しており、短編集も大半の作品について何らかの記述がある。

 

各作品の紹介は、本文や文庫本巻末の解説からの引用をメインとし、作品の執筆プロセス・エピソードや同分野の関連作品にも言及する形で進められる。その中で、吉村昭が何につけ「徹底した調査」を行っていた事についても繰り返し描くことで、吉村昭の作家としての特質が分かる、というスタイルになっている。

 

また初期の文学賞候補作・受賞作についての、選考委員達のコメントを詳しく紹介しているのも、特色の一つであろう。

 

本書は年代順の記載となっており、その時々で吉村やその家族にどのような出来事があったのかも、随所に書き込まれている。これにより、吉村昭の半生が語られるという構図になっており、作品解説とあわせ、トータルに作家・吉村昭を描き出そうというのが、著者の意図するところなのである。

 

吉村昭ファンならこの本を手元に置き、作品を読むたびに本書でその解説を見るのもよし、次に読む作品を探す際の手掛かりにするのもよし、いろいろな読み方ができるだろうと思う。


 

※著者は1942年(昭和17年)生まれ。

山形新聞社で主に文化欄を担当し、1998年に退社。
  その後『ひさし伝』や『藤沢周平伝』等を著した。
  本年
4月、本作品の刊行を見ることなく死去。


2014年/白水社)

吉村昭は多くのエッセイを書いているが、同世代や自分よりも若い作家について語ったものはごくわずかである。
他の作家との交流がほとんどなく、また「(自分には)評論家の才質などなく小説を書くことのみに専念していた」(「凛とした世界」(エッセイ集『私の好きな悪い癖』所収))ことによるのだろう。

 

そうした中、吉村が評価していた数少ない作家として、「吉行淳之介」「城山三郎」「三浦哲郎」「宮尾登美子」が挙げられる。


 

吉行淳之介については、その文章の素晴らしさを強調しており、例えば「吉行氏の作品に魅せられる人はその文体に魅せられた人であり、小説は文体である、とあらためて思う」と書いている。(前掲同)

 

城山三郎とは生まれが同年ということもあり、吉村も親近感を抱いていたようである。(例えば、エッセイ集『ひとり旅』所収の「荒野を吹きすさぶ風の音」)また、その作品については「(城山)氏は経済がからまる小説を書く第一人者なのだ。」「(経済用語は)非文学的なものなのである。それにもかかわらず(中略)なんの抵抗感もなく私の内部にしみ込んでくるのはなぜか。(中略)文字の配列に、詩人の冴えた眼が光っているのを感じていた。」(「昭和二年生まれの眼差し」(エッセイ集『その人の想い出』所収))と述べている。

ちなみに、吉村昭と城山三郎の二人について、その作品群や作家生活を評した
『作家と戦争 城山三郎と吉村昭』(森史朗著)という著作がある。

 

三浦哲郎への評価も非常に高く、エッセイの中で「現代日本の文学で、三浦さんの存在はきわめて貴重であり、三浦さんという作家がこの地上にいなかったら、日本の文学は淋しいものになっていたはずだ」と書いているほどだ。(「畏敬の念」(エッセイ集『その人の想い出』所収))

 

最後に、宮尾登美子とは太宰治賞の受賞者という共通項があり、その縁で知り合ったという。彼女についての吉村評は「読者を裏切ることの決してない作品を着実に次々書き上げている」「宮尾さんの内に蔵した小説家としての力は巨大で、年齢を重ねるにつれてさらに大輪の花を開かせるはず」というものである。(「“連”と“櫂”」(エッセイ集『その人の想い出』所収))


 

※吉村昭が、作家修業の際のいわば手本として見ていた小説家について語ったのが、『わが心の小説家たち』である。

 

吉村昭のエッセイ集最新刊。

 

雑誌・新聞に掲載されたが単行本・文庫本には未収録、という作品が集められ、新たに一冊の本として出版される。没後6年半が経ち、こうした形で刊行された本は10冊を超えており、本書もそのうちの1冊である。

 

新聞連載のコラムを中心にまとめたもので、ほぼ全てが3~5ページという短い作品である。年代的には、約6割を70年代のものが占め、残りが8090年代となっている。70年代の作品は社会批評的な内容が目立ち、それ以降のものは日々の生活や戦争に関する話、そして小説執筆にまつわるエピソード的な作品が中心となる。

つまり、キャリア初期の頃から、70歳に入った頃までの幅広い時代のエッセイを収録しているという点が本書の特徴と言える。

 

他の多くのエッセイに出てくる話とかぶる内容も多いが、本書に収められた様々な種類のエッセイを読んでみると、吉村昭は何につけ、物事を実にしっかりと見ているのだと改めて感じるのである。

 

本の帯に書かれているとおり、吉村昭は「観察の達人」なのだろう。

 

20141月刊行/河出書房新社(新書))

※2014年7月2日、河出書房新社は本書について、著作権を持つ津村節子氏の最終的な了解が得られないまま出版した事を理由に、販売を中止すると発表した。(時事通信社記事) 

 

 

津村節子の義兄、義弟はともに日本郵船()の元社員。吉村昭は、作品やエッセイの中でお二人のことを何度か書いている。

エッセイ「津村節子 居候の盗み酒」(別冊文藝『吉村昭』収録)では、この義兄が海外出張で買ってきたスコッチウイスキーを津村節子がこっそり飲んでしまい、義兄が酒を飲むたびに嘆く、という話しが出てくる。また、『戦艦武蔵ノート』には、義兄と酒を酌み交わすようになった経緯も(面白おかしく)書かれている。

なお、義兄については、津村節子の『ふたり旅』(p102-104)に、姉との結婚に至る経過が記されている。

 



また義弟は、郵船の造船担当部署に勤務していたことから、吉村昭は『戦艦武蔵』の執筆にあたって彼に船のことをいろいろと聞いたり、武蔵建造の関係者を探してもらったりしている。(『戦艦武蔵ノート』にその時のことが書かれている。)また、初期の心臓移植手術をテーマにした『神々の沈黙』の執筆記録ともいえる『消えた鼓動』には、南アフリカに行った際、義兄の紹介により現地で日本郵船の駐在員に会い展望塔に登ったという話しも出てくる。


このほか、近海郵船のフェリーやその船長のこと、郵船系のヨットクラブも、エッセイや短編小説の題材になっている。(後者は、それと明示はされていないが)

偶然かどうかは分からないが、日本郵船の宮原耕治・代表取締役会長はインタビューの中で、好きな作家として、吉村昭を挙げている。(理由は「日本・日本人について深く考察されている。」とのこと)
インタビュー記事(財部誠一を囲む経営者リレー対談・経営者の輪)HP



私は若い頃の一時期、日本郵船の社員だった。このため、吉村作品に「郵船ネタ」が出てくる事に反応したのである。


 

東日本大震災で大きな津波被害を受けた三陸沿岸部。その北部にある田野畑という小さな村(岩手県)は、吉村昭が初めて文学賞をとった「星への旅」を構想した場所として、作家吉村にとっては大切な場所となった。(平成8年には吉村昭唯一の文学碑が村内に建てられた。)


また吉村家ではこの地を何度も訪れており、妻・津村節子にとっても田野畑は思い入れのある土地なのである。(村内の道路橋開通を記念して津村が詠んだ詩が、詩碑としておかれている)

 

この作品は、長い年月を経て築かれた夫妻と田野畑村との絆を語った前半部と、大震災後の田野畑村について、現地を訪れた時の様子も含めて記した後半部からなる。

 

辺境とも言えるような土地と、そこに暮らす人々への著者の愛着は深く、それゆえ津波に襲われた田野畑を案じる著者の気持ちも切実だ。震災の13カ月後にようやく現地を訪問し、そこで見た傷跡の数々に大きな衝撃を受けながらも、しかし村の人々のたくましさや強さを目にして、著者は少し安堵もし、この村の未来に光も見出すのである。

 

『三陸の海』は、吉村・津村夫妻の物語として読むこともできるのだが、それとは別に、津村節子の田野畑村に対する温かい眼差しと、村そして村民の再生を願う著者の強い気持ちが印象に残る一冊であった。


 


 

 

田野畑村HP⇒「吉村昭・津村節子」のページ


*同HPの「記念碑・句碑」のページには、吉村昭文学碑と津村節子詩碑が紹介されている。 

 

(2013年/講談社)


 

11月16日の日経新聞夕刊(10面)の連載記事「文学周遊」で、吉村昭の「魚影の群れ」が取り上げられている。記者が、作品の舞台となった青森県大間を訪ね、実際に船にも載ってマグロ一本釣りの海を体感している。

記事によると、「魚影の群れ」によって、大間のマグロ一本釣りは、一躍有名になった。今では、セリで超高額な値がつくことでも有名だが、それでもマグロだけで食べていけるのは、20-30人だけなのだという。

吉村昭には、時が経つ中で埋もれてしまった人物や出来事を掘り出し、その人物等に再び光が当たることになった、という作品がいくつもある。「魚影の群れ」は、こうした作品群とは少し違うけれども、吉村昭の作家としての鋭い嗅覚が発揮された、その典型例ということになるのだろう。


こうやって、色々な形で吉村昭作品が世に紹介されるのは、ファンとしては嬉しいことだ。


※「魚影の群れ」は短編集『魚影の群れ』所収
※『魚影の群れ』は、私のおすすめ短編集10冊のうちの一つ

話題の映画『風立ちぬ』。
その主人公である堀越二郎氏は、吉村昭の戦史小説『零式戦闘機』(の主に前半部分)に多く登場する。


吉村昭は、同書を執筆するにあたり、堀越氏の共著作『零戦』を参考としたのみならず、「殊に堀越氏にはその著書の根底となった当時の文書類を多量に提供していただき、航空技術上の懇切な指示を受けた」(同書文庫版あとがき)。また、同氏の自宅を何度も訪れて話を聞いたほか、ゲラを送っては氏の感想を聞いた(『回り灯籠』所収のエッセイ「短刀と小説」)という。


吉村は同氏のことを「尋常ではない研ぎ澄まされた神経を持っておられ」と評し、あるとき同氏から、“プロペラ構造に関する吉村の記述は75点であり、正確を期すために、自分の小論文を写すように”と言われたというエピソードも書いている。(同)(ちなみに、吉村は、自分の小説に他人の文章を入れることはできない、としてこの申し出を断ったという。)


『零式戦闘機』では、設計主任・堀越を中心とした三菱重工の設計部隊が、海軍からの過大とも言える要求に苦悩しつつも、工夫に工夫を重ね、先進諸国を超える戦闘機を生み出すプロセスが克明に描かれている。

映画『風立ちぬ』をご覧になった方には、是非、この小説も読んでいただきたいと思う。戦争というものの重苦しさや戦闘機の開発に心血を注ぐ男達の姿が、ずっしりと感じられるだろう。

なお、映画で描かれた「飛行機づくりへの夢」という点に関心を持たれた方には、吉村昭『虹の翼』をお薦めしたい。日本で初めて飛行機の原理を見出し、飛行機づくりに情熱を注いだ二宮忠八氏の生涯を描いた好編である。


※本ブログ読書ガイド 『零式戦闘機』  『虹の翼』

 



 

最後まで残っていた『吉村昭の平家物語』を読み終え、今日、ブログにもアップ。

これで、(単行本や文庫本に収録されていない短編やエッセイを除き)全作品を読んだことになる。
ひとつのゴールに到達したようで、少しばかり感慨も湧いてくる。

現在、エッセイ集等の「小説」以外の本についての分類作業を実施中で、遠からずアップする予定。そのあとは、「作品ゆかりの地シリーズ」のようなテーマ記事をいくつか書こうと考えている。


このところ、本ブログへのアクセス数やページ閲覧数がかなり増えている。
HP「吉村昭資料室」からリンクを張っていただいた効果もあるし、グーグル等の検索からダイレクトに、というケースも増えている模様。吉村昭の根強い人気を実感するとともに、吉村昭作品の認知度アップに本ブログが少しばかりでも貢献している、という手ごたえも得ている。

もともとは、少年少女向けの「古典現代語訳」シリーズの一つとして書かれたもの。このため、忠実な現代語訳に比べて、三分の一から四分の一くらいのボリュームになっているが、吉村昭は現代語訳にあたり、原文の雰囲気を残すことやあまり平易にしすぎないことを意識した、という。(文庫版の「解説」)

 

実際、大人が読んでも決して易しすぎるということはないだろう。次々に場面が展開し、多数の人物が入れ替わり立ち替わり登場し、そして多くの者が命を落としていく。栄華を極めた平家が急速に傾き、やがては滅んでいく様が描かれ、まさに無常を感じずにはいられない。

 


いかんせん「平家物語」については、中学・高校の歴史教科書レベルの知識しかなく、さらに言えば、さほどの興味も持っていない私にとって、この本は吉村昭作品といえどもかなり敷居の高いものだった。多数ある作品の中で、この本を読むのが一番後回しになってしまったのも、当然だろう。
それでも、読み始めてみると、他の作品同様、流れに引き込まれるようにして、挫折するどころか面白さを感じつつ読み終えることができた。

 


※吉村昭にとって、古典の現代語訳はこの作品のみ。それには理由がある。この本の執筆を進めているとき、吉村は「なんとなくひそかに盗作して筆を進めているような、後ろめたい意識にとりつかれはじめた」「自分の創意を働かせることを全く禁じられていることにも(中略)息苦しさを感じた」「小説を書いている時の緊迫感などなく(中略)うつろな気分であった」。このため、二度とこういう仕事はしないことに決めたというのである。(エッセイ集『履歴書代わりに』所収の「動かなくなった万年筆」)

