年末になって、世間が活気付いて賑やかな日々が続いている。
この頃の思い出というのは、良いものも悪いものも交々に存在するけれど、ここでは少し不思議な話をしてみる事にしよう。

あれは平成11年の年末の頃であった。

私は前年に受験に失敗してしまい、その年は浪人生として一年を過ごしていた。

浪人生としての惨めな気持ちというのは最初の頃だけ存在していたけれど、それ以降はある種の開放感に浸りそれなりに満喫した日々を送っていたのだ。

その頃私は家のある東部から、予備校のある高崎までJR両毛線で毎日通っていた。

その途中に前橋駅があって、時々買い物をしたり本を読んたりするために、よく途中下車したのだった。

上りの電車で高崎方面に向かうと、前橋大島駅を過ぎた頃から線路が高架になって、車窓から前橋の市街地を一望する事ができる。

毎日ぼんやりと車窓の風景を眺めながら通学していたものだから、季節の移ろいというものを何となく感じつつ受験期の到来を指折り数えていたのだ。

晩秋の頃の事。前橋駅に到着する前あたりの街並みの風景の中に、大きな立派な柿の木がある事に気がついた。

高架の車窓からでも自然と目に入るほどの立派な大樹で、柿の実が鈴なりに成っていた。
その数は数百はくだらないほどで、これだけ実を付けると採るだけでも大変な話だと思ったのである。

その家は立派な木造住宅で、二階屋か三階屋ぐらいある赤い屋根の屋敷だったと記憶している。

浪人生になってから前橋や高崎に行くようになったので、その頃の私にはまったく土地勘がなかったし、その柿の木の家がどの辺にあるのか全く知る由もなかった。

やがて、師走に入った。
人々はクリスマスや新年に向けて浮かれ気分で賑わっていたけれど、受験生にとってはセンター試験まであと1カ月余りという時期になるのでもあり、いよいよ臨戦体制という感じであった。

特に私は浪人生だから、文字通り背水の陣での受験であった。
勉強すれども手応えを感じる事が出来なかったので、次第に焦燥感を感じるようになった。

そんな心境で毎日のように、車窓から見えるあの柿の木を眺めていた。
柿の実の色も、はじめは薄い黄色であったが、次第に実が熟して今や濃い橙色へと変化してきた。

そして、年が明ける頃には実が少しずつ落ちていき、やがてほとんどの実が無くっていくのである。

それを眺めながら来年、あの樹にふたたび実が成る時、自分はどのような立場で日々を過ごしているだろうかと思ったものである。


その後の受験では志望校に見事に合格して上京することになり、当然ながら前橋に行く機会もなかったので、あの柿の木の事など忘れてしまったのである。

ところが縁は奇なもので、やがて就職して今度は前橋で仕事をするようになったのである。

そうなって来ると、思い出されるのが浪人生時代の思い出であり、あの柿の木の記憶である。

自宅から車で通勤するようになったので、そもそも電車に乗る機会がなくなってしまったが、あの柿の木を見つけるために再び両毛線に乗ってみた。

記憶を辿りながら、あの柿の木と屋敷があった場所を思い出してみようとしたが、この二十年で街並みも大きく変化してしまったので、問題の柿の木がなかなか見つからない。

あるべき場所にそれは無かった。

しかし、それはそれで良いのかと。

あの樹や屋敷がその後どうなったのか、いまでは知るよしもないけれど、あの頃の思い出は今でも鮮明に残っているのだから。

街はこうして月々日々に変化していく。

残るのは頭の中の記憶、古き良き時代の記憶だけである。