MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1129 日大アメフト部問題の源流

2018年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム


 7月31日、日本大学アメリカンフットボール部の悪質な反則問題で、関東学生連盟は、公式戦への出場資格が停止されている日大アメフト部の処分を「当面解除しない」ことを発表しました。

 この発表に対し日大アメフト部サイドは、「連盟からの指摘を真摯に受け止め、今後とも弊部の改革に尽力してまいりたい」とのコメントを出しています。

 日大は7月17日、関東学連に「チーム改善報告書」を提出。内田正人元監督らの反則指示を認め、謝罪したうえで、「理事、学長及び副学長が監督やコーチを兼職することを認めない」などとする再発防止策を提出しています。

 この報告書に対し関東学連の(第三者による)検証委員会は、「日大全体で取り組まなければ実効性を伴わない施策については、策定も実施も未だ不確定で不十分。十分な改善がなされたとは認められない」として、学校法人トップの田中英寿理事長の責任などを指摘しているところです。

 委員会は報告書において、危険タックルの当事者となった選手に内田元監督や井上コーチが指示していたことを認めたうえで、アメフト部OBで日大理事の井ノ口忠男前コーチがその選手や両親に「口封じ工作」を行っていたことも認定しています。

 井ノ口氏は選手らに対し、内田前監督らの指示がなかったことにすれば「私が、大学はもちろん一生面倒を見る」「そうでなかったときは日大が総力を挙げて潰しにいく」などと、脅迫まがいの言葉で危険タックル指示の隠ぺいを図ったということです。

 7月31日のAERA dot.が報じるところでは、井ノ口氏は現役時代はアメフト部キャプテンとして活躍。しかし、ある時期から「日大事業部理事長付相談役」の肩書で日大の物品調達の業者選定に大きな影響力を持つようになり、田中理事長の運転手役なども務めていた人物だということです。

 当然、アメフト部の運営に対しても絶大な力を持ち、選手の起用などへの発言力はむしろ内田監督よりも大きかったとされています。

 一方、日大は7月30日に理事会を開催しましたが、そこでは田中理事長の解任処分や責任追及などの声が出ることはなく、理事長らから申し出があった役員報酬の自主返納が了承されるにとどまったと報じられています。

 今回の事件やその後の対応の杜撰さで、日本最大の大学である日大の評価は(ある意味)地に落ちたと言っても良いでしょう。

 そして、一連の事件でここまでことが明るみになったにもかかわらず渦中の大学経営陣に対する学内の声が抑えられていることから、日大の(理事長独裁的な)経営体制の不透明さやそこに横たわる闇の深さが改めて浮き彫りになったと言っても過言ではありません。

 さて、話題の田中英寿理事長は、1969年に日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年に学校法人日本大学理事となり2002年には常務理事に就任。2008年からより理事長を務めています。

 学生時代は相撲部の選手として3年生で学生横綱となり、1969年・1970年・1974年の3度にわたりアマチュア横綱となった学生相撲界の「大物」です。そして、日大ばかりでなく、財団法人日本オリンピック委員会(JOC)副会長を務めるなど、現在の日本のアマチュアスポーツ界において最も大きな発言力を持つ人物の一人と言えるでしょう。

 一方、週刊文春は2005年に「日大総長選の”黒幕”がJOC常務理事就任の奇怪」と題する記事を掲載し、田中と暴力団の住吉会や山口組関係者とのつながりを報じています。また、イトマン事件や石橋産業事件で起訴された実業家許永中との交際など、これまで裏社会とのつながりを何度となく指摘されて来た人物であるのも事実です。

 氏の経歴を見る限り、日大が生んだスポーツ界のスーパースターであることは間違いありません。しかし、法人経営や学術研究とは無縁なこうした人物が、なぜ日大の経営に大きな影響力を持つに至ったかについては、不思議に感じる向きもあるかもしれません。

 このような(ある意味もっともな)疑問に関し、多摩大学学長で経済評論家の寺島実郎氏が総合誌「世界」(岩波書店)の8月号に大変興味深い論考(連載「脳力のレッスン」(「1968年考」)を寄せているので、ここで紹介しておきたいと思います。

 寺島氏はこの論考で、全共闘を中心とした学園紛争が大きく広がった1968年当時、そのひとつの焦点となったのが「日大闘争」だったと振り返っています。

 5月には、日大の使途不明金20億円の責任追及と学校経営の民主化を求める学生の行動が全学の無期限封鎖に発展、翌69年の機動隊導入で解除されるまで御茶ノ水の駿河台では「神田カルチェラタン」と呼ばれるほどの騒乱が続いたということです。

 闘争時、キャンパスなどに立てこもる全共闘の学生に対し、大学側はこれを排除すべく体育会系の学生を動員して組織的な実力行使を仕掛けました。そして、大学はこの時に協力した体育会系学生を職員として卒業後も引き続き雇用し、その後も様々な形で大学運営に協力させ優遇してきたと氏は説明しています。

 それが、今日の日大の理事会の中枢部を体育会系の人間が占めていることの発端であり、大学紛争鎮圧のための(ある種の)「暴力装置」の導入が半世紀の歳月を経た今でも日大の経営を呪縛しているというのが、今回の問題に対する寺島氏の認識です。

 確かにそうした事実を伏線として考えれば、今回の一連の騒動についても「なるほど」と腑に落ちるところがあるような気がします。

 結局のところ、戦後思想家の丸山眞男が「執拗低音」(重層低音)と呼んだ(日本の意識の古層社会にある)反知性的な威圧や暴力による抑圧を是認する(そして場合によっては積極的にそれと迎合する)体質が、半世紀もの間、日大の経営体制中に連綿として息衝いていたということなのかもしれません。



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