 

(平成4年刊行/講談社文庫)

吉村昭の小説には、日本国内の様々な場所が登場するのだが、その中にあって、特に多いのが、「北海道」「東北」「愛媛」「九州」「沖縄」である。

 本ブログでは、これらの場所・地域に関連する作品をまとめて(続けて)読みたいというニーズがあるかもと考え、上記地域ごとに「作品ゆかりの地」として、関連作品を紹介している。

 

 ①「長崎1」「長崎2」 ②「愛媛」 ③「九州(長崎以外)・沖縄」 ④「東北」 ⑤「北海道」

 

また、私小説やそれに近い作品では、吉村昭が生まれた東京・日暮里周辺、戦時中に一時暮らしていた浦安、結核の療養のために滞在していた那須、そして先祖代々の地である静岡といった土地が舞台となっているケースが少なくない。

 

HP「吉村昭資料室」には、作品ゆかりの地等を紹介したページがある。写真入りで解説されており一見の価値あり。こちらへ

 

『小説新潮20074月号』の特集「吉村昭 矜持ある人生」では、作家・佐々木譲による「海馬」『破獄』「脱出」『羆嵐』等の舞台を訪ねた紀行文が掲載されているほか、長崎・宇和島・北海道・東京の吉村昭ゆかりの場所が写真付きで紹介されている。

 

なお、上記「ゆかりの地」について述べているエッセイがいくつもあるが、これらについては項を改めて紹介したい。

「作品ゆかりの地シリーズ」の最終回は、いよいよ北海道。リストアップしてみて、多くの作品の舞台となっている事が改めて実感された。

 吉村昭の北海道訪問回数は(2001年時点で)150回を超えていた(エッセイ「『西』より『北』に親しみ」(『縁起のいい客』所収))。これだけの数の北海道関連作品を書いた、その裏付けとしての数字だと言えよう。


 

【長編作品】


◆北海道が主たる舞台となっている作品


○『羆嵐』

 大正時代、苫前町三毛別という小さな開拓村に巨大ヒグマが現れ、村人が何人も喰い殺されるという大事件を、詳細に再現した作品。全編にみなぎる緊迫感が印象に残る。

 

○『赤い人』

 明治の北海道開拓期。月形村の原野に監獄が建設されることとなり、囚人が続々と送りこまれてきた。厳しい気候の下、囚人の手による工事が進む。

 

○『間宮林蔵』

 ロシアと樺太が陸続きではないことを初めて確認した間宮林蔵。若い頃、幕府に雇われて蝦夷地さらにはエトロフ島を測量で回ったり、とメインの樺太探検を含め本書前半は北海道エリアで物語が展開される。


 

◆北海道が重要な場所として登場する作品


○『逃亡』

 軍隊を脱走した主人公が逃亡先として選んだのは、遠く離れた北海道。帯広近郊の過酷な建設現場で働くこととなった。

 

○『破獄』

 昭和198月、2度の脱獄のあとで主人公が送られたのが網走刑務所。主人公はここでも厳しい監視を巧みにかいくぐり、山中へと逃げ込んだ。

 

○『消えた鼓動』『神々の沈黙』

 世界初の心臓移植が南アフリカで行われてから約1年。小樽西方の蘭島海岸で溺れた若者が、札幌医大での心臓移植手術の臓器提供者となった。日本で最初の心臓移植を巡る疑惑に吉村昭が迫っていく。

 

○『海の祭礼』

 18486月のある日、一人のアメリカ人がボートで利尻島に漂着した。日本にあこがれを抱き、ハワイから捕鯨船に乗り込んで、遠い日本を目指したのだ。

 

○『北天の星』

 エトロフ島で番人をしていた中川五郎冶は、ロシア船の襲撃を受け、ロシアに連れ去られた。ロシアでの苦難の日々を経て、松前に戻って来た五郎冶は、やがてロシアで学んだ種痘術を試みる。

 

○『夜明けの雷鳴』

 フランス留学中に大政奉還の報せを聞いた高松凌雲は、急ぎ帰国。すぐに榎本艦隊の軍艦に同乗して箱館へ渡る。やがて戦闘が始まるが高松は医師としての任務を果たそうとする。

 

○『黒船』

 堀達之助は、1865年に通訳として箱館に派遣された。幕府が倒れ新政府が樹立されたが、堀は箱館に残ることを決意する。


 

◆その他の作品


○『蜜蜂乱舞』

 蜜蜂の採蜜のため、鹿児島からやってきた養蜂業者一家は、北海道上川郡でひと夏を過ごす。

 

○『花渡る海』『大黒屋光太夫』

 漂流先のロシアから帰国した主人公達は、幕府の取り調べを受けるため、まず箱館に送られた。

 

○『大本営が震えた日』

 真珠湾攻撃に向かうべく大艦隊が終結したのは、エトロフ島の単冠湾。軍は情報漏れをおそれ、島の通信を遮断した。

 

 

【短編作品】

 

(歴史小説)

○「幕府軍艦『回天』始末」(『幕府軍艦「回天」始末』所収)

 箱館を占領した榎本艦隊。追ってきた新政府軍艦隊も箱館に到着し、ついに激しい戦闘に突入する。

 

○「クレイスロック号遭難」(『死顔』所収)

 明治2211月、ロシア公使から樺太沖で消息を絶ったロシア船の捜索を依頼する公電が入った。条約改正の交渉中だった明治政府は、早速捜索に着手した。(本作は、未完成原稿に津村節子氏がタイトルを付し、文庫に収録されたもの。)

 

(動物もの)

○「羆」(『羆』所収)、「銃を置く」(『海馬』所収)、『熊撃ち』所収の6作品

 北海道で羆と対峙する猟師たちの姿を描いた作品群。

 

○「海馬」(『海馬』所収)

 知床・羅臼で海馬を撃つ猟師とその孫娘を主人公とした作品。

 

(戦争関連作品)

○「海の柩」(『総員起シ』所収)

戦時中、北海道・日高の漁村に腕の無い兵士の死体が多数漂着した。その背景には軍が秘匿しようとした出来事があった。

 

○「手首の記憶」(同)

 終戦前後、ロシア軍の侵攻を受けた樺太で起きた悲惨な事件。その生存者を道内各地に訪ねる新聞記者の姿。

 

○「烏の浜」(同)

 ポツダム宣言受諾から1週間、増毛町沖合で引揚者を乗せた船が国籍不明の潜水艦によって撃沈され、多くの犠牲者が出た。

 

○「脱出」(『脱出』所収)

 ソ連軍の侵攻が迫る樺太から、小舟に乗って北海道へと脱出した少年。彼は新たな土地で生きていく。

 

○「帰艦セズ」(『帰艦セズ』所収)

 戦時中、小樽で一時上陸した水兵は、定められた時刻に艦に戻らなかった。彼はなぜ帰艦することが出来なかったのか。

 

○「十字架」(『遅れた時計』所収)

 小樽近郊に不時着し山中に逃げ込んだ米兵。その死にまつわる隠された事実。

 

○「頭蓋骨」(『天に遊ぶ』所収)

 「烏の浜」の舞台となった地を再訪したときの話。

 

*「毬藻」(『メロンと鳩』所収)

 上記「頭蓋骨」の中で言及のある短編とは、内容的に見て「毬藻」の事と考えられるが、作中に具体的な地名は出てこない。

 

(その他)

○「銀狐」(『法師蝉』)、「父親の旅」(『遠い幻影』所収)、「見えない橋」(『見えない橋』所収)
 現代ものの人間ドラマ。なお、「見えない橋」は旭川が舞台である。

 吉村昭は岩手県の三陸海岸にある田野畑村の名誉村民である。というのも、作家の道を本格的に歩みだすきっかけとなった短編「星への旅」を始め、「海の奇蹟」『三陸海岸大津波』「幕府軍艦『回天』始末」という4作品が同村を舞台にするなど深い関連があるからだ。(この経緯については、エッセイ「小説の舞台としての岩手県」(『わたしの取材余話』所収)に述べられている。田野畑村HPには吉村昭のページがある。)

 この他、幕末の戊辰戦争を始めとして、何作もの吉村作品で東北各地が舞台として使われている。本項では、これらの作品群について簡単にまとめてみる。

 

【長編作品】

○『三陸海岸大津波』

 明治29年、昭和8年、同35年の3回、三陸海岸を襲った大津波の恐ろしさ、凄まじさを、体験者へのインタビューや当時の資料・記録をもとに明らかにした記録作品。

 

○『彰義隊』

 幕末の上野戦争で敗れた輪王寺宮は、北関東を経て東北へと逃れていく。やがて、一行は、奥羽越列藩同盟に合流すべく仙台藩領に入った。

 

○『暁の旅人』

 松本良順は新政府軍が江戸に迫る中、徳川家と運命を共にすべく北へと向かう。会津に入り戦闘の負傷者の治療に当たるが、戦況は悪化の一途をたどる。

 

○『白い航跡』

 まだ若い高木兼寛は、薩摩藩医師として会津での戦闘に参加するが、そこで医師として無力であることを痛感させられる。

 

○『彦九郎山河』

 1790年、高山彦九郎は江戸を出発。福島、米沢、秋田を経て青森へ。その後、南部藩領に入り大飢饉の深い爪痕を目の当たりにした。

 

○『長英逃亡』

 逃亡を続ける高野長英は、母親に会うべく水沢に入った。その後、米沢でしばらくの間、平穏な潜伏の日々を過ごした。

 

○『黒船』

 箱館で通訳として勤務していた堀達之助であったが、榎本軍が箱館に迫ったことから、青森に避難。その後、一時滞在した大湊で美しい女性に出会う。

 

○『破獄』

 主人公・佐久間は青森県出身。1回目の脱獄は昭和11年に青森刑務所から。その後、昭和17年には秋田刑務所からの脱獄にも成功した。

 

○『背中の勲章』

 主人公の中村氏は、アメリカでの捕虜生活を終え昭和21年に帰国。故郷の岩手県・沼宮内に戻ってみると、彼は岩手県で最初の戦死者と扱われていた。

 

○『蜜蜂乱舞』

 鹿児島県の養蜂業者の1年を追った作品。4月、蜜蜂を入れた多数の箱をトラックに積んで出発。北海道をめざす。6月にはアカシアの花の採蜜のため秋田県・小坂町に入った。


 

【中編・短編】


○「星への旅」(『星への旅』所収)

 東京でもやもやした気持ちを抱えながら、うつろな日々を過ごす少年少女の一団。仲間の一人が発した「死のう」という一言をきっかけに、取りつかれたように北国の海辺をめざすことになった・・。太宰治賞を受賞した吉村昭の出世作。

 

○「海の奇蹟」(『海の奇蹟』『下弦の月』所収)

 この作品も田野畑村を念頭に置いて書かれたもの。海辺の町に父親と妹とともに暮らす少年。ある日、近くの海辺に遺体が流れ着いたことから、村人の間に緊張が走った。

 

○「幕府軍艦『回天』始末」(『幕府軍艦「回天」始末』所収)

 榎本武揚率いる旧幕府軍は、新政府軍に戦力で大きく劣るため、形勢逆転を狙い思い切った作戦に打って出る・・。作中、“宮古沖海戦”が詳しく描かれている。

 

○「梅の蕾」(『遠い幻影』所収)

 千葉の大病院から無医村に赴任してきた医師とその家族。村人は彼らを大歓迎する。いつしか村人との間に強い絆が生まれていた。

田野畑村で実際にあった話を、吉村昭が短編小説にまとめたもの。

*本作の主人公・将基面誠氏が田野畑村での生活を書いた本が『無医村に花は微笑む』(ごま書房)。同書の冒頭には、吉村昭の「すがすがしい読後感」という一文が載っている。

 

○「魚影の群れ」(『魚影の群れ』所収)

下北半島・大間の港に暮らす練達のマグロ漁師。マグロ一本釣り漁の場面は緊迫感に満ちているが、それ以上に娘の恋人の出現で乱されていく主人公の心理描写が面白い。

 

○「ハタハタ」(『羆』所収)*注参照

 数年に1度だけ押し寄せてくるハタハタを待つ海辺の寒村。久々にハタハタがやってきたその年、漁師の父親を持つ主人公の少年を待っていたのは過酷な現実だった。

 

○「老人と柵」(『蛍』所収)

 終戦直後、山あいの村に住んでいた夫婦の家に男達がやってきて、周囲に鉄の柵を張り巡らせた。夫婦は柵に囲まれたまま暮らすようになった。

(この作品執筆のきっかけとなった出来事が、エッセイ「老人と鉄柵」(『月夜の記憶』所収)に記されている。)

 

○鰭紙(『天に遊ぶ』所収)

 東北地方を襲った天明の大飢饉。このときの事を記した古い文書には、今に通じるある事実が書かれていた。

 

○「煤煙」(『死のある風景』所収)

 戦争末期、米を入手すべく超満員の列車に乗って秋田県・大森町にやってきた“私たち”一行。宿の食事には艶のある白米が出された。

 

注:「ハタハタ」(『羆』所収)の作中には地名・地域が出てこないが、吉村昭は本作を能代方面に取材に行って書いたと記している(『わが心の小説家たち』第7章)ことから、「東北もの」に入れた。

 一方、同じくハタハタが出てくる「ジジヨメ喰った」(『密会』所収)も、東北地方の日本海沿岸が舞台と考えられるが、こちらは根拠がないため「東北もの」には入れていない。

 長崎を筆頭に九州・沖縄を舞台とした作品は数多い。長崎についてはすでに紹介済みなので、本項では「九州(長崎を除く)・沖縄」が登場する主な作品をリストアップしてみた。このうち沖縄については、太平洋戦争に関する作品が並んだ。


