小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

なぜ経済問題は敬遠されるのか

2019年05月15日 09時48分38秒 | 政治

世界のGDP成長率

令和元年5月13日、ついに内閣府が景気動向指数の基調判断を、6年2カ月ぶりに「悪化」へと引き下げました。
いままでいろんな屁理屈をつけて「いざなぎ越え」だの「ゆるやかな回復基調」だのとデマをまき散らしてきたのが、ついに認めざるを得なくなったわけです。
しかし、この判断は、たしかな数字に依拠してなされたというよりは、政権内部の力関係にもとづく、政治判断だろうと推定されます。
為政者たちが、経済を理解した上で、判断したわけではないでしょう。
不景気を示す指標なら、実質賃金、物価指数、民間最終消費支出、GDP成長率、世界に占めるGDPのシェアなど、これまでいくらでもあり、みな低下あるいは低空飛行していることが歴然としているからです。

政府がようやく「悪化」を認めるに至ったということは、来たる7月の参議院選挙(場合によっては衆参同日選挙)を睨んでのことと思われます。
10月に予定された消費増税を実行に移すか移さないかは、おそらくこの選挙の最大の争点となるでしょう。
もし実行に移すと決断すると、与党自民党が大敗するだろうという危惧が、党内にも高まっているようです。
それを避けるために、増税延期のカードを切ったうえで、総選挙に持ち込むというのが、いまのところ、最もありうるシナリオです。
それには、「景気の悪化」という判断を前もって示しておき、その上で、「延期やむなし」との決断に正当性を与えなくてはなりません。
そのことによって、野党の批判をあらかじめ封じておこうという心算でしょう。
リーマン級、リーマン級と、バカの一つ覚えのように言っていたのでは、安倍政権が立たされている難局を乗り越えられない――そういう政治判断が熟してきたのだと考えられます。

「延期」ということになれば、ひどい状態の日本経済が一息つけることはたしかでしょう。
しかし本当は、延期ではダメなのです。
たとえば、東京五輪の行なわれる2020年まで延期、などとなったら、目も当てられません。
今年度中に五輪特需が終わりますから、五輪が行なわれた後は、その反動で投資も消費もさらに落ち込むことが予想されます。
その上に増税実施となれば、日本経済は壊滅的打撃をこうむります。

消費税が、富裕層に優しく貧困層に厳しい逆進性を持つことは、よく知られています。
その上、増税が経済にもたらす打撃は長期にわたります。
これは1997年、2014年と2回にわたる増税が証明しています。
また、言うまでもなく増税を唱える財務省が、その根拠としている「財政破綻の危機」なるお題目には、
まったく根拠がありません。
税率のアップによって、消費は冷え込み、これと連動して投資もさらに縮退します。
すると財務省が見込んでいる税収増は実現されず、かえって「健全財政」は果たされなくなります。
デフレ期の増税など、病人に対して薬の代わりに毒を盛るたぐいの、狂気の振舞いです。
ただちに凍結、あるいは、減税、最良なのは廃止することです。

ところで、財務官僚が国民生活のことなど何も考えず、「PB黒字化」という教義だけをひたすら信じる狂気のカルト集団であることは、すでに一部で知られています。
しかし政治家たちは、どうして、こんなカルト集団の言い分に洗脳されてしまったのでしょう。
財務官僚も政治家も、経済がわかっていないバカだから、と片付けてしまえばそれで終わりですが、それだけでは、そういう事実を確認し、この事実は変わりっこないから諦めようぜと言っているのと同じです。
もう少しこの問題を考えてみましょう。

ごく少数の例外を除いて、政治家たちは、なぜこんなにもマクロ経済を知らないのか。
あるいは知ろうとしないのか。
日本の政治を動かそうという意思を持った人たちが集まっているはずなのに、そのために必要不可欠であるマクロ経済について、最低限の知見すら持ち合わせていないのはなぜなのか。

以下、箇条書きにして、その理由を挙げてみます。
(1)政治家もわれわれふつうの生活者と同じ知恵と関心しか持っていない、凡人である。
(2)民主主義的な手続きによって選ばれた現在の政治家は、人格イメージや演説のうまさや現職の強みや背後の組織力によって選ばれているので、別段、経済の知識など必要としていない。
(3)いったん選ばれてからも、組織内の分掌に割り当てられ、そこに集中することを余儀なくさせられるため、広く公共的な問題を見渡そうとする視野を失ってしまう。

この(3)の点ですが、現代の政治組織は、官僚組織や企業と同じように、分業化とトップダウンの構造を持ち、党内の自由な議論の空間が存在していないように思います。
政治組織こそ、他の組織と異なり、公共的な問題についての自由な討論の場が持続的に確保されなくてはなりません。
それなのに、細分化されたアドホックな事務的仕事に追われ、いつの間にか、官僚の提出する「資料」のままに動く習慣を身につけてしまいます。
しかし、国会議員は、常に国民全体の安全と幸福について考えるべき使命を担っており、そのためにこそ高い給料と秘書を与えられ、国政調査権も持っているのですから、この怠惰な習慣に眠り込んではなりません。
これらの特権について「身を切る改革」などというバカなことが言われましたが、「身を切る」のではなく、せっかくの特権をフルに活用すべきなのです。

