医者 医者 ガッポ ガッポ
ガッポ ガッポ ガッポッポ
ぼくらを ころし
ガッポ ガッポ ガッポッポ
しゅじゅつだ しっぱいだ ておくれだ
あいつも 死ぬ死ぬ
こいつも 死ぬ
ころせ ころせ ころせ
どうせ 死ぬなら はよころせ

 これは“おもしろくて ためになる”がキャッチコピーのテレビマガジンの替え歌コーナーに載っていた作品である。いつのだったかは忘れました。昭和の漫才でよくあるネタっぽいですね。もちろん原曲は童謡『汽車ポッポ』ですよ。汽車
 私はこいつがお気に入りで、いまだに鼻歌を歌うときはこれを選曲してしまうのであります。
 

 さて。
 去年も、そして今年に入ってからも、すごい勢いで有名人が亡くなっていきます。もうこれは、どうしようもないことでありますが。
 
 私は小説、漫画、それに映画やテレビドラマにおける重要な登場人物が死ぬ展開が大好き。それも、ワルいやつではなくてイイやつが死んでくのが大好物。ですがこれは、あくまでもフィクションのお話でのこと。べつに実存する人たちが逝かれるのを喜んだりしてるわけではないのです(当たり前だけど)。
 むしろ多くの人が「あんなやつ死刑にしろ」なんて言われるような犯罪者ですら「死刑じゃなくて、もっと違う方法はないものか」と思ってしまうほうで・・・。もっともそれは「死刑では軽すぎる」と思うことがあったり「邪魔者だから排除する、というだけでは思考停止にならないか?」と思うこともあったりするからなのですが。
 

 まぁ、それはともかくとして。
 誰かが亡くなると、みなさん「お悔やみのことば」をコメントされてますよね。あれで多いのが「ご冥福をお祈りします」というやつ。このことばについては何かと物議を醸すことが多いのだそうで。
 
 ネット上を調べてみますと、以下のような記述がありました。
 
注意冥福の「冥」の意味は冥土=人が死んだ後に行く世界のことを、そして「福」は福を招くという意味。だから「ご冥福をお祈り~」とは「死後の幸福をお祈りいたします」または「死後の世界へ無事に行けますように」という意味を持ったことばになる。そのため「ご冥福を~」ということばは遺族に対して使われるものではなく、故人に対して使うことばになる。
 
注意マナーとして「ご冥福をお祈り~」とは、宗教・宗派として「冥福」という考え方がない浄土真宗、神道、キリスト教での通夜や葬儀では相応しくありませんので使わないように。
 
注意遺族の方に「ご冥福をお祈り~と挨拶することは「亡くなられた方は冥土へ迷い込んだ」と言うことになる。「故人を侮辱する無責任で心ない表現」となってしまう。
 
注意冥とは冥界=地獄と解釈されるので「せいぜい地獄で幸せになるんだな」が本来の意味。
 
注意「冥土」を大辞林で引いてみると「死者の霊魂が行く暗黒の世界」「冥界」と出ている。「冥福を祈る」という表現だと、死後、暗黒世界に落ちていることを前提とした受け止め方になってしまう。
 
注意冥福を祈るというのは、すなわち「死んだら闇の世界へ行くけど、こっちでお参りしたり願ったりするからせいぜいいいところへ行きなはれ」という意味になる。だけど生きてる者のおこないで故人がどうにかなるかなんてわからない。よって無責任なことばである。
 
注意とくに事故や病死の場合は使うべきでない。
 
 否定派の意見はこんなかんじ。これでも一部です。でもだいたいの論調じたいは私も知っていて、ちょっと前まではそういうものだと思っていました。ちなみに私の育った家庭では母方が浄土真宗で通ってた宝徳幼稚園も浄土真宗本願寺派、かたや父方の祖父は熱心な日蓮宗ファンで幼少の私を大阪のナントカっていう場所まで連れていき洗脳教育を試み・・・という環境(モチロン、子は親たちの思いどおりには育たないのですが)。そこでは「冥福」ということばはあまり聞いた記憶がないです。ところが。
 
 このたび、あらためて調べてみると、肯定派の意見も少なくはなくなっていたのです。
「冥福という表現は何か特定の宗教から生まれたことばではないので、どの宗教かは気にせず使ってもよい」と断言するものだの、あるいは「理不尽なクレーマーによる、ことば狩りになっただけ」「死後の世界での幸せを祈ることばだから、なんら失礼なことでもない」だの、前に調べたときにはなかった新説がポコポコと現れてきよったのです。どれもこれも、もっともそうな言い分なんですわ。おなじ専門職に就いてる人の意見でも統一されてないんですよね。
 
 も~う、なにがなにやらわからん! こりゃあ素人のワシらの手にゃおえん案件じゃ。  (ノ`△´)ノ ┫:・'∵:.┻┻:・'.:∵ 
 
 たぶんこれ、本で調べようとしてもバラバラのことが書いてあるような気がするのよ。もしここで、その業界の方が「それはですね・・・」とコメントで教えてくれたとしても、いくつもある説のひとつで終わってしまうような・・・。「はぁ、あなたはそう教わってこられたんですね」「そう解釈なさってるんですね」って。
 
 少なくとも「ご冥福お祈り~」を不快に思う人も存在している以上、迂闊に使ってしまうにはリスクをともなう。現にそういう場でモメた、という実例もあるそうで。仮にこちらで「問題ナシ」だと判断してても、ああいう場で「それはですね・・・」と相手に説明したところでおかしな空気になってしまうでしょうね。最悪、修羅場になるかもしれません。ということは、やっぱり「お悔やみ申し上げます」にしたほうが無難といえば無難といえそうです。
 それでも、これについてなんらかの結論を出せたうえで「ご冥福をお祈り~」を選択する人はまだいいです(そこに至った根拠は気になりますが)。問題は、それらを通過することなくこれを使っている人の場合。とりあえず「知ってる文言だから」で使っちゃってる人。冥福が何なのかを知らないのに、考えたこともないのに「ご冥福をお祈り」の人。
 あれ、本当はなにを祈ってるんですかね? (T人T)
 個人的な感覚ですけどね。「冥福って何だっけ?」な人は、その時点で使わんほうがいいんじゃないのって思うよ。どうせ中身なんてないんだから。
 
 それと。さっき「お悔やみ申し上げます」が無難とは書いたけどねー。
 本当はねー、無難な定型文に逃げるよりも自分のことばで表現したほうがいいんだとは思うんだよねー。
 
 
 本来の意味も使い方も知っていながら、あえて違う表現として使うこともある。でもそれは意味があってそうしてるのだから、本当に疑うこともなく使用するのとは同列ではない。
 替え歌なんかは基本、みんなそうですよね。上記に挙げたものもそうですし、志村けんの「カラスの勝手でしょ♪」は童謡『七つの子』を知ってるからギャグが成立するのであって。
 ・・・そういえば以前、モト歌を本当に知らなくて「長いあいだ“カラスの勝手”の笑いどころがわからなかった」という知人がいたなぁ。
 
 
医者 医者 ガッポ ガッポ
ガッポ ガッポ ガッポッポ
 
 私の外見はパッと見が「どこにでもありそうな顔してる」って言われることが多くて、ヒドいときには「あっちに見分けがつかないほど似たような人がいて、話しかけたら無視された」と苦情を受けてしまうこともあるのですが、この場合の見分ける目安としては鼻歌の歌詞が「ガッポ、ガッポ♪」になってる人なら間違いなくチアーさんですので変な目で見ないでほしいです。