 

◆九州(長崎以外)*長崎を舞台とする作品についてはこちら


【長編作品】


『生麦事件』

 生麦事件の当事者である薩摩藩が小説の中心となっており、その中にあって、鹿児島が戦場となった薩英戦争の様子が詳しく描かれている。

 

『遠い日の戦争』

 主人公は、西部軍司令部所属部隊(福岡)にいたときに、捕虜となった米兵の処刑に関与。このために終戦後、戦犯として追われる身となった。

 

『白い航跡』

 主人公・高木兼寛の出身地は、現・宮崎市高岡町。若き日の高木は、鹿児島で英学や医学を学んだほか、薩摩藩医師として会津戦争にも参戦した。

 

『彦九郎山河』
  朝廷による政治を目指して薩摩に入った高山彦九郎だったが、望みを断たれ、追っ手から逃げながら九州各地を転々とする。

 

『間宮林蔵』
 幕府隠密となった間宮林蔵は、密貿易の疑いについて探索するため薩摩に入り、その証拠を得た。 

 

『桜田門外ノ変』
 井伊暗殺を決行した主人公・関鉄之助は、支援を得るべく薩摩へと向かうが、結局、肥後との国境にある関所を越えることは出来なかった。

『冬の鷹』
 主人公・前野良沢は、豊後・中津藩の藩医。参勤交代で中津に帰藩していた折、良沢はオランダ語を学ぶため長崎行きを決意した。



 

【中編・短編作品】 


○「島抜け」(『島抜け』所収)
 大坂の講釈師・瑞龍は、幕府を批判したとして島流しの刑を受け、他の男達とともに種子島に送られた。ある日、他の男達とともに釣りに出た瑞龍の舟は、種子島を離れつつあった。彼らの逃亡が始まったのだ。


「顛覆」( 『空白の戦記』所収)

  平戸島を出航した水雷艇「友鶴」が大荒れの海で転覆。船内に多数の乗組員が閉じ込められる中、必死の救助活動が始まった。


○「最後の特攻
機」(『空白の戦記』所収)

 昭和20815日夕刻。天皇のラジオ放送が流れた後にもかかわらず、宇垣海軍中将らの乗った特攻機11機が、鹿児島県・鹿屋航空基地から沖縄方面へと飛び立った。


○「光る鱗」(『鯨の絵巻』所収)

  奄美大島の山中で、ハブを獲って生計を立てている孤独な男を主人公とした作品。占領期の奄美の様子やハブの生態を詳しく描く。

○「牛」(『幕府軍艦「回天」始末』所収)

 18247月、鹿児島県トカラ列島・宝島に、異国船がやってきた。乗組員が上陸してきたことから島は混乱に陥った。

 

○「他人の城」(『脱出』所収)
 沖縄から九州への疎開船が米軍に撃沈された。乗っていた主人公の少年は鹿児島にたどりつき、その後、宮崎にいる祖母の家に身を寄せた。

 



◆沖縄


○ 『殉国 陸軍二等兵比嘉真一』(長編作品)

 陸軍の少年兵を主人公に、悲惨極まりない沖縄戦の実相を描いた作品。吉村昭がこの作品を描いたのは、沖縄戦の事を広く世に知らせるためであった。

 

○「敵前逃亡」(『空白の戦記』所収)

 沖縄戦で米軍の捕虜となった少年は、日本軍に降伏するとの偽りの申し出により、帰陣を許された。渡嘉敷島でようやく自軍に合流した少年を待っていたものとは。

 

○「太陽を見たい」(『空白の戦記』所収)

 伊江島での激しい戦闘に参加した女性斬込隊。吉村昭はその生き残りの女性に会い、当時の状況を聞き取った。 

 

○「剃刀」(『総員起シ』所収)
 沖縄戦でアメリカ軍の攻勢の前に敗走を余儀なくされた軍司令部。その最後の様子を軍司令部付きの理髪師へのインタビューにより明らかにする。

 

○「他人の城」(『脱出』所収)

 沖縄攻撃が迫る中、本土に疎開するために仕立てられた船「対馬丸」に家族と乗り込んだ主人公。しかし、鹿児島を目指す途中、船は攻撃を受け沈没する。

 

長編作品から入った読者にとっては、意外感があるかもしれないが、吉村昭の短編小説の中で、1つの特徴的なカテゴリーとして分類できるのが、「子どもを中心に据えた作品群」である。

大人の世界を垣間見ながら、その本質を直感的・本能的に察する子どもたち。また、子ども特有の無邪気な行動・言動が、時には残酷さを帯びたり、ストレートに発出された子どもの悪意が重大な事態へとつながる、といった場面も出てくる。


吉村昭は、大人の世界を見る子どもの心理や行動を実に巧みに描いていて、しかも、言わば“大人の汚い部分”にも容赦なく踏み込んでいる点に、これら作品群の面白さや特徴があるのだと感じる。

 

以下に、私が読んで印象に残った作品を簡単に紹介する。(結果として、初期作品が多く並んだ。)

 

○「服喪の夏」(昭和33年発表、『星と葬礼』所収)

大きな屋敷に厳格な祖母と二人で暮らす、小学生の少年。あるとき家の中に秘密めいた地下倉があるのを見つける。閉ざされた空間には濃密な空気が満ち、緊張感も漂う。その中で幼い主人公がとった行動とは・・。読み終えて背筋に寒さを覚える、ホラー小説と言ってもよい作品。

 

○「白衣」(昭和31年発表、『青い骨』所収)

伊豆で療養生活をしている病弱な少年とそこにやってきた住み込みの看護婦。二人の奇妙な関係はやがて悪意へと変化していく。その行きつく先は・・。「服喪の夏」と同様、強烈なインパクトを与える作品。

 

○「墓地の賑い」(昭和36年発表、『青い骨』『星と葬礼』所収)

少年は、複雑な関係にある姉二人と暮らしている。近所にある樹木に覆われた墓地という舞台設定、そしてヒヨコという小道具により、否応なく大人の世界に引き込まれる少年の姿が印象的に描かれている。

 

○「煉瓦塀」(昭和39年発表、『星と葬礼』所収)

再婚した母に連れられて都会にやってきた兄妹。研究所で飼育されている馬が血を抜き取られる様子に衝撃を受けた二人は、馬を施設の外に連れ出す。必死に生きていこうとする子どもたちの姿が印象に残る。

 

○「鷺」(昭和37年発表、『海の奇蹟』『下弦の月』所収)

鷺の群生地として天然記念物に指定された林の近くで、母・姉と暮らす少年が主人公。

少年は、姉に近づいてきた男に、林の中での密やかな遊びを教わる。これが思わぬ事件を引き起こすことになる・・。「動物と人間のドラマ」に「子ども」が組み合わさり、両ジャンルの面白さがミックスされた作品となっている。

 

○「蘭鋳」(昭和45年発表、『羆』所収)

後妻に入った母に連れられてきた主人公の少年は、義兄が没頭する蘭鋳の飼育に興味を抱く。義兄は自身の結婚により蘭鋳への関心を失うが、やがて兄嫁に異変が起こる・・。男女の複雑な関係を少年の視点から描き、読ませる一作。「鷺」と同じく、「動物と人間のドラマ」と「子ども」の両ジャンルをミックスさせた作品。

 

○「少年の夏」・「島の春」(昭和51年・52年発表、ともに『メロンと鳩』所収)

子どもが「死」というものに身近に接するという体験をテーマにした作品。いずれも巧みな心理描写に感心させられる。

 

吉村昭は様々な仕事・職業を生業とする人々(その多くが男である)を描いてきた。その中でも医者・医学者は長編作品にも多く出てくるが、短編小説では、世間的に見て“珍しい”“あまり知られていない”仕事をする人々が描かれている。


  吉村昭は、ひたすら小説を書き続けた自分自身と、小説で描いた様々な職業の人々との間に共通点があると感じ、彼らに大なり小なり、共感を抱いたのではないかと思う。また、地味ではあるものの、社会においてそれぞれの役割を果たしている彼ら、そしてその仕事に興味・関心を持ったのではなかろうか。私には、吉村昭の彼らに対する思いや眼差しが、作品を通して感じられる気がする。

 

本項では、こうした作品を紹介してみよう。吉村昭の観察力や描写力のおかげで、日頃、知る機会の少ない仕事の中身を具体的にイメージすることが出来るだろう。(今の時代にはもう存在しない仕事もあるだろうが・・)

 

○動物関連の仕事

 『熊撃ち』所収の各作品、「羆」(『羆』所収)、「銃を置く」(『海馬』所収): クマ撃ちの猟師

「鵜」(『魚影の群れ』所収): 岐阜県・長良川の鵜飼い

 「魚影の群れ」(同): 青森県・大間のマグロ漁師

 「鯨の絵巻」(『鯨の絵巻』所収: 和歌山県・太地の鯨漁師

「紫色幻影」(同): 錦鯉の養殖

 「光る鱗」(同): 奄美大島のハブ獲り

 「鴨」(『海馬』): 鴨撃ちの猟師

 「闇にひらめく」(同): うなぎ獲り

 「海馬」(同): 知床・羅臼のトド撃ち猟師     他

 


 ※長編『蜜蜂乱舞』は、養蜂業者の仕事ぶりがテーマとなっている。


○刑務所や矯正関係者の仕事

「休暇」(『蛍』)、「鳳仙花」(『メロンと鳩』)、「秋の街」(『秋の街』)、「ジングルベル」(『遠い幻影』): 刑務官

「メロンと鳩」(『メロンと鳩』)、「鋏」(『帰艦セズ』)、「見えない橋」(『見えない橋』)、「山茶花」(『死顔』): 保護司、篤志面接員



○その他の様々な仕事・職業

「鉄橋」(『星への旅』)、「十点鐘」(『下弦の月』)、「弔鐘」(『真昼の花火』): ボクサー 「動く壁」(『密会』): 総理大臣SP

 「非情の系譜」(同): 刺青師

「楕円の柩」(同): 競輪選手

 「眼」(『蛍』): アイバンクのために死者の眼球を摘出する医師

 「水の音」(『遅れた時計』): 地下の水道管からの漏水を調査する水道局職員

 「歳末セール」(同): デパートの女性保安員(スリの発見、牽制)

 「帰郷」(『秋の街』): 病人搬送用の寝台自動車運転手

 「雲母の柵」(同): 医務監察院医師

 「赤い眼」(同): 実験用マウスの飼育施設職員   他

   本ブログでは、文庫本を単独で構成している作品を「長編」とし、それ以外を便宜上「短編小説」と整理しているが、その中には「長編」とまでは行かずとも、相当のボリュームのある中編と言うべき作品がいくつかある。

 一部の作品はすでに紹介済みだが、ここでは、これら「中編作品」5つをまとめて紹介する。いずれも長編作品に匹敵する重量感のある作品である。

 

○「真昼の花火」(『真昼の花火』(単行本のみ)収録)

 化繊製の寝具という新商品を売り出した大手メーカー。その宣伝担当である主人公の家業は、まさに新製品がターゲットとする棉花ふとんの打ち直し業だった。自分の仕事が家業を追い詰めるという苦しい立場になった主人公。

苛烈なビジネスの現場、そして社内の出世競争に男女関係をからめたビジネスものの一作。他の初期作品にも見られるシビアな結末が、この作品にも用意されている。

※吉村昭の家業は繊維業であり、吉村自身この業界で働いた経験を持っている。

 

○「水の葬列」(『水の葬列』収録)

 浮気をした妻を殺した過去から逃れるように山奥のダム工事現場に身を投じた男。人跡未踏の地とも思えるような山深い谷の底にある集落のすぐそばで、工事は始まった。やがて、集落の住民との間に1つの事件が起こり、主人公の心は揺さぶられることとなる・・。

 山奥の神秘的な集落という舞台設定が、主人公の心理描写をより効果的なものとしている作品だ。

※主人公の男の立場は、後に書かれた『仮釈放』の主人公とよく似ている。

 

○「海の鼠」(『魚影の群れ』収録)

昭和25年春、愛媛県・宇和島の沖合いの小さな島に湧くように現れた大量のネズミ。「人の住む地域に鼠が棲みついたというよりは、鼠の棲む領域に人が住んでいる」という様相を呈した島の恐ろしい状況が、徹底的に描かれる。

背筋が寒くなる場面も再三あるが、それでも先を読みたくてたまらなくなる。ネズミの大群に飲み込まれた村人、そして島は一体どうなってしまうのか?