政治家は、消費増税のような国民すべてにかかわる重要な問題について、なぜ増税が必要とされてきたのか、誰がそれを声高に主張しているのか、なぜそんなことを主張し続けるのか、自分の頭で、また反対している人たちの意見によく耳を傾けて、勉強しなくてはならないはずです。
しかし、彼らのほとんどがそれをやっていないのです。

「多忙」や「分掌の拘束」を言い訳にせず、党内に必ず、国政、特に重要な経済政策に関する自由な討論の場と時間を設けておき、そこで、キャリアや派閥に関係なく、対等に議論しあう。
そのために各人、勉強を怠らない。
これは、近代政党のあるべき姿としてかなり重要な反省点ではないでしょうか。


もう一つ、政治家に限らず、私たちは一般に、政治的な事象、たとえば、国政選挙とか、日韓問題とか、米朝首脳会談とかに対しては、妙に熱くなる傾向があります。
マスメディアもそういう問題には時間をかけて鳴り物入りで報道しますね。
しかし、たとえば消費増税や移民受け入れ政策や水道民営化や発送電分離などは、私たちの身近な生活圏、つまり家政に直接かかわってくる問題であるにもかかわらず、メディアもあまり報じません(これらについては、既定のこととして報じるばかりです)。
これはどうしてでしょう。

ここで、「狭義の政治」と「広義の政治」という概念分けを試みます。

狭義の政治では、国内政局の力関係、隣国の反日的姿勢、国際環境の変化などが問題とされます。
しかしこれらは、私生活からの遊離度・超越度が高い問題です。
もっとも政治とは、いずれにせよ、「わたくし」の領域から超越した「共同観念」を扱う領域です。
マルクス流にいえば、「上部構造」ということになります。
ところが、その超越の度合いにも落差があって、より超越度の高い問題と、より「わたくし」領域に近い問題とがあります。
前者だけに特化するのが「狭義の政治」であり、両者を含むのが「広義の政治」です。

不思議なことに、私たちは、超越度が高ければ高いほど、興奮する傾向があるのですね。
そしてこの興奮(たとえば「韓国の駆逐艦が自衛隊の対潜哨戒機にレーダー照射をした」といった問題に対する興奮)が、足元の家政という最重要問題を忘れさせます。
狭義の政治は、ある意味で、身近な生活問題を忘れさせてくれる麻薬のようなものです。
それは日々の報道を通じて、私たちの政治意識の表層を覆い尽くしてしまうのです。
床屋政談を繰り返すことは、私生活のうさを紛らして、麻痺させてくれるのですね。
自民か立憲民主かといった政局談議、保守とリベラルのイデオロギー対立の問題などというのも、この麻薬に酔った人たちが作り上げた空中楼閣の典型です。
この人たちのなかに、経済を理解している人がどれくらいいるというのでしょうか。

本来、「広義の政治」には、生活に直結するはずの経済政策のいかんが中核に位置しており、これを外しては、そもそも経世済民を目指すはずの「政治」という概念そのものが成り立ちません。
しかし麻薬による麻痺の作用によって、本末転倒が起きます。
ここに、経済一般に対する関心の希薄さが、集団心理として成立してしまうのです。
これに、「経済学」という、難解な数学などを用いて学問めかした「権威」が、追い打ちをかけます。
私たちは、こうして経済について自ら考えることを敬遠・放棄してしまうのですね。
経済って、なんだか難しそうでわからないわ、ってね。
結果、たとえば消費増税がどんなにトンデモ発想に基づいていても、それを受け入れてしまうし、逆にMMT理論がどんなに当たり前のことを言っていても、トンデモ理論扱いされてしまうのです。

読者のみなさんは、中野剛志氏の最近著『奇跡の経済教室』はもうお読みになりましたか。
未読の方にはぜひおすすめです。
これを読むと、安倍政権、特に財務省の政策がいかにトチ狂ったもので、日本をダメにしてきたかがわかるだけでなく、経済問題そのものに対する敷居がぐっと低くなります。

筆者自身、数年前までは、経済はどうもわからないという敬遠の姿勢を取っていたのです。
しかし、それではいけないと思い始め、極力、三橋貴明氏や、藤井聡氏、中野氏などの主張に触れることに勤めました。
その結果、マクロ経済のからくりがだいぶ読めるようになり、読めるようになると、そんなに難しくないということがわかってきたのです(まだ再現可能性という点で未熟ですが)。
わかってくると、何を「敵」とすればいいか、「味方」と思えた考え方もじつは「敵」だった、など、その照準が定まってきます。
読者の中に、もし「経済はどうも……」と思っている方がいたら、どうか、筆者が身をもって体験してきたことを参考になさってください。



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