つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

monotone Journey 3~ 昭和連想。

2019年01月07日 23時10分36秒 | 白と黒の旅
「昭和64年」は、1989年1月1日から1月7日までのわずか一週間。
今日は「昭和の命日」だ。
数ヶ月後には平成も終わる改元前の節目。
身近な風景を通じ時間旅行へ出かけてみようと思う。


まずは、とあるところで入手した白黒画像。
昭和三十年代と思しき「津幡駅」前だ。
停まった車は「日産サニークーペ」だろうか。
マイカーが普及し始めた当時の代表的な大衆車である。
駅正面出入り口には、立て看板。
「十和田と中尊寺の旅」とある。
今と比べ、情報量が乏しく、交通アクセスも時間がかかった頃。
北陸の人にとって、陸奥(みちのく)は異国情緒漂う最果て。
さぞや魅力的に映った事だろう。

さて、ここからは、不定期連載「monotone Journey」。
散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み第三篇。

世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。


昭和の面影を残す(閉店した)クリーニング店。
向かって左手、ガラス面の模様は「乳母車と花」か。
反対には「一点一点仕上げの店」とある。
こんな装飾、謳い文句は昭和の定番だった。


津幡町「四ツ角」交差点の飲食店跡。
クリームソーダ。
ぜんざい。
焼き鳥。
ここで食べさせてもらった味は、忘れられない。


これぞ、昭和の「縁側」。
津幡町・横浜「普念寺」の離れである。
長く風雨や雪にさらされているであろう一角ながら、
よく整えられ、掃除も行き届き、往時の姿を留めている。


津幡町・加茂にて撮影。
画像右手のホーロー看板が何ともレトロだ。
かぜトンプク「三十分」仁愛アース本舗クボ。
「トンプク(頓服)」とは、食前や食後ではなく症状が出たときに服用する事。
飲めば30分で立ちどころに効く、という訳か。

最後は、あえてカラー画像。

津幡中学校のナップザック。
オレンジがかった黄色のナイロン生地と真ん中に、黒抜きの校章。
まだ(平成30年撮影)売っているんだ。
おやど商店街「やまもと」の店内にて発見した、昭和を想起するグッズである。

昭和天皇の容態深刻を受け、自粛ムードが覆う30年前。
僕はと言えば、名古屋・今池のバイト先にいた。
崩御の大ニュースを伝えた「ブラウン管」も今は昔である。

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2 コメント

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こんばんは (チエちゃん)
2019-01-11 19:46:39
新年のあいさつが遅れてしいましたが、
りくすけさんは喪中でいらしたのですね。
お母様のご冥福をお祈りいたします。

そうでした。昭和64年は7日間だけだった。昭和63年から昭和天皇のご容体がおもわしくないにもかかわらず、私は妊娠中で、もしかしたらこの子は新元号の生まれになるかも?などと不謹慎なことを望んでいたことを思いだしました。
二男は63年11月に生まれました。
家族全員昭和生まれで、あきらめがつきましたけど
今年もよろしくお願いします。
チエちゃん様へ (りくすけ)
2019-01-12 21:27:39
毎度コメントありがとうございます。
また、お心遣い痛み入ります。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。

皆さん、昭和生まれ。
皆さん、三つの御代を跨ぐ事になるのでしょう。
新元号になれば、昭和は少し遠のき、
「昔」に感じるようになるのかもしれませんね。
「昭和めもりーず」は、ますます貴重になりそうです。

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