事実の持つ圧倒的な迫力に吉村昭の描写力が加わった、非常に面白い作品である。

 

「幕府軍艦“回天”始末」(『幕府軍艦「回天」始末』収録)

 明治新政府と旧幕府勢力との最後の戦いを題材とした作品。

 榎本武揚率いる旧幕府軍の動きを、彼らの戦力の中心となった軍艦に焦点を当てて描く。その中でハイライトとなっているのが、“宮古沖海戦”。新政府軍に戦力で大きく劣る旧幕府軍は、形勢逆転を狙い思い切った作戦に打って出るため、軍艦を三陸沖に進め、宮古へと向かう・・・。

新政府軍に対し、軍艦を中心に抵抗する旧幕府勢力の姿が、三陸地方そして箱館を舞台に淡々と記されている。

 

○「島抜け」(『島抜け』収録)

 大坂の講釈師・瑞龍は、幕府を批判したとして島流しの刑を受け、他の男達とともに種子島に送られた。

 ある日、他の男達とともに釣りに出た瑞龍は島から逃げようと誘われる。気づくと舟は種子島を離れつつあった。彼らの逃亡が始まったのだ。

 「漂流」と「逃亡」という2つの要素が盛り込まれ、思わぬ展開も用意されていて、一気に読ませる作品だ。

 

短編集(全39冊)の中から、「私のおすすめ10冊」を選んでみた。短編集は、多くの作品が収録されているだけに、セレクトするうえで長編とは違う難しさがあった。

個々の作品への評価とは別に、短編集という1冊の本トータルとしてどうか、という観点から選ぶこととしたが、結果として、個々の作品の執筆年代やジャンルといったものをバランス良く取り上げるという形になった。これにより、“永年にわたって多様な短編作品を数多く書いた作家”という吉村昭の特徴の一つを示すことができたように思う。

もちろん、この10冊には収録されていない短編で、強く印象に残るものや非常に面白いというものはいくつもある。項をあらためて紹介できればと考えている。

 

 

~おすすめの10冊~

『星と葬礼』 『星への旅』 『密会』 『総員起シ』 『脱出』

『魚影の群れ』 『帽子』 『炎の中の休暇』 『死のある風景』 『法師蝉』

(収録作品の年代順)

 

○『星と葬礼』(8作品/昭和30年~44年)

個人的には、吉村昭の初期作品はどれも好きなのだが、厳選して3冊に絞り込んだうちの一つ。

ここには少年が主人公となった作品が三つあるが、いずれもが、子どもに見られるある種の怖さであったり、子どもながらの生きるたくましさであったりと、子どもの持つ本質的なものを見せてくれるという点に、大いに面白さを感じる。

 また、「さよと僕たち」は、結核で療養中の日々を弟の姿を交えて描いた作品で、『冷い夏、熱い夏』でその死をつぶさに綴った弟との絆の深さを、ここにも見ることができる。

 

○『星への旅』(6作品/昭和33年~42年)

 本書には、いわゆる出世作「星への旅」(太宰治賞受賞)をはじめ、芥川賞候補作の「鉄橋」「透明標本」「石の微笑」の3作品が収録されており、まさに初期の代表的短編を集めた一冊と言えるだろう。

 吉村が好んで描いた「男女」「少年」「医学」といったテーマが、本書収録作品にも登場しているし、ボクサーの姿を描いた「鉄橋」も印象に残る作品だ。

 

○『密会』(9作品/昭和33年~45年)

 これも初期作品集であるが、上の2冊とは少し趣が異なる。

 作品の多くが、サスペンス的であったり事件が絡むものであったりと、“現代的な小説”とでも言えるようなものなのだ。驚くような展開、思わぬ結末というのは、吉村作品に決して珍しくはないが、ここに収められた作品群は、そうしたストーリー展開を楽しめるものが多い。

 

『総員起シ』5作品/昭和45年~47年)

 太平洋戦争を題材にした作品としては、『戦艦武蔵』や『深海の使者』など長編戦史小説が思い浮かぶが、短編にも面白い作品が多くある。

愛媛県沖で多くの乗組員を乗せたまま沈没した潜水艦。戦後になって行われた引き揚げ作業を描いた表題作のほか、北海道・日高の漁村に多数漂着した腕無しの兵士の死体にまつわる秘密にせまった「海の柩」など、力作が並んでいる。

 

『脱出』5作品/昭和45年~57年)

 5作品のうち4作品が、戦争に巻き込まれた少年を主人公としたもの。舞台は、樺太・北海道、瀬戸内海、沖縄・九州、サイパンとばらばらだが、それゆえに太平洋戦争の影響の大きさ・広がりが感じられる。

 理不尽な目に遭いながらも、ただ生きていくしかない少年達の姿が切なくもあり、また頼もしくも感じられる。

 

『魚影の群れ』4作品/昭和46年~48年)

 吉村昭には人間と動物をテーマとした短編集が5つあるが、その中で私が最も好きなのがこの本。

 中でも、大量に発生したネズミに襲われた島民の苦闘を描いた「海の鼠」と青森県・大間のマグロ一本釣り漁師を主人公とした表題作は特に面白い。短編集でははずせない1冊であろう。

 

○『帽子』(9作品/昭和49年~52年)

 長編ではあまり出てこないのだが、短編では男女の織りなすドラマが多く取り上げられている。そこでは、世の中で起こっているであろう多種多様な男女間の出来事が、巧みな心理描写で描かれており、共感したり、感心したり、不思議に思えたり、と作品ごとにいろいろな感想が湧いてくるのである。

 本作に収められた短編作品は全て男女にまつわる話がテーマとなっていることから、「男女」というジャンルの代表作として、おすすめ10冊の一つに選んだ。

 

○『炎の中の休暇』(8作品/昭和52年~55年)

 本書のあとがきで吉村昭は、生まれ育った町、そこで過ごした私自身、家族、近隣の人たちのことなど、過去を手繰る思いで短編を書いた、と記している。

 エッセイも含めて、吉村は生まれ育った日暮里や戦争末期に過ごした浦安での出来事を多く書いている。そこには戦争が絡むことも少なくないのだが、こうしたジャンルの吉村作品を知るうえで、さらには吉村昭という作家のバックボーンを理解するうえでも、この作品を読む意義はあるだろうと思う。

 

○『死のある風景』(10作品/昭和51年~63年)

 吉村昭は青年期に結核を患い死の淵をさまよったという経験を持つ。その事は氏の人生観に大きな影響を与えており、特に短編作品には「死」にまつわるものが多く見られる。

 本書収録の10作品は全て私小説であり(「あとがき」より)、戦時中の事から自身の身の回りで最近起こった事まで、そこには何らかの形で死というものが見え隠れしている。死を意識してきた作者の姿が、これらの作品を通じて伝わってくるように思えるのである。

 

○『法師蝉』(9作品/平成元年~5年)

 平成に入ってから吉村が多く書くようになったのが、定年退職した(もしくは定年を間近にした)サラリーマンのこと。仕事一筋に生きてきた結果、退職して生きがいを失くしたことを知って茫然としたり、さらには理由も分からぬまま妻に去られたり、といった世間でも話題となった光景を描くのである。本書にもそうした男達が何人も登場する。

 小説を書くという仕事に没頭してきた吉村昭にとって、彼らに対して共感したり同情したりする部分が多くあったのではなかろうか。そうした心情を前面には出さないものの、彼らの姿を淡々と描き出すことにより、彼らに寄り添おうとしたのではないかという気がする。

 愛媛県は、(北海道や長崎のように目立つわけではないものの)吉村昭作品のあちこちに登場する土地である。

 

◆「愛媛県が主要な舞台となっている作品」

 

「総員起シ」(『総員起シ』所収)

昭和19年6月、愛媛県沖の伊予灘で訓練を行っていた潜水艦が沈没。100名以上の乗組員が犠牲となった。9年後、海底60メートルに沈む潜水艦の引き揚げ作業が始まるが、その結末は衝撃的であり、悲しいものとなった。

吉村昭の戦史小説の中でも特に印象に残る出色の作品。

 

『戦史の証言者たち』には、本作執筆にあたっての関係者からのインタビュー記録や潜水艦の引き揚げ時などの写真が収録されている。

 


「海の鼠」(『魚影の群れ』所収)

昭和25年春、宇和島の沖合の小さな島に湧くように現れた大量のネズミ。「人の住む地域に鼠が棲みついたというよりは、鼠の棲む領域に人が住んでいる」という様相を呈した島の恐ろしい状況が、徹底的に描かれる。

背筋が寒くなる場面も再三あるが、それでも先を読みたくてたまらなくなる。ネズミの大群に飲み込まれた村人、そして島は一体どうなってしまうのか?長編に近いボリュームを持つ、“動物もの”の中でも屈指の作品。

 


◆「愛媛県が作品の中で一つのポイントとなっているもの」

 

 

『ふぉん・しいほるとの娘』

19世紀、鎖国下の長崎にオランダ船で来航した医学者・シーボルト。本作品の主人公であるシーボルトの娘・楠本イネは、13歳のときに長崎から愛媛・卯之町に単身やってきて、二宮敬作から医術を学ぶ。その後も、宇和島で学ぶなどイネにとって愛媛の地は非常に重要な土地となった。

また、イネの娘のタダも宇和島藩主・伊達宗城に仕え、大洲藩の三瀬周三と結婚するなど、愛媛とは関係が深かった。

吉村昭の最長編作品である本作において、愛媛は少なからぬ存在感を持っている。

 

卯之町への旅の様子を書いたページ



『虹の翼』

ライト兄弟が空を飛んだ12年も前に、独力で飛行機の模型を作って飛ばすことに成功した二宮忠八。二宮が生まれ、22歳までを過ごしたのが八幡浜である。

独自の凧を上げて町の話題になるなど聡明な少年だった二宮は、生家が破産するという憂き目に会う。一時は奉公に出るなど苦労もしたが、やがて軍隊に入ることとなり、八幡浜を後にした。

日が当たることはなくとも自分の信じる道を粘り強く進む、という吉村好みの人物の一代記だ。

 

 

◆「その他の愛媛県が登場する作品」

 

『長英逃亡』

 脱獄した高野長英の逃亡劇を描いた本作で、宇和島が長英の逃亡先の一つとして登場する。蘭学者としての力量を買われた長英は、脱獄者という身でありながら、宇和島藩からの招聘を受け1年近くの間、宇和島城下で翻訳や蘭語教授をしながら過ごしたのである。

 

『海の史劇』

 日露戦争について、ロシアから長い航海を経てやってきた大艦隊を中心に据えて描いた作品。本作終盤で、松山捕虜収容所に収容されたロシア将兵が、市民から温かい扱いを受けたというエピソードが、6ページ(文庫本)にわたり詳しく描かれている。

 

「研がれた角」( 『海馬』 収録)

 闘牛に情熱を注ぐ男を主人公とした作品。宇和島で聞いた話を素材とした作品で、宇和島とは明示されていないものの、宇和島の風景が思い浮かぶような内容と思われる。

 

「闇にひらめく」(『海馬』収録)

刑務所を出所したのち、地方の町に来てうなぎ獲りをする男を描いた作品。宇和島に住む鰻採りの名人の話をヒントにしたもので、宇和島が出てくるわけではないが、愛媛関連作品としてカウントしてよいだろう。

 

 吉村の長編には事実をもとにした作品が多い(中にはノンフィクション作品と呼ばれているものもある。)が、短編はフィクションが中心である。したがって長編・短編で作品の色合いはかなり異なる。長編から入った読者に、短編も是非読んでほしいと思うゆえんである。

 

吉村昭は、もともと短編小説からスタートし、長編小説を書くようになったのは40歳近くになってから。短編小説は氏の原点と言えるだろう。

 

吉村が最も強い影響を受けた作家は、川端康成と梶井基次郎の二人である。特に梶井基次郎については、その文章を読んで、“小説の秀れた文章には詩がなくてはならぬ”と思い、“その詩心を自分の身にしみつかせたいので、自分が短編を書く前に梶井の短編をじっくりと文字を追って読むのを習いとしている”と語っている。(注1)

 

さて、長編小説を書くようになってから吉村は、“長編小説を書く境目に短編小説を書くことをつづけてきた。”長編小説を書き終えたのち、疲れのあまり放心状態が2、3ケ月間つづく中、短編小説を書くことで再び小説を書く活力が回復するのだという。“短編小説は竹の節に似ていて、それがなければ竹幹である私の長編小説は、もろくも折れてしまう”というのである。

また長編小説を書くにあたって、見聞きしたり考えたりしたことが、次の長編小説の重要な要素となり、自然に作品に織り込まれるという。長編と短編は別物だが、吉村昭という作家にとって、ともに欠かすことのできない両輪であったことが分かる。(注2)

 

ところで、30枚くらいの短編小説に、吉村は約20日間という時間をかける。最初の10日間ほど、ぶらぶらしていると小説の素材が必ず出てくると述べている。(注3)

吉村はそのプロセスを、“夜道に座っていると、これはいいなと思う旅人がやってくる”とか、“岸壁でじっと釣糸を垂れているとやがて釣り針に魚がかかる”、“机の前に座って考えているうちに水底から1つの気泡が湧いて上昇し、水面でかすかな音を立てて割れる”といった喩えで表現している。(注4)

数多くの短編小説は、1つ1つこのようにして生み出されてきたのである。

 

注1:『わが心の小説家たち』第6章

注2:『碇星』文庫版あとがき

注3:『わが心の小説家たち』第2章

注4:同上、『見えない橋』文庫版あとがき、『遠い幻影』文庫版あとがき

 

吉村昭は多くの短編小説を書いた。その数は300を超え、その大半が短編小説集として刊行されている。吉村昭は長編小説のみならず、短編小説の書き手としても知られており、例えば、川端康成文学賞(各年度の最も完成度の高い短編作品が対象)では、5度にわたって候補になったという実績もある。


 以下では、短編小説集全39作品(文庫本ベース)(注1、2)について、それぞれに収録されている作品の性質をベースに、いくつかのジャンルに分類してみる。

 

注1:単行本のいくつか(『少女架刑』『彩られた日々』『鉄橋』など)は、作品が複数の文庫本に分散して収録されているが、そのほとんどが文庫に入っていることから、ここでは文庫版のみを対象にした。

注2:『真昼の花火』は2010年に単行本として刊行。(文庫本は未刊行)

 

 

1.初期の人間ドラマ(6作品)

 昭和45年頃までに書かれた吉村昭の初期作品を収録した短編集。で、(どちらかと言えば)日の当たらない場所で人生を過ごす人々を取り上げたり、複雑な男女の関係を少年の視点から描いたり、といったものが多い。死がテーマになっている作品も少なくない。また、サスペンスやホラーといった性質を帯びた作品も見られる。全体としては暗いトーンであるものの、非常に読み応えがあり、インパクトの強い作品が多いと感じる。

