MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1146 イノベーションと創造的破壊

2018年08月21日 | 社会・経済


 先日、一橋大学イノベーション研究センター長を務められ、現在、法政大学大学院教授として教鞭をとられている米倉誠一郎氏の「イノベーション」に関する講演(寺島文庫リレー塾「歴史から学ぶ日本の創造的対応」)を伺う機会がありました。

 21世紀の経済用語として、おそらく最もポピュラーに用いられているこの「イノベーション」ですが、氏のお話によれば、この単語の意味するところはなかなか日本語で上手く伝わっていないというのが実情のようです。

 私の知る限りでも、「イノベーション」と言えば、日本ではつい最近まで「技術革新」と訳されることが普通でした。実際、氏が文部科学省に「イノベーション研究センター」の立ちあげに関する認可を申請に行った際も、担当官は「技術革新研究センター」でなければ認可できないと主張し、了解を取るのにかなりの時間を費やしたということです。

 氏は、この講演において「創造的破壊」という言葉をイノベーションを象徴する概念として充てています。

 「創造的破壊」とは、「イノベーションの父」と呼ばれるヨーゼフ・シュンペーター(経済学者Joseph Alois Schumpeter:1883-1950)が1947年に著した論文で提唱した経済学用語で、端的に言ってしまえば「新たな効率的な方法が生み出されれば、それと同時に古い非効率的な方法は駆逐されていく」という(経済発展をもたらす)一連の新陳代謝のプロセスを指すものです。

 論文において、シュンペーターはイノベーションを「現状の均衡を創造的に破壊して新しい経済発展をもたらすもの」と定義し、「馬車を何台つないでも、機関車にはならない」と説明したということです。

 さらにわかりやすく言えば、外からの刺激に対して普通に返すのか、あるいは創造的に返すのか、その差が「イノベーション」に当たるということ。想定外の創造的な対応がダイナミックな変化をもたらす過程を「イノベーション」と呼んでいるということです。

 米倉氏は、20世紀の終わりに社会主義が立ち行かなくなり、各国で市場経済が取り入れられるような理由をこのイノベーションをもたらす環境の有無に見ています。

 社会を豊かにするためには、富を創造しそれを社会に平等に分配することが理想となる。言うなれば、「社会主義」は(そうした観点から)富を平等に分配するためのシステムであり、その部分については有効に機能したと氏はしています。

 しかし、(計画的発展や生産拡大を求める)社会主義には、「破壊」や「変化」というプロセスはなじまない。そこには(創造的破壊がもたらす)イノベーションが生まれる土壌がなく、結果として(西側で進んだような)「富の創造」が伴わなかったというのが米倉氏の認識です。

 裏を返せば、創造的破壊は資本主義における経済発展そのものの要諦であり、これが起こる背景は基本的には外部環境の変化よりもむしろ企業や社会の内部にあるということ。つまり、持続的な経済発展のためには、絶えず(企業内で)創造的破壊を行うことが重要になるということです。

 米倉氏は「イノベーション」の一例として、小荷物の宅配事業を挙げています。氏によれば、イェール大学3年生にフレデリック・スミスという学生がいて、ゼミの課題で「全米150の都市に翌日に荷物を届けるのは、何台の飛行機が必要か」というレポートを書いたということです。

 彼はそこで(誰よりも少ない)「149機」という結論を出したのですが、その方法は、それぞれの街で荷物を集めた飛行機が夜中の12時までに(米国のほぼ中央にある)メンフィスに飛んで行き、集まった荷物から自分の都市の名前が書いてある荷物をピックアップして、朝までに各都市に飛んで帰るというものでした。

 これが「ハブ&スポーク」で、ここから「翌日デリバリー」という概念が生まれたわけですが、イェールの先生はレポートの価値を認めず結果レポートは「C評価」だったということです。

 そこで、頭に来た彼は27歳でフェデラル・エクスプレス社(いわゆる「フェデックス」)をつくります。その後の発展は周知のとおりで、このシステムはその後の宅急便やamazonの発展にも繋がっていくという訳です。

 勿論、これは技術革新でもなんでもなく、何一つ新しい技術は使っていないと米倉氏は説明しています。しかし、ハブ&スポークという新しいビジネスモデルを提唱、実践することで流通業界に大きなイノベーションをもたらしたということです。

 さて、こうした米倉氏のお話の中で、印象に残ったものがもうひとつあります。文部科学省の唱える「生きる力」の涵養に関し、米倉氏がゼミの学生たちに「生きる力とはどんな力か?」と聞いたところ、ある女子学生から「先生、それは自分に自信が持てるようになる力ですよ。」という答えが返ってきたということです。

 氏はその答えに「なにを情緒的なことを…」と思ったようですが、彼女によればその趣旨は「自己肯定感」をつけられるようにすること。自分に自信を持って自分の意志で将来を選択できるような能力や強い精神を身に着けられるようにすることが最も重要だという意見だったということです。

 内閣府の「子ども・若者白書」(平成26年版)によると、「自分自身に満足している」と答えた子供の割合は、アメリカ86.0%、イギリス83.1%、フランス82.7%、ドイツ80.9%、お隣の韓国だって71.5%であるのに対し、日本の場合は45.8%と極端に低かったということです。

 同様に、「自分には長所がある」「将来に希望がある」と答えた子供の割合も他国と比べて著しく低く、日本の子供たちの自己肯定感は極めて低く自分の将来を最初からあきらめているような節があると氏は状況を説明しています。

 確かに、力強く生きていくためには、まずその原動力となる「希望」や「意欲」が必要なのは言うまでもありません。

 それではなぜ、(日本では)こうした結果が生まれているのか?

 米倉氏は、その理由を日本の価値観が「ひとつ」であることによるものだとしています。子どもへの評価が「成績」のようなものに偏っている。そのため、子どもたちの持つ様々な能力や個性などが(他国と比べて)おざなりにされているのではないかという指摘です。

 悲観主義とは「気分」の領域の問題だけれど、楽観主義というは「意志」に属する領域だと氏はしています。

 「なんとかなるさ」ではなく「なんとかするさ」と思えること。思えば「イノベーション」はそうした「意志」や「意欲」からしか生まないものであり、そのような意志や意欲は多様な価値観の中にこそ育まれると米倉氏は話されていました。

 果たして、今後の日本に革新的なイノベーションは生まれ得るのか。

 既存の(安定した)価値体系の「創造的破壊」を可能とする意志を養う教育の重要性を、私も併せて考えさせられたところです。




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