筒美京平が亡くなって、10日ほど経ちました。
時間が経過するにつれて、彼の魅力を再認識しています。
いまは、youtubeにある筒美京平の楽曲の映像を見ています。
いろいろと聞いているとその曲がはやったころが思い出されます。
一番最初の記憶に残っている曲は、昭和43年の「ブルーライトヨコハマ」です。
当時まだ中学生でしたが、しゃれたメロディーが印象に残っています。
ただ当時は、作曲者については、知る由もなく、歌手のいしだあゆみがきれいだな、というのが印象に残ったくらいでした。
その次に思い出されるのは、南沙織の「17歳」です。
沖縄出身のエキゾチックな顔立ちの女の子が歌う曲に惹かれました。
そしがや自身も17歳だったので、共感できる曲でした。
ですが、まだ作曲者を知るまでの余裕がなく、歌手のことしか関心がありませんでした。
筒美京平という名前を最初に知ったのは、岩崎宏美の「ロマンス」だと思います。
大学生になり、東京生活を始めましたが、その頃よく耳にした曲です。
当時は、アイドル全盛期でしたが、岩崎宏美は、その中でも歌唱力がずば抜けていました。
そんな中、作曲者の名前に筒美京平の名を見つけてびっくりしたのです。
それまでのいろいろな好きになった曲の作曲者の名前を見るとほとんど彼の名前が書かれていました。
ですが、当時からメディアに出ることもなく、どんな人物かもわかりませんでした。
そのころには、筒美京平というのは、実在の人物ではなく、複数の作曲者の集団の名称だという説も流れていたくらいです。
その後、歌謡曲を聞き続けてきていますが、「いいな」と思う曲には、彼のものが多いです。
今にして思えば、筒美京平の曲の魅力は、いろいろありますが、一つ挙げるとすれば、その多様性かなと思っています。
ほかの作曲者だと聞くとその作曲者だとわかるものが多いですが、筒美京平の場合は、聞く曲それぞれに作曲者の癖がないので、最初聞いても彼のものだとは、わからないことがほとんどです。
よく言われるように洋楽のことをいろいろと研究していたのだと思います。
ソウル風の曲もあったり、カントリーテイストのものもあったりと様々です。
その筒美京平らしさがないのが、彼の魅力のような気がします。
例えば、歴代作曲家売り上げランキングを見ると筒美京平が1位ですが、2位の小室哲哉の作品を聞くとだいたい彼のものだとまずわかります。
小室サウンドというような特徴があります。
ですが、筒美京平は、京平サウンドと呼ばれたことがないと思います。
それが、彼の最大の魅力なのかな、といまは、過去の作品の映像をyoutubeを聞きながら感じています。
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