吉村昭は、『戦艦武蔵』などの戦史小説で世に出る前はもっぱら短編を書いており、昭和34年から37年にかけ、4度も芥川賞候補となっただけに、こうした印象も当然のことと言えるだろう。

なお、『真昼の花火』には初期作品2つの他に2作品が収録されているが、ボリューム的に初期作品が大半を占めており、このジャンルに分類した。

 

◆作品:『青い骨』、『星と葬礼』、『星への旅』、『密会』、『水の葬列』、『真昼の花火』
   
       

       

2.戦争(5作品)

 長編も含めた吉村昭作品の代表的ジャンルの一つ。長編作品やインタビュー集等に加えて、以下の5冊の短編集がある。いわゆる戦史小説から戦争をテーマとした人間ドラマ的作品、戦時中の自身の記憶をもとにした小説まで、内容は幅広い。

なお、この他の短編集にも、戦時中を題材とした作品がいくつも収録されている。

 

◆作品:『空白の戦記』『総員起シ』『海軍乙事件』(戦史小説)

『脱出』(戦時中の人間ドラマ)、『炎の中の休暇』(自伝的作品)

 

 

3.動物と人間(5作品)

人間ドラマの中で動物が重要な役割を果たす作品群。昭和40年代の作品が中心で、それゆえ初期作品の色合いが濃いものも多い。

このジャンルの作品の特徴は、取り上げられる動物の種類の多さと動物の描写の精緻さであろう。多種多様な動物の生態や飼育方法等が詳しく描かれ、それだけでも興味をそそられる。これらの動物に絡む形で人間ドラマが展開されるがゆえに、他のジャンルとは異なる独特の面白さがあるのだと思う。

 

◆作品:『羆』『熊撃ち』『魚影の群れ』『鯨の絵巻』『海馬』

 

 

4.歴史(5作品)

 吉村昭の歴史小説は長編が中心であるが、短編集でも以下の5冊がある。

このうち『幕府軍艦「回天」始末』と『島抜け』は、表題作が長編に近いボリュームを持ち、いずれも読みごたえ十分。また、『日本医家伝』は吉村昭最初の歴史ものであり、『冬の鷹』『ふぉん・しいほるとの娘』『北天の星』といった代表的歴史小説のベースとなる作品も含まれている。また『磔』の表題作は、吉村昭作品としては最も古い16世紀の出来事を取り上げたもの。

 

 ◆作品:『日本医家伝』『磔』、『幕府軍艦「回天」始末』、『島抜け』、『敵討』

 

 

5.現代作品(10作品)

 主に昭和50年代以降に発表され、「戦争」「動物と人間」「歴史」のいずれにも分類されない作品を収めたもの。

これらの作品群をさらに細分化すれば、“男と女をめぐる様々な出来事”、“退職したサラリーマンの行動”、“女達の多様な姿”、“自身の記憶をもとにした故郷の情景やその地の人間模様”、“珍しい職業を生業とする人々の生活”“刑務所・囚人関係”といったジャンルに分けられよう。長編作品には見られないテーマも多く、短編ならではの楽しさを存分に味わえるはずだ。

 

◆作品:『月夜の魚』、『帽子』、『メロンと鳩』、『遅れた時計』、『秋の街』、『再婚』、

 『法師蝉』、『碇星』、『遠い幻影』、『見えない橋』

 

 

6.複数ジャンルの作品が収録されているもの(6作品)

複数ジャンルの作品が複数ずつ入っているため、上記いずれかのジャンルに分類できないものを、ここに入れた。

 

  ◆作品:『海の奇蹟』(初期の人間ドラマ、動物と人間)、

    『下弦の月』(初期の人間ドラマ、動物と人間、戦争)

       『蛍』(戦争、現代作品)、 『月下美人』(戦争、現代作品)

       『帰艦セズ』(戦争、現代作品)、 『死顔』(歴史、現代作品)

 

 

7.その他(2作品)

 上記のいずれにも当てはまらないもの。

 

  ◆作品:『死のある風景』(私小説集)、『天に遊ぶ』(超短編作品集、随筆に近い)

 2か月近く新規投稿がストップしていたが、その要因は①短編作品を再読し、データベース化していた、②3月に入って仕事が多忙になり、休日にも仕事をしていることが多かった、の2点である。

 めでたく4月を迎え、ようやく普通の休日が戻ってきたことから、早速、再開第一弾として、「短編39作品の分類・解説」をアップした。ここをクリアしたので、あとは「短編にまつわる小ネタを数本」と「ゆかりの地シリーズ」をアップしていく予定。

それが終われば、エッセイ集他の分類作業へと入るが、データベース化は以前に終えているので、早々に記事を書き始めることができるだろう。


次の仕事の波が来る前、できれば4月中に大きく前進させたいと考えている。

 吉村昭の歴史小説の主人公達は、実によく旅をする。歩く。

 

もちろん、今で言う「旅行」ではなく、目的地に向かっての長い移動であったり、友人・知人を訪ね歩くものであったり、もしくは追っ手からの逃亡であったりする。吉村昭は、彼らが通っていく街道や宿場・村そして道中の風景などを淡々と書き連ねていく。こうした部分を面白く読むことが出来れば、吉村昭の歴史小説の魅力は大いに増すと思う。

 

私は主人公の歩いた道のりを少しでもイメージしたくて、地図帳を手元に置き、作中に出てくる地名の一つ一つを地図上で探してみる。主人公の旅を追体験する気分であり、これが、吉村昭の歴史小説を読むときの一つの楽しみとなっている。

地図を眺めながら、当時の人はとにかくよく歩いたものだ、といつも思う。と同時に、江戸時代の道路網の発達ぶりにも感心させられる。海沿いに、川沿いに、また峠を越えて、縦横に街道・間道が張り巡らされている。山の奥にも村落が点在し、もちろん今ほどではないだろうが、人々が国中を行き交っていた姿が目に浮かんでくるのである。

 

当時は大きな宿場として描かれている場所が、今ではごく小さく何の変哲もない地名として地図に記されていたりする。まれに私の(20万分の1の)道路地図には見当たらないこともある。一方、郡部では当時の地名がたいてい今も残っている。小さな村の多くが今に至るまで続いているわけで、江戸時代が決してはるか遠い時代ではなく、今にしっかりつながっているのだ、ということが実感されるのである。

 
 吉村昭の歴史小説には、こんな楽しみ方もある。


 

※次ページでは、「主人公の旅」が出てくる主な長編歴史小説を紹介する。

 前ページで吉村昭作品には、主人公が旅をする場面が多くあると書いた。以下では、吉村昭の長編歴史小説の中で、「主人公の旅」が重要な役割を果たしている作品をいくつか紹介する。

(☆・★は、私が特にお薦めする“吉村昭の長編ベスト10+プラス10”~(2013年2月版)」20冊に入った作品)

 

『彦九郎山河』

 主人公・高山彦九郎の旅が本作品のテーマになっていると言ってよいだろう。江戸を起点に、北は青森、南は鹿児島へと、主人公の長い旅の日々が綴られている。(タイトルの「山河」は、彦九郎が多く旅をしたことに由来する)

 

『間宮林蔵』(★吉村昭ベスト20作品)

樺太を北へと進み、そこがロシアと地続きの半島ではなく、島であることを発見する前半部分だけでなく、その後も幕府の任務を帯びて全国を歩き回る林蔵。「旅」は本作品の、そして林蔵の人生において重要な要素となっているのである。

 

『天狗争乱』(☆吉村昭ベスト10作品)

 天狗勢という大集団が移動していくさまが、本作品の中核をなす。だんだんと先が見えなくなる「苦しい旅」を、吉村昭はあくまで感情を抑えて描き続け、それが読者を引き込むのである。

 

『長英逃亡』(★吉村昭ベスト20作品)

 牢を脱走した高野長英の逃亡は、幅広く各地へと及ぶ。「旅」というイメージとは少し違うが、長英が各地を巡り歩く様子は、本作品の非常に重要なパーツとなっている。

 

『桜田門外ノ変』(★吉村昭ベスト20作品)

 井伊大老を桜田門外で襲った水戸脱藩浪士。事件の計画段階から諸藩を訪ねて西国へと赴き、事件後は逃亡の日々となる。事件そのものだけでなく、「旅」の部分にも多くの面白さがある。

 

『彰義隊』

 上野戦争に敗れ、皇族でありながら朝廷の敵となってしまった主人公。北へと逃れていく「旅」、そして戊辰戦争終結後に江戸へと戻るための「旅」は、いずれも厳しいものであった。

 

※漂流や拉致によりロシアで暮らすこととなった男達を主人公とする『北天の星』(☆吉村昭ベスト10作品)、『大黒屋光太夫』『花渡る海』では、ロシアにおける彼らの「旅」(多くは犬ぞりを用いるもの)が描かれている。

どの作品を読んでも面白く、“ハズレがない”というのが吉村昭の凄いところ。

 

しかし、“どれも面白い”では参考にならないので、ここではあえて、吉村昭作品を選ぶうえで一つの手掛かりとなるよう、私なりの「特にお薦めする長編作品」を選んでみることにした。

 

いざ選びはじめると、予想どおり難しい作業となった。「ベスト10」になりそうな作品をリストアップすると、あっという間に10を超え、絞り込みに苦労。選外となった作品を捨て置く気にはなれず、ベスト10作品に続く「プラス10作品」を選ぶことになった。しかし、これも簡単には決められず、結局次点2作品を加えて、ようやく「吉村昭長編作品ベストセレクション」が決まった。

 

並べてみると、まさに“選りすぐりのいい顔ぶれ”が揃ったという感じ。どれも時間をみつけてもう1回読んでみたい作品ばかりである。

 

※時間が経てば、これらお薦め作品に変化が出てくるかもしれない。その時は「新版ベストセレクション」をアップすることとしよう。

 

 

◆◇◆◇ ベスト10作品 (作品の時代順に掲載) ◆◇◆◇

 

『漂流』
 漂流の末、南海の孤島・鳥島に流れ着いた男の想像を絶する苦闘を描く。わずかな古文書から見事な長編作品を生み出す吉村昭の腕前の確かさ。【江戸時代】

北天の星
 ロシアに拉致されながら生還を果たした五郎冶の波乱に満ちた半生。複数の作品を読んだかのごとき満足感が得られる。【江戸時代】


『朱の丸御用船』
 村の沖合で船が難破した事に端を発した事件。サスペンスばりのストーリー展開に引き込まれる。【江戸時代】

ふぉん・しいほるとの娘

吉村昭の最長作品。オランダ人学者シーボルトの娘・イネの長い長い生涯が、吉村昭らしい筆致で描かれていく。【江戸時代】


天狗争乱
 幕末の水戸藩に生まれた尊王攘夷を掲げる天狗党。西へ西へと進軍する天狗勢の運命を丁寧にたどっていく。【江戸時代幕末】


羆嵐

北海道最悪の獣害事件。吉村昭の描写力が冴えわたり、ヒグマに襲われた村の恐怖が読者に迫る。【大正時代】


闇を裂く道
 多大な犠牲を払い、地元にも深刻な影響を及ぼしながら、ようやく開通した東海道線丹那トンネルの大工事の記録。【大正・昭和初期】


破獄

昭和の脱獄王と呼ばれた男が繰り返した脱獄の数々。“逃亡もの”の最高峰。【昭和初期】


戦艦武蔵
 「大和」と同型の超巨大戦艦「武蔵」の誕生から終焉まで。戦争というものの本質に迫る。【太平洋戦争】


深海の使者
 ドイツと連携すべく遠く欧州まで潜水艦を送った海軍。恐ろしいまでのエネルギーを投じた戦争の一断面。【太平洋戦争】


 

 

◇◆◇◆ プラス10作品+次点2作  ◇◆◇◆

 

間宮林蔵
 間宮海峡を発見した間宮林蔵。奥地探検に留まらない林蔵の“仕事”を描く。【江戸時代】


長英逃亡
 蛮社の獄で捕らわれた蘭学者・高野長英。幕府の厳しい追跡をかわしながらのきわどく壮絶な逃亡劇。【江戸時代】


桜田門外ノ変

幕末の転換点となった一大事件の全貌。事件のあともドラマは続いてゆく。【江戸幕末期】


白い航跡
 明治期の恐ろしい病・脚気の予防に成功した高木兼寛。通説と新説、本流と異端。現代にも通じる状況に興味が湧く。【明治時代】


ニコライ遭難

来日中のロシア皇帝ニコライが襲われた大津事件を詳述。明治期のロシアの存在の大きさが印象的。【明治時代】


『海の史劇』

日露戦争・日本海海戦。ロシアからアフリカ喜望峰を回って日本を目指したロシア大艦隊の航海、そして日本海軍との戦いが壮大に描かれる。【明治時代】


関東大震災

20万人が亡くなった関東大震災の全貌。首都圏に迫りくる次の大地震を前に、本書には様々な教訓が詰まっている。【大正時代】


高熱隧道

黒部第三ダムのための過酷なトンネル工事。恐ろしいまでの自然を前に、力を振り絞る男達の姿。【昭和初期】


逃亡

戦時中、そそのかされて規則違反を犯し、軍隊を脱走せざるを得なくなった少年。逃亡ものの醍醐味が味わえる。【太平洋戦争】


神々の沈黙

昭和40年代。海外で行われた最初期の心臓移植を、南アフリカ・アメリカの現地取材をもとにルポ風に描写。さらに和田移植をフォロー。【昭和40年代】


 

