自民党の「売国」とマスコミの「反日」から日本を守る~情報難民の3500万高齢者~他/ | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

自民党の「売国」とマスコミの「反日」から日本を守る~情報難民の3500万高齢者~他/

(本記事の中段より)



     

 

 

 

 

 

■地元の図書館に自著が置かれる

 

 

 

 昨日10月18日に、本ブログの構想を練るために、地元である東京都あきる野市の中央図書館に立ち寄ったところ、私の本(「いま僕らに必要な道徳」幻冬舎MC)が哲学コーナーに置いてあって、驚いた。

 

 昨年の10月に市長に寄贈して、駅前にある同図書館に新刊として置かれ、それを私の誕生日である昨年の11月14日に初めて確認したのだが、それ以降は、今日まで同図書館にはずっと見当たらなかったので、「私が無名でマイナー過ぎるため、一時的に新刊コーナーに置かれただけであり、閉架書庫として、お蔵入りにされたのだろう」と勝手に思っていたが、どうも、私が行くたびに借りられていたようである。

 確かに立川、昭島、拝島、新宿と、私の行動範囲にある書店では、すべて発売して間もなく売り切れになっており、政治家やマスコミには全く理解してもらえないが、一般国民には、ご理解があって、手に取ってもらえるようである。

 中央図書館並びに、自著を買っていたいただいた方々、借りて頂いた方々に改めて、深く御礼申し上げたい。

 

 

 

 

■三笠宮妃百合子さま、ご退院

 

 

 10月8日にナベツネ さんと同世代である三笠宮妃百合子さま(97)がご退院された。
 昭和天皇の弟である三笠間宮さまに嫁がれ、3人の男子をもうけられたが、いずれも男子なく薨去(こうきょ)され、三笠宮家はここに断絶し、皇統の危機を迎えている―。

 

 私自身、直接的な血のつながりはないが、私にとって百合子さまは、日本の、皇統、道徳、反新自由主義の3つの生命線である。
 但し、日本にとって最も重要である前者の二つの生命線については、道徳家である私自身にも関わってくることであるため、今の時点では具体的に理由を説明することは全くできないが、唯一、三つめの「反新自由主義」についてだけは、三笠宮家に、水道民営化、アフラックなど急進的な新自由主義(売国、日本解体)を進める麻生太郎の妹、信子さまが、百合子妃の長男である寛仁親王殿下に嫁がれていることから、容易に説明できるだろう。
 

 信子さまは、病床にあった寛仁親王を看病せずに、軽井沢に出て行ってしまい、そのため実の娘二人である彬子さま、瑶子さま、さらには義母である百合子さまとも疎遠になっているが、ロスチャイルド家とも近い兄の政治的野心のために皇室離脱せず、三笠宮家に留まっているのである―。

 

 日本中の誰もが全く知らないが、三笠宮妃百合子さまのご退院は「日本の存続」、「日本の精神」、「日本の経済」にとって、とてつもない救いだったのである。

 

 皇統について言えば、今、再放送されている大河ドラマの「太平記」では、後醍醐天皇に男子が4人もいて、その一人を足利直義が殺害してしまう時代だが、今は海外の皇室との関係や、国連によるジェンダーの流れで、男系を守らなければならないにも関わらず側室を置けず、「今上天皇に男子のお子がいない」という、ありえない時代なのである。しかも、男子が多かった三笠宮家が断絶の憂き目に遭っている。

 

 逆に言えば、「それゆえ」に、三笠宮家が…(省略)、私自身、日本の皇位継承の問題とは全く関係ない範ちゅうで、三笠宮妃百合子さまには、非常に…

 (以下、省略)

 

 

 

■ 自民党の「売国」とマスコミの「反日」から日本を守る~情報難民の3500万高齢者~他/

※ 拡散希望


 「令和2年、売国元年」

■自民党と大マスコミによる「日本を滅ぼす茶番」

 

 かつて竹中平蔵は、小泉人気に乗ってマスコミを巧みに利用し、3500万人いる高齢者(シルバー層)をだまくらかして、郵政民営化法案を成立させたのである。

「当時(2005年)の政府は、郵政民営化担当大臣である竹中平蔵が先頭に立って…

「IQが低く、構造改革に賛成する層」をB層と名付けて、この層を狙い撃ちする宣伝を展開した。

 B層と言われるのは「主婦層と子供中心」「シルバー層」…である。

 この作戦に乗った国民はまんまと騙(だま)され…たのである。」

(菊池英博 共著 「『ゆうちょマネー』はどこへ消えたか」彩流社)


 マスコミと自民党が隠す真実から遠ざけられている、3500万人いる日本の高齢者の皆さま方にはぜひ知っていただきたい。
 自民党が進める政策も、テレビ・新聞が続ける自民党批判のどちらとも「茶番」である。

 これはどちらの言い分も、断じて信じてはならない。
 

 どちらとも思惑があって、悪意があり、外国とグローバル企業の代弁者であり、すべての日本国民の利益を著しく損なうものである。

 

 自民党を信じるな。

 

 そしてテレビ・新聞も信じるな。
 

 そもそもが多額の企業献金を受け取る自民党は、消費増税と法人減税とを目論(もくろ)む経団連の意向で動いている。

 

「自民 企業献金、7年連続増加 18年24億円」(東京新聞 TOKYO Web)
 

 つまりは手のひら返しの「TPP賛成」もそうだが、アメリカと日本の大金持ち、財界の意向だけで動いているので、「一般国民とは完全に乖離(かいり)した政党」である。

 

