つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

田園の光景。

2020年05月16日 09時06分16秒 | 日記
「田園」を辞書で引くと、以下の表記がある。

<田と園 (その) 。田畑。また、田畑のある地方。いなか。>

わが津幡町は、いなかであり、田畑のある地方だ。
ここ20年来、お隣・金沢市のベッドタウン化が進み、宅地は増えた。
2020年4月末現在、町のHPによれば、
世帯数は、14,289。
人口が、37,538人。
僕が子供の頃と比べれば、160%増。
色々なインフラも整備され、町内の様相は変化した。
しかし、まだまだ田んぼは残っている。
きっと、多くの日本人が「田舎町」と聞いて思い描く風景に合致するだろう。

個人的に一番好きな田園風景。
JR本津幡駅裏、津幡小学校傍、住宅団地を結ぶ跨線橋近くの棚田である。
一日の田仕事を終え、あぜ道を歩く人影の輪郭が次第にぼやけてゆく夕刻。
田植えが終わり、早苗が風に揺れる水田からは、盛んに蛙の声が聞こえる。
その蛙を狙ってなのか、時折、鷺が舞い降りてきて辺りを啄む姿が見えた。

その風景を堪能した僕は、跨線橋に進んで見下ろしてみた。

ちょうど宅地と田園を分け隔てる線路。
数分後、踏切の音が鳴り始めた。

4両編成のローカル線が、赤い車体を揺らしながら金沢目指して走ってゆく。
実にのどかである。

僕は「田園」を辞書で引くとそこにあるであろう、もう一つの解説---
「ベートーベン」交響曲第6番のメロディを思い出した。
クラシックファンじゃなくても、一聴すれば分かるあの旋律。
そして、脳裏にはもう一つ「あの曲」も思い浮かぶ。

石コロけとばし 夕陽に泣いた僕 
夜空見上げて 星に祈ってた君
アブラにまみれて 黙り込んだあいつ 
仕事ほっぽらかして ほおづえつくあの娘
何もできないで  誰も救えないで 悲しみひとつもいやせないで
カッコつけてないで やれるもんだけで 毎日 何かを 頑張っていりゃ
生きていくんだ  それでいいんだ
ビルに飲み込まれ 街にはじかれて それでも その手を 離さないで
僕がいるんだ  君もいるんだ 
みんなここにいる  愛はどこへもいかない


(※作詞:玉置浩二 須藤晃 作曲:玉置浩二/田園より抜粋)

口ずさみながら帰路に就くと、見慣れた光景がすごく豪華になった。
また同時に「ライブコンサート」が日常に戻ってくるのは、
一体、いつになるんだろう--- と考えずにはいられなかった。

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