■□ 次点 ■□


背中の勲章

太平洋戦争の初期にアメリカの捕虜となった男。これも戦争の一つの姿である。【太平洋戦争】


仮釈放
 殺人事件を犯した元教師の罪の意識・反省の情とは。純文学作品の香りが漂う一作。【昭和40年代】

  吉村昭はまだ作家としてデビューする前の同人雑誌時代に、短編作品で4度も芥川賞候補となりながら(1959年及び62年)、結局受賞できずに終わったという話は良く知られており、本人や妻・津村節子もそのときの事をいろいろな場で書いている。(吉村昭『私の文学漂流』、津村節子『ふたり旅』他)

 

 芥川賞こそ受賞できなかったものの、長編第二作『戦艦武蔵』(1968年)が世に出て以降、吉村昭の作品の評価は高まり、その後、次々に文学賞を受賞することとなった。

 

 

◆文学賞を受賞した長編作品(受賞年順)

 

『深海の使者』 第34回文藝春秋読者賞(1972年)

『戦艦武蔵』『関東大震災』など一連のドキュメント作品 第21回菊池寛賞(1973年)

『ふぉん・しいほるとの娘』 第13回吉川英治文学賞(1979年)

『冷い夏、熱い夏』 毎日芸術賞(1985年)

『破獄』 読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞(1985年)

『天狗争乱』 第21回大佛次郎賞(1994年)

『長英逃亡』 第7回高野長英賞(2004年)

 

 

 ところで、吉村昭は「第1回司馬遼太郎賞」の受賞者に推されながら、辞退したという(*)。
 評論家の大河内昭爾氏は「ある高名な歴史小説作家の名前を冠した文学賞の主催者から、吉村昭に受賞の打診が来た時、私は相談を受けた。吉村昭はその作家の作風に自分とは相容れないものを感じていたため、受賞に戸惑いを感じたようだ」と記している。(「拒否する作家」吉村昭との五十年(『新潮45』
20098月号所収))


*評論家・末國善己氏は『文藝別冊
吉村昭』所収の「“史伝”の復権」の中で、吉村昭が辞退したと明記している。一方、大河内氏は上記のとおり賞名の特定は避けているものの、内容から見ても、氏の言う文学賞は司馬遼太郎賞だと考えられる。

本日、長編全56作品の分類記事をアップした。

56作品を読み、各紹介記事を書くところまでは良かったが、その後、各作品について、年代や登場人物を簡単に整理してデータベース化する作業がかなりの苦労だった。

それを過ぎると、分類作業へ。以前からここを一つの目標としてきたので、作業は楽しかった。
どのようなカテゴリーを設けるか。どうすればいちばんうまく分類できるか。この点が分類の面白さであり、うまく分類できれば、全体像がよく見えてくる。

結果として、「時代別」および「ジャンル別」という二つの切り口から分類を行った。まずまず納得のいく出来栄えである。

今後は、これをベースに長編にまつわる様々な記事を書いていく。
その第一弾が、「長編作品に対する評価」だ。これを見ると、歴史・戦争・医学など、吉村昭はいろいろな分野で高い評価を得ていることが分かる。まさに「ものを書く人」としての力量を示すものだと感じる。

 吉村昭作品は、この世界でどう評価されてきたのか?

 文庫本の末尾には「解説」があり、その作品の特徴や魅力が論じられているので、もちろん重要な参考とはなろう。ただし、これらは肯定的に評価されることが前提となっており、世の中にあまたある作品群の中での評価が必ずしも見えてくるわけではない。


 そこで本項では、より客観的なものとして、他の作品群との比較の中で吉村昭作品がどう評価されているかについて、いくつか紹介してみたい。

 


1.歴史小説

吉村昭の歴史小説は、史実に忠実であることが大きな特徴であり、この点については歴史学者も評価するところである。作品を書くにあたり、史料・古文書を丹念に調べ、現地にも足を運ぶ。こうして、時には学者も知らなかった事実を発掘することもあった。こうした地道な作業に裏付けられているがゆえの面白さであり、作品の厚み、懐の深さなのである。

 

○『日本の近現代史をどう見るか シリーズ日本近現代史⑩』(岩波新書)

本書では、1~9章の各執筆者がそれぞれ「お薦めの5冊」を記している。

このうち、1章「幕末期、欧米に対し日本の自立はどう守られたか」(北大名誉教授・井上勝生氏)で『落日の宴』が挙げられており、井上氏は“吉村昭の大局的な歴史の見方がすばらしい”と評している。

また2章「なぜ明治の国家は天皇を必要としたか」(元東京経済大教員・牧原憲夫氏)では、『赤い人』がリストアップされていて、牧原氏は“綿密な調査をもとにしながら、北海道開拓や明治国家のどす黒い一面をまざまざと描き出した、吉村昭ならではの文学”と高く評価している。

 

○『中央公論』2007年1月号 特集「日本史を学び直すための130冊」

 この特集では、テーマごとに論者がおすすめの本を挙げており、その中の“歴史小説のおすすめ20冊”のうちの1冊として、文芸評論家・細谷正充氏は『ふぉん・しいほるとの娘』を選んでいる。“(主人公)稲の逞しさだけではなく、エゴイズムからも眼を逸らさないことで、偉人伝ではない人間伝になっている。歴史小説家・吉村昭の面魂が、そこにある。”というのが細谷氏のコメントだ。



(2)へ続く。(戦史小説およびその他小説)

2.戦史小説

 言うまでもなく吉村昭を作家として大きく世に出したのが、このジャンルであり、その代表作が『戦艦武蔵』である。この作品は、以下にあるとおり特に高い評価を得ている。

 

○『ノンフィクションと教養』(佐藤優責任編集/講談社)

 この本では10人の論者がそれぞれノンフィクション作品のベスト100冊(海外作品を含む)を選んでいるが、このうち佐藤優氏(作家・元外交官)や佐野眞一氏(ノンフィクション作家)は『戦艦武蔵』をベスト100の1冊に推し、また岩瀬達哉氏(ジャーナリスト)は『戦艦武蔵』をベスト10に入れ、あわせて『戦艦武蔵ノート』をベスト100に選んでいる。

『戦艦武蔵』について、佐藤氏は“武蔵が造られる過程に焦点をあて、合理性と狂気が併存できることを見事に描いた”佐野氏は“不沈の巨艦の建造から壮絶な最期までを追った吉村昭文学の最高峰”と評し、岩瀬氏は“極秘の巨大戦艦が徐々に姿を現していく冒頭シーンは、美しいモノクロ映画のようでもある”と述べている。

 

○『世代を超えて語り継ぎたい戦争文学』(澤地久枝・佐高信/岩波書店)

 戦争文学を幅広く取り上げた対談集。この中で澤地氏は『戦艦武蔵』や『戦艦武蔵ノート』を取り上げて高く評価している。澤地氏は“吉村さんは戦争体験がないから逆に俯瞰でも密着でも見られる”と語り、佐高氏も、“戦争をしなければ儲からない企業というのがあり、それが悪しき資本主義の末期の姿”という澤地氏のコメントに答えて“それを、吉村さんは紋切り型でなくて説明している”と述べている。

 

○『中央公論』2007年1月号 特集「日本史を学び直すための130冊」

 ノンフィクション作家・保阪正康氏は“「あの戦争」を知るための10冊”を、“初めに目を通しておく基本書・入門書”と位置づけ、この中の1冊に『大本営が震えた日』を選んだ。保阪氏は“吉村昭は作家として誠実に戦記にとりくんでいて、(中略)戦争という時代に生きた人たちの姿を淡々とえがいている”と評している。

 


3.その他

○『ノンフィクションと教養』(佐藤優責任編集/講談社)

 作家・重松清氏は、『冷い夏、熱い夏』をベスト10のうちの1冊に挙げた。“主観的な感情を徹底して排していながら、読み手の感情を揺さぶる筆致。「文学」と「ノンフィクション」の最も幸せな融合がここにある”と重松氏は本作品を激賞している。

 

○『日経メディカル』2009年夏号 「日本の医療小説傑作20選」(東えりか)

 書評家・東えりか氏が、終戦から現在までの医療小説の中から代表的な作品として選んだ20冊。この中で、吉村昭作品は『神々の沈黙』『消えた鼓動』『冷い夏、熱い夏』という3冊が選ばれている。


(以上)

吉村昭は、現在においては、歴史小説家の書き手と位置づけられる事が多いと思われる。しかし、氏の著作をトータルとしてみれば、必ずしもこの認識は正しくないことが分かるだろう。数多くある吉村作品は、作品の舞台となる時代の面でもジャンルの面でも、実に幅広く多彩であり、ノンフィクション作家という顔も持っているのである。

長編作品の多くに共通するのは、事実を事実として描こうとするスタンスである。江戸時代を舞台とした作品であれば、史実にこだわる姿勢。現代ものであれば、ノンフィクションに分類される作品の数々。もともとは純文学からスタートした吉村昭だが、文学作品の多くは短編であり、長編作品の大半は、実際に起こった出来事を極力忠実に描いた作品である。

本項では、氏の全長編作品を分類することで、吉村昭という作家の成した仕事の一面に迫りたい。また、作品が数多くかつ多彩であるがゆえに、どの本を読めばよいか迷ったり、関心のあるジャンルの本を見つけられなかったりすることもあるだろう。本項での分類によって、読者が作品を選ぶ際の良い手がかりを提供できればと思っている。

 

では、作品の分類に入ろう。以下で取り上げるのは長編作品56作。


小説については、単独で文庫本となっているものを長編と扱った(※)。また長編相当のボリュームを有するものであっても、解説・記録的なものは対象外としている(『私の文学漂流』『漂流記の魅力』『吉村昭の平家物語』ほか)。ただし、『戦艦武蔵ノート』『消えた鼓動』『三陸海岸大津波』『関東大震災』については、文学・ノンフィクション作品と位置付けることも可能と考え、56作品に含めている。


※『雪の花』は、他の長編作品に比べるとかなり短い(中編である『島抜け』『幕府軍艦「回天」始末』『海の鼠』とほぼ同じ長さ)が、単独で「新潮文庫」に収録されていることから、ここでは長編作品と位置付けている。


  分類方法は、「時代別」と「ジャンル別」の2つ。「時代別」は、主人公やメインとなっている事件等がどの時代のものであるか、という観点からの分類。「ジャンル別」は、テーマの内容による分類である。これら
2種類の分類により、吉村昭の長編作品の全体像が見えてくるのではないかと期待する。

 

※吉村昭は長編作品に加え、数多くの短編小説とエッセイを遺しており、それぞれが高い評価を得ている。長編・短編・エッセイという3つのカテゴリーの作品群によって、吉村昭の作品世界は成り立っているのである。なお、短編小説及びエッセイの全体像については、別途整理したい。

 

◎吉村昭 長編全作品 分類項目一覧


~時代別分類(56作品)~

1.江戸期(22作品)

1)江戸期の人物(13)

2)幕末維新期(3)

3)海・船もの(6)

2.明治・大正期、昭和戦前期(13作品)

1)ロシアもの(3)

2)人物もの(3)

3)自然もの(5)

4)その他(2)

3.太平洋戦争期(12作品)

 1)戦史小説(6)

 2)戦争の中の人間ドラマ(5)

 3)吉村昭の戦争(1)

4.現代(9作品)

 1)私小説(2)

 2)その他(7)



~分野・ジャンル別分類~

(一部作品は、複数の分野・ジャンルに分類されている。また、いずれにも分類されていない長編がある。)

1.プロジェクトX(難事業・偉業)(10作品)
2.逃げる・追われる(6作品)
3.海・船(11作品)
4.医学・医師(11作品)
5.刑務所・囚人(5作品)
6.ロシア(8作品)
7.動物と人間(2作品) 


※次ページへから、各項目ごとの作品一覧を掲載 

 


 吉村昭の長編作品の舞台となったのは、18世紀半ばから幕末維新期、明治・大正期、昭和戦前期、そして太平洋戦争期、戦後・現代と実に幅広い。

 ここでは、まず大きく「時代別」に分類したうえで、それぞれの時期でさらに分野・ジャンル別に分類してみた。


※各作品については、全て個別の解説・紹介を本ブログに掲載している。内容を知りたいという場合は、検索により当該ページにアクセスいただきたい。

 

1.江戸期

1)江戸期の人物をテーマとした作品群

  分類してみると最大勢力となったジャンル。外交官や通訳、医家など様々な人物が取り上げられているが、吉村昭が選んだのは、歴史の表舞台で活躍した“著名人”というよりは、後世に名を残すべきでありながら埋もれてしまっていたり、その業績が正しく理解されていなかったりする人物が多い。まさしくこれが吉村昭の好みであり、作家としてのスタンスを示すのである。

 なお、以下に出てくる作品は『破船』を除き、すべて実在の人物や出来事をもとに書かれた「史実もの」である。掲載は、単行本刊行年順。(【】が刊行年)

 

○『雪の花』(種痘術を広めた医家・笠原良策)【1971年】

 ○『冬の鷹』(「解体新書」を著した蘭学者・前野良沢)【1974年】

 ○『北天の星(ロシアに拉致されながら生還を果たした五郎冶)【1975年】

 ふぉん・しいほるとの娘(オランダ人学者シーボルトの娘・イネ)【1978年】

 ○『間宮林蔵(間宮海峡を発見した間宮林蔵)【1982年】

 長英逃亡(蛮社の獄で捕らわれた蘭学者・高野長英)【1984年】

海の祭礼
 (鎖国下の日本にやってきたアメリカ人マクドナルドと彼から英語を学んだ通訳・森山栄之助)【1986年】

黒船(初の本格的英和辞典を編纂した通訳・堀達之助)【1991年】

彦九郎山河(幕末の三奇士と呼ばれた高山彦九郎)【1995年】

落日の宴(開国交渉の前面に立った外交官・川路聖謨)1996年】

夜明けの雷鳴(幕末期の混乱の中、幕府への忠誠を重んじた医師・高松凌雲)【2000年】
 
暁の旅人(幕末維新期の医学の進歩に貢献した松本良順)【2005年】
 
彰義隊(皇族でありながら賊軍となった輪王寺宮能久親王)【2005年】

 