 そして小泉・安倍・麻生の流れを受け継ぐ現 菅(すが)政権の仕組みをわかりやすくいえば、竹中平蔵が率いる、日本国民全員をターゲットとした(大企業の上層部を除く)、「国家ぐるみの特殊詐欺集団」であり、つまりは選挙で「改革」と騙(かた)って国民を欺(あざむ)き、その実、とんでもない売国政策を進めて、ピンハネと、国富略奪と、国有財産の収奪と、既存の産業圧迫と、公共インフラの外資への明け渡しが同時並行的に進められていて、今の自民党は、その特殊詐欺の実働部隊である

 

 また、同様に竹中平蔵を信奉して、外国の製薬会社のために、重篤(じゅうとく)な副反応のある子宮頸がんワクチンを広めているホリエモンや、水道や空港の民営化など、「極度の新自由主義者」として知られていて、竹中平蔵と二階俊博を絶賛し、マスコミに絶大な影響力を持つ橋下徹と維新もまた、その「特殊詐欺の別働隊」である。

 

 まず竹中平蔵が、外国の国際金融資本のために、新自由主義による日本の百兆円規模の国富略奪を手引きしている。
 そして菅義偉は、かつて竹中平蔵が総務大臣を務めた時の副大臣であり、いわば「竹中の右腕」である。

 また、菅義偉は、「ハゲタカファンドによる350兆円の資産強奪が目的」(菊池英博)とする郵政民営化に最後まで賛成し続けた、「極度(生粋((きっすい))の売国政治屋」である。

 

「国民新党の亀井静香代表は…郵政民営化法案を次のように修正する改正案を作成した。

 

 ①「郵政事業、貯金業務、簡易保険業務」を一体化しておこなうこと、

…③…金融2社(ゆうちょ銀行、かんぽ生命)の株式を完全に市場に売却するという条項を削除し、金融2社の株式の3分の1は政府が保有すること。

 

 …こうして郵政民営化法の改正案は…2012年5月に…成立したのである。

 

 しかし、党議拘束がかかっていたにも拘(かか)わらず、…中川秀直氏、小泉進次郎氏、菅義偉氏、平将明氏が反対した。

 日本崩壊の危機は依然として残った法案になった。 

 

 …菅義偉は…自民党内で外資派と呼ばれる議員であり、外資の利益を優先して日本郵政の金融資産を外資に売り渡そうとする政策に賛同している政治家と見られている。

 

 …日本政府が100%保有している国民の財産というべき日本郵政の株式売却に外資系証券会社が50%超のシェアー(配分)をもっているところに、郵政民営化問題の本質が読み取れる。

 

 …菅官房長官が全面的に外資の要求を受け入れ、国富を米国に差し出す政治姿勢をとっていることがここでも見受けられる。しかし、これでよいのか。」

 (菊池英博 共著 「『ゆうちょマネー』はどこへ消えたか」彩流社)

 

 


 しかし菅義偉の正体を、ようやく、外国に乗っ取られていて、電通やグローバル企業の息のかかったテレビ・新聞とは独立した週刊文春が取り上げてくれた―。

 日本国民を虐(しいた)げて、竹中平蔵や、三橋貴明氏いわく「IRやインバウンドのための観光資源の一環として、日本を解体するアイヌ新法を進める」アトキンソンのためだけの政治をやる売国野郎の実態を。

 

 

 10月11日に地元のセブンイレブンで週刊文春を買いました(右半分)。

 (10月14日 朝日新聞/週刊文春 10月15日号)

 

 三橋貴明氏は早くから「外資系で、元ゴールドマンサックスのアナリストであるアトキンソン氏が菅総理を操っている」と警鐘を鳴らしていたが、週刊文春はメジャーな大衆誌でありながら、見事にそれを取り上げてくれた。

 

 画像にある文春の新聞広告にも書いてあるが、悪名高き経済学者であるミルトン・フリードマンよろしく、竹中平蔵は、すべての日本人に対しては「ベーシックインカム月7万円だけ」にして、年金、生活保護、国民皆保険など、お金のかかるすべての社会保障をなくしつつ、消費税を極限まで上げて、1%の極度の大金持ちだけにすべてのお金を集中させるために、99%の日本人を最下層の奴隷にしたいのである。

 

 また、親中派の二階俊博が、安倍首相辞任を受けての総裁選で、竹中の盟友である菅義偉を支援することで、竹中平蔵による「格差・売国路線」がここに確定した。
 彼らが国民から掠(かす)め取った莫大なおカネは、「日本国内で経済成長のための『投資』に使われるべきおカネが、外国投資へと化けて」(三橋貴明)、外国のとてつもない大金持ち、国際金融資本、グローバル投資家に行くことになっている。
 

 あとは、日本の国富・利権・公共財が、アトキンソンと竹中によって、どれくらいアメリカを中心とした国際金融資本に行くか、もしくは二階によって、どれくらい中国に行くかの問題だけである。

 

 菅義偉政権は、アトキンソン・竹中と、中国共産党を擁護する二階俊博の傀儡(かいらい)に過ぎない。

 

 

 

 

 自民党、ことに旧 森派(安倍、小泉父子など)や、麻生、菅ら万死に値する売国奴が進める、日本の国富を外国へ垂れ流すお金の流れを止めるために、これらの売国政治屋がアメリカに向けて出しっぱなしにしている水道ならぬ金道の「蛇口を締める政策」を採る政権の誕生が急務である。

 

 彼ら「世襲組+菅」の売国奴を政界から完全に永久追放して、再び日本人が蓄えたお金を、外国の一人で云千億円も、云兆円も持っているようなとてつもない大金持ちに垂れ流さないために、財政投融資として、日本の地方に還元させていくような政治を再び始めるしかない。

 

 また、安倍政権と菅