※3)に分類した花渡る海』『アメリカ彦蔵』『大黒屋光大夫』『漂流』は、漂流から奇跡的に生還した江戸期の人物を主人公に据えた作品。

 

2)幕末維新期をテーマとした作品

 激動の幕末維新期を舞台とした作品群。吉村昭には、旧幕府・徳川家に対する無能扱い・悪者扱いへの反発心があった。それがこれらの作品のベースにある。

 

○『桜田門外ノ変(幕末期の大事件を水戸藩士を中心に描く)【1990年】

○『天狗争乱(尊王攘夷を掲げて進軍した天狗党が主人公)【1994年】

○『生麦事件(薩摩藩が変わるきっかけとなった事件とその後の動きを描く)【1998年】

 

※1)に分類した『海の祭礼』『黒船』『落日の宴』『彰義隊』は、いずれも幕末維新期が主たる舞台となっており、このジャンルの作品と分類することも可能。

 

3)海・船

吉村昭の得意ジャンル「漂流もの」4作を含むこの6作品は、いずれも小説としての面白さを十分味わえるはずだ。

○『漂流』(絶海の孤島・鳥島に漂着した長平の苦闘)【1976年】

○『破船』(島の貧しい漁村に隠された船をめぐる秘密)【1982年】

花渡る海(ロシアに漂流した後、苦難の末に帰国した久蔵)【1985年】

『朱の丸御用船』(村の沖合で船が難破した事に端を発した事件)【1997年】

アメリカ彦蔵(漂流ののち数奇な運命をたどって日本に戻ったジョセフ・ヒコ)【1999年】

大黒屋光大夫(漂流先のロシアで皇帝にまで謁見した大黒屋光太夫)【2003年】

 

 

2.明治・大正期、昭和戦前期(13作品)


1)ロシアもの

 江戸時代を舞台とした作品にもロシアは何度も出てくるが、明治期の日露関係を描いたものとして、以下の3作がある。当時の日本にとってロシアがいかに大きな存在であったかがよく分かる。

○『海の史劇』(日露戦争を主にロシア艦隊の側から描く)【1972年】

○『ポーツマスの旗日露戦争を講和に導いた小村寿太郎)【1979年】

○『ニコライ遭難(ロシア皇帝ニコライが襲われた大津事件)【1993年】


2)人物もの

 明治・大正期の特徴ある人物を取り上げた作品群。

○『海も暮れきる(大正期の俳人・尾崎放哉の死を間近にした日々)【1980年】

○『虹の翼(世界に先駆けて飛行機の原理を見出した二宮忠八)【1980年】

○『白い航跡(明治期の恐ろしい病・脚気の予防に成功した高木兼寛)【1991年】


3)自然もの

 三陸を繰り返し襲った大津波と関東大震災についての記録作品と困難なトンネル工事をテーマとした2作品。さらに巨大なヒグマの前になすすべのない村人を描く傑作『羆嵐』。自然の大きな力を感じさせてくれる5作品。

○『高熱隧道(黒部第三ダム建設のための過酷なトンネル工事)【1967年】

○『三陸海岸大津波(明治以来3度にわたって三陸を襲った大津波)【1970年】

○『関東大震災20万人が亡くなった関東大震災の全貌)【1973年】

○『羆嵐』(北海道最悪の獣害事件。ヒグマに襲われた村の恐怖)【1977年】

○『闇を裂く道(難工事の連続の末に開通した東海道線丹那トンネル)【1987年】

4)その他

吉村昭の得意ジャンルの一つ「刑務所・囚人もの」が2作。特に『破獄』は、吉村昭作品の中でも屈指の面白さである。

○『赤い人(北海道開拓期の監獄建設や囚人による労働の実態)【1977年】

○『破獄昭和の脱獄王と呼ばれた男が繰り返した脱獄の数々)【1983年】

3.太平洋戦争期(12作品)

 太平洋戦争は吉村昭の人生そして作家としてのスタンスに大きな影響を及ぼしている。また、文学者・作家として一躍世に出ることとなったのが、戦史小説を始めとする太平洋戦争にまつわる作品群。4度も芥川賞候補となった吉村だが、最初の戦史小説『戦艦武蔵』がベストセラーとなってから、太平洋戦争関係の作品、そして歴史小説や記録小説を多く書き、作家としての地位を確立していったのである。


太平洋戦争にまつわる19作品(短編集を含む)についての解説


私が選んだ太平洋戦争関連作品ベスト5

  


1)戦史小説(6)

太平洋戦争に関する事件・出来事について、関係者の証言や資料・記録からその事実を明らかにしていく、というスタイルの作品群。

○『戦艦武蔵(「大和」と同型の超巨大戦艦「武蔵」の誕生から終焉まで)【1966年】

○『零式戦闘機(日本軍が誇った高性能戦闘機「ゼロ戦」)【1968年】

○『大本営が震えた日(開戦直前の緊迫する日本軍の内幕)【1968年】

○『陸奥爆沈(停泊中に沈没した戦艦「陸奥」の爆発の真相)【1970年】

○『蚤と爆弾(満州で人体実験を行っていた関東軍給水部隊)【1970年】

○『深海の使者(ドイツと連携すべく遠く欧州まで潜水艦を送った海軍)【1972年】


2)戦争の中の人間ドラマ(5)

事実を忠実にたどりつつ、特定の人物を主人公に据えてストーリーを展開していくタイプの作品群。

○『殉国(沖縄戦で地べたに這うような戦いを経験した少年兵)【1967年】

○『逃亡(そそのかされて規則違反を犯し軍隊を脱走した少年)【1971年】

○『背中の勲章(太平洋戦争の初期にアメリカの捕虜となった男)【1971年】

○『遠い日の戦争(終戦直前の戦争犯罪のため追われる身となった元軍人)【1978年】

○『プリズンの満月(戦争犯罪人を収容した巣鴨プリズンの実態)【1995年】


3)吉村昭の戦争(1)

 吉村昭が自らの戦争にまつわる経験をベースとして書いた作品。短編小説やエッセイにはこのジャンルの作品が少なくない。

○『戦艦武蔵ノート』(出世作『戦艦武蔵』の執筆プロセス)【1970年】

 


4.現代(9作品)

 このカテゴリーに入る作品は多くはないが、特徴のある作品が並んでいる。なお、数多くある短編小説は大半が「現代もの」であり、「私小説」や「中年サラリーマンもの」は吉村昭の短編作品の一つのジャンルである。そこまでを視野に入れれば、“古い話を多く書いている”というイメージはかなり変わってくるだろう。


1)私小説(2)

○『一家の主(等身大の自分の日々の姿を軽妙に語る)【1974年】

○『冷い夏、熱い夏最愛の弟の死への道程を真っ直ぐに見つめる)1984年】


2)その他(7)

○『孤独な噴水(ボクシングの道に入った青年の孤独な心情)【1964年】

○『神々の沈黙(海外で行われた最初期の心臓移植、そして和田移植)【1969年】

○『消えた鼓動(『神々の沈黙』の執筆プロセス。和田移植への疑問。)【1971年】

○『亭主の家出(中年サラリーマンの哀歓をユーモラスに描く)【1977年】

○『光る壁画(世界で初めて胃カメラの開発に成功した技師達)【1981年】

○『仮釈放(殺人事件を犯した元教師の罪の意識・反省の情とは)1984年】

○『蜜蜂乱舞』(養蜂業を営む一家の旅の生活)【1987年】


※次ページから、「分野・ジャンル別の分類」へ

ここでは、作品のテーマとなっている分野・ジャンル別に分類を行った。前項の「時代別分類」で整理した「江戸期の人物」「幕末維新」「太平洋戦争関係」以外にも、以下のとおり、いくつかのジャンルに分類することができる。同種のテーマの作品を読んでみたいという場合の参考にしていただければと思う。なお、作品の中には、複数の分野・ジャンルに入っているものもある。

 

※掲載は、テーマとなっている時代順。

※「*」マークを付した作品は、当該分野が主たるテーマではないものの、作品の中で重要な要素となっているもの。

 

1.プロジェクトX(難事業・偉業)

 吉村昭は、男達が苦労に苦労を重ねて何事かを成し遂げる、という話を多く取り上げている。NHK「プロジェクトX」が話題を呼んだが、まさにノンフィクションとして取り上げるには格好の題材なのだろう。記録を丁寧に追い、事実を見極め、それを的確に描写することに長けた吉村昭にとって、こうした分野の作品が得意なのは当然であり、どれを読んでも面白いのである。

○『冬の鷹』(「解体新書」を著した蘭学者・前野良沢)【1974年】

○『間宮林蔵(間宮海峡を発見した間宮林蔵)【1982年】

○『雪の花』(種痘術を広めた医家・笠原良策)【1971年】

○『白い航跡』(明治期の恐ろしい病・脚気の予防に成功した高木兼寛)【1991年】

○『虹の翼』(世界に先駆けて飛行機の原理を見出した二宮忠八)【1980年】

○『闇を裂く道』(難工事の連続の末に開通した東海道線丹那トンネル)【1987年】

○『高熱隧道』(黒部第三ダムのための過酷なトンネル工事)【1967年】

○『光る壁画』(世界で初めて胃カメラの開発に成功した技師達)【1981年】

○『神々の沈黙』(初期の心臓移植を描く)【1969年】

○『消えた鼓動』(『神々の沈黙』の執筆プロセス)【1971年】

※この他、太平洋戦争を扱った戦史小説の中に「プロジェクトX」的な作品がある。

○『戦艦武蔵』(「大和」と同型の超巨大戦艦「武蔵」の誕生から終焉まで)【1966年】

○『戦艦武蔵ノート』(『戦艦武蔵』の執筆プロセス)【1970年】

○『零式戦闘機』(日本軍が誇った高性能戦闘機「ゼロ戦」)【1968年】

○『深海の使者』(ドイツと連携すべく遠く欧州まで潜水艦を送った海軍)【1972年】

 

2.逃げる・追われる

 吉村昭が得意とした分野の一つ。追われ、逃げる者の心理描写は絶妙で、読者を強烈に引き込むのである。吉村昭は、このジャンルの作品を執筆しているときは、自分が主人公になりきり、追われている気持ちになって、寝ているときにうなされる事もたびたびあったのだ、という。

*『彦九郎山河(幕末の三奇士・高山彦九郎。最後は追われる身となった。)

○『長英逃亡(蘭学者・高野長英の逃亡劇)

○『桜田門外ノ変』(作品後半のテーマは水戸浪士の逃亡)【1990年】

○『破獄』(昭和の脱獄王と呼ばれた男が繰り返した脱獄の数々)【1983年】

○『逃亡』(そそのかされて規則違反を犯し軍隊を脱走した少年)【1971年】

○『遠い日の戦争』(終戦直前の戦争犯罪のため追われる身となった元軍人)【1978年】

 

3.海・船

 海や船にまつわる作品が、吉村昭には多くある。その代表が「江戸時代の漂流もの」だ。想像を絶する苦境に陥った男達の姿そして心のうちを、吉村昭は丹念に描き切るのだ。

また、太平洋戦争ものでは、戦艦「武蔵」「陸奥」や潜水艦を題材とし、海軍における戦争を克明に描いている。

○『破船』(島の貧しい漁村に隠された船をめぐる秘密)【1982年】

○『大黒屋光大夫(漂流先のロシアで皇帝にまで謁見した大黒屋光太夫)【2003年】

○『漂流』(絶海の孤島・鳥島に漂着した長平の苦闘)【1976年】

○『花渡る海(ロシアに漂流した後、苦難の末に帰国した久蔵)【1985年】

○『朱の丸御用船』(村の沖合で船が難破した事に端を発した事件)【1997年】

○『アメリカ彦蔵(漂流ののち数奇な運命をたどったジョセフ・ヒコ)【1999年】

○『三陸海岸大津波』(明治以来3度にわたって三陸を襲った大津波)【1970年】

○『戦艦武蔵』(「大和」と同型の超巨大戦艦「武蔵」の誕生から終焉まで)【1966年】

○『戦艦武蔵ノート』(『戦艦武蔵』の執筆プロセス)【1970年】

○『深海の使者』(ドイツと連携すべく遠く欧州まで潜水艦を送った海軍)【1972年】

○『陸奥爆沈』(停泊中に沈没した戦艦「陸奥」の爆発の真相)【1970年】

 

4.医学・医者

 江戸時代から現代に至るまで、吉村昭は医学や医家・医師関連の作品を多く書いている。若い頃に結核で死地を彷徨い、手術によって辛くも命を取りとめた自らの経験が、医学や医師への根本的な信頼・尊敬となり、それがこれらの作品にも反映されていると言えよう。

○『冬の鷹』(「解体新書」を著した蘭学者・前野良沢)【1974年】

○『雪の花』(種痘術を広めた医家・笠原良策)【1971年】

*『北天の星(ロシアから種痘術を持ち帰った五郎冶)【1975年】

○『ふぉん・しいほるとの娘(シーボルト娘で産婦人科医となったイネ)【1978年】

○『暁の旅人(幕末維新期の医学の進歩に貢献した松本良順)【2005年】
○『夜明けの雷鳴(幕末維新期の混乱期に医の道を貫いた医師・高松凌雲)【2000年】
○『白い航跡』(明治期の恐ろしい病・脚気の予防に成功した高木兼寛)【1991年】

○『光る壁画』(世界で初めて胃カメラの開発に成功した技師達)【1981年】

○『神々の沈黙』(初期の心臓移植を描く)【1969年】

○『消えた鼓動』(『神々の沈黙』の執筆プロセス。和田移植への疑問。)【1971年】

○『冷い夏、熱い夏』(最愛の弟の死への道程を真っ直ぐに見つめる)1984年】

5.刑務所・囚人

 刑務所や囚人・受刑者を扱った作品も少なくない。刑務所で働く刑務官・看守、受刑者・囚人、さらには受刑者や出所者を支援する人が登場するが、彼らが特殊な環境・状況にいる人々であるがゆえに、小説の題材として好適なのかもしれない。

なお、下記の5作品以外にも、短編が多くある。このジャンル全体の解説

○『赤い人』(北海道開拓期の監獄建設や囚人による労働の実態)【1977年】

○『破獄』(昭和の脱獄王と呼ばれた男が繰り返した脱獄の数々)【1983年】

○『背中の勲章』(太平洋戦争の初期にアメリカの捕虜となった男)【1971年】

○『プリズンの満月』(戦争犯罪人を収容した巣鴨プリズンの実態)【1995年】

○『仮釈放』(無期懲役刑となりながら仮釈放となった男)1984年】

 

6.ロシア

 吉村昭作品で最も多く登場する外国はロシアである。嵐に遭遇してロシア領まで流されていった人達。江戸時代・明治時代の大国ロシアとの関わりなど、現代とは全く違う“隣国”ロシアの姿、そして日本とロシアとの江戸時代からの関係が見えてくる。

○『大黒屋光大夫(漂流先のロシアで皇帝にまで謁見した大黒屋光太夫)【2003年】

○『間宮林蔵(間宮海峡を発見した間宮林蔵)【1982年】

○『北天の星(ロシアに拉致されながら生還を果たした五郎冶)【1975年】
 *『落日の宴(ロシアとの開国交渉に多く携わった川路聖謨)1996年】

○『花渡る海(ロシアに漂流した後、苦難の末に帰国した久蔵)【1985年】

○『ニコライ遭難(明治24年、ロシア皇帝ニコライが襲われた大津事件)【1993年】

○『海の史劇』(日露戦争を主にロシア艦隊の側から描く)【1972年】

○『ポーツマスの旗(日露戦争を講和に導いた小村寿太郎)【1979年】

 

7.動物と人間

吉村昭は「動物に興味をいだき小説の素材にするのは、そこに人間をみるからだ」と書いている。動物の描写の精緻さに加え、これらの動物に絡む形で人間ドラマが展開されるところに、このジャンルの作品の独特の面白さがある。長編は以下の2本だが、これ以外に短編集が5冊ある。動物と人間ものの全体解説

 ○『羆嵐』(北海道最悪の獣害事件。ヒグマに襲われた村の恐怖)

○『蜜蜂乱舞』(養蜂業を営む一家の旅の生活)



(長編作品分類は以上です) 

昭和2年生まれの二人の作家、城山三郎と吉村昭。雑誌編集者として二人と付き合いのあった著者が、彼らの著作活動に「戦争」がどのような影響を与えたのかを中心に、二人の作家人生を描く。彼らが作家として大成していった過程が、丁寧に描かれており、作品を読むだけでは知ることのできない作家としての厳しい姿勢・プロ意識も見てとれる。

 

著者は編集者という立場上、文壇の様子に通じ、また多くの作家を見てきた。そうした中で、この二人の仕事ぶりに深い共感を抱き、また尊敬の念を抱いている。そのことが本書の端々から伝わってくる。

 

昭和2年生まれというのは、1年上は戦場へ、1年下は学童疎開へといういわば谷間の年代。二人はともに都会にいて空襲にさらされ、戦争に行くことを強く意識した中で終戦を迎え、一気に戦争反対・戦争批判へと変わった世の中に強い違和感を抱く。
城山三郎と吉村昭は、作家としての生き方や著作活動への真摯・誠実な姿勢といった点でも、似ている部分が多くあるが、そこには戦争というものが大きく影響していることがうかがえる。著者は、二人の作家を描きつつ、戦争とはどういうものであったのかについても、語っているのだと思う。

つい先日出たばかりのエッセイ集。

 

収録されている40本超のエッセイの大半は、平成21年以降に書かれたもので、タイトルにある通り、吉村昭が何らかの形で出てくるものが多い。


吉村昭が亡くなったのが平成
18年夏。没後2年半以上が経ってからの作品群ということになるが、そこには、様々な時期の吉村昭が描かれている。まさに、作者の中には吉村昭がしっかりと生き続けている、ということだろうし、小説家として生きたがゆえに、夫の介護を十分に出来なかった、さらには吉村昭にとって良い妻ではなかった、と信じる作者の悔いが、これらのエッセイを書かせたのだろう。

 

ただし、そこには、夫への深い愛情や尊敬の念があって、そうした感情が本書に収められたエッセイの数々にはっきりと見てとれるのである。このことが“温かさ”や“穏やかさ”、そして“心地よさ”といった本書の読後感をもたらしているように思う。

 

※本書には、吉村・津村夫妻の長男・吉村司氏が、世に出ようと苦闘する吉村昭について書いたエッセイも収録されている。

 

(平成24年刊行/河出書房新社)

 

津村節子の自伝的小説。

 

彼女が昭和25年春に学習院短大に入学するところから、話は始まる。短大時代、吉村昭との出会い、小説・文学への傾倒、吉村昭との結婚生活、同人誌時代の苦労の多い日々、身近にいた小説家たちのことなど、昭和38年初までの生活が綴られている。

 

小説家として独り立ちすることを目指し、日々を精一杯生きていく若い女性の姿は、読み終えて何かすがすがしいものを感じさせる。

 

時期としては、吉村昭『私の文学漂流』第2章から第11章(の最初の部分)と重なり、当然ながら両作品に共通する話も多い。そうではあるものの、妻そして同じ小説家の立場から見た吉村昭は、自身の筆によるものとはもちろん違った形で描き出されていて、興味深いのである。

 


※津村節子『ふたり旅』のうち、“長かった同人誌時代”及び“遥かな光”(の序盤)が、本書と同じ時期を書いたものだが、内容的には本書の方がはるかに詳しい。

 

(平成11年刊行/新潮文庫)

 

吉村昭には、医学や医師に関する著作が多くあるが、それらの著作へとつながるベースとなった短編を集めたのが本書。

 

製薬会社のPR誌に“江戸時代の医家列伝”を連載するという話に、吉村昭は最初戸惑ったのだが、最終的にこの仕事を引き受けた。慣れない分野ゆえに苦しい思いをしつつ、専門家の助言も受けながら、12名の医家についての短編を書き上げた。

 

本書に出てくるのは、江戸時代もしくは明治時代初期に顕著な医学的業績を残した人物達。人生の終盤に不遇な境遇となった人もいるが、吉村昭は彼らの人間的魅力にも触れながら、個性豊かな12名を描いている。

 

※この短編集で取り上げられた12名のうち、後に吉村が長編小説の主人公として取り上げたのは、以下の6名。(各作品についてはそれぞれ解説文記事あり。カテゴリー「医師・医学」)


  笠原良策『雪の花』

前野良沢『冬の鷹』

中川五郎治『北天の星』

楠本イネ『ふぉん・しいほるとの娘』

高木兼寛『白い航跡』

松本良順『暁の旅人』

 

(昭和46年刊行/講談社文庫)

鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が敗れ、朝廷軍(新政府軍)が江戸に乗り込んできたが、そこで抵抗を続けたのが、上野・寛永寺に陣を置く“彰義隊”であった。徳川家に忠誠を誓い、最後は新政府軍からの攻撃の前に敗走。寛永寺の山主で、皇族の輪王寺宮(明治天皇の叔父、後の北白川宮能久親王)は、皇族の身でありながら、朝敵として追われる立場になったのである。

 

やがて舞台は奥州へと展開する。仙台・会津・米沢とった奥羽諸藩は新政府との対決姿勢を強め、またこの地には、徳川方の様々な人(元幕府老中や藩主も含まれていた)も集まってきていた。輪王寺宮は、図らずもそうした勢力の中心として、新政府と正面から対峙することとなった・・・。

 

吉村昭は、滅亡への道を歩む徳川勢の最期の様子を、輪王寺宮を主人公に据えて、密度濃く描き出す。そこから浮かび上がるのは、敗者達の切ない姿である。

 

幕末維新期を幕府側の視点から描く事の多かった吉村昭。その最後となるにふさわしい一作だ。

※上野・寛永寺や輪王寺宮が身を潜めた一帯は、吉村昭にとって幼少から馴染んだ土地。その事も本作を執筆する一つのきっかけとなっている。エッセイ集『ひとり旅』所収の「多彩な人間ドラマ」「濁水の中を行く輪王寺宮」には、本書執筆の経緯が記されている。


(平成17年刊行/新潮文庫)

幕末、水戸藩の尊王攘夷派(天狗勢)が決起し、各藩を震撼させた大事件を描いた長編作品。第21回(1994年度)大佛次郎賞を受賞。

 

天狗党に集まった水戸浪士達は、尊王攘夷を掲げて突き進んだものの、すでに時代は開国へと急速に動いていた。そこに悲劇の要因があった。

 

混迷する水戸藩内の情勢を丁寧に描きながら、天狗党の動きを一つ一つ丹念に記していくことで、吉村昭はこの事件の全容を詳らかにする。ほぼ全編にわたって、戦闘や戦い目前の緊迫感ある場面が続く。加えて、吉村昭の持ち味である緻密な描写が、先へ先へと進んでゆく天狗党一行の姿を見事に浮き上がらせ、読者をこの小説に強力に引き込むのである。

 

特に、勢力を増した天狗党が、明確な目標を定めて再出発し、延々と行軍していく後半部分は、この先どうなるのかという期待を抱かせ、読むのをやめられなくなる。冒頭からエンディングに至るまで、事実の持つ重み、そして面白さに圧倒される作品だ。

 

※中編小説「動く牙」(昭和49年発表。『磔(はりつけ)』所収)は、天狗党が越前大野藩に入って以降の動きを描いた作品。なお、この作品を執筆するきっかけや取材の様子などが、エッセイ「越前の水戸浪士勢」(『歴史の影絵』所収)に詳しく記されている。

※『桜田門外ノ変』は、幕末の水戸藩をテーマにした長編作品として、『天狗争乱』の前編に当たるとも言えるだろう。

 

(平成6年刊行/新潮文庫)

本作品の主人公は、医師・高松凌雲。

 

最後の将軍・慶喜の弟である徳川昭武のフランス渡航に随行し、現地で医学を学んだが、幕府崩壊の報を聞いて帰国。箱館へと向かう榎本軍に身を投じた。

 

凌雲は、箱館での戦乱の中、負傷者であれば敵味方を問わず治療するという固い信念を貫き、戊辰戦争終結後は、ひたすら在野にあって、貧しい人々に対する医療活動に尽力した。

 

吉村昭は、渡欧から箱館での医療活動を中心とした凌雲の真摯な取組みを追っていく。

幕府側の人間ゆえ賊軍となる苦悩を味わいながらも、あくまで医師としての強い誇り、責任感を失うことなく任務に専心する凌雲。徳川家への忠誠を誓いつつ、一人でも多くの患者を治す、その姿を吉村昭は淡々と、しかし共感をもって書き記すのである。


 

※本書に何度か登場する松本良順は、『暁の旅人』の主人公である。また、箱館での戊辰戦争を描いた作品には、他に『幕府軍艦「回天」始末』や『黒船』がある。

(平成12年刊行/文春文庫)

幕末から明治初期に活躍した医学者・松本良順が主人公。

 

順天堂の創設者・佐藤泰然の次男として生まれた良順は、長崎でオランダ人医師・ポンペに西洋医学を学び、日本初の西洋式病院(長崎養生所。長崎大学医学部の前身。)の開設・運営に尽力した。

江戸に戻ったのち、緒方洪庵のあとを継いで幕府医学所の頭取を務めたほか、将軍の侍医として家茂の死去にも立ち会った。明治維新後は、初代陸軍軍医総監となるなど、幕末・維新期の医学界で大きな役割を果たしたのである。

 

松本良順も、吉村昭が小説で多く取り上げた“医学の進歩に貢献した医学者”の一人であり、本書でもその功績や活躍が全編を通じて描かれているが、その中にあって、良順という人物を輝かせているのが、徳川幕府への忠誠・恩義の心である。

(幕府中枢にいた人間として当然、という面はあるものの)幕府が倒れ、新政府軍による討伐が進む中、厳しい状況に追い込まれた会津藩へと赴き負傷兵の治療に当たる姿を、吉村は美しいものとして描いている。

 

本作は、“旧弊”“悪”とされがちな徳川幕府側にも秀でた人物は多くいたのだ、という吉村昭のスタンスを端的に示す作品の一つと言えよう。

 

※本作には、松本良順が新撰組と接触する場面が何度か出てくる。近藤勇や土方歳三のほか、新撰組の屯所(西本願寺)の様子も描かれている。

 

※会津藩における新政府軍の戦いについては、『白い航跡』(良順よりも後の世代の医学者・高木兼寛(慈恵医大の創設者)が主人公)において詳しく描かれている。

 

(平成17年刊行/講談社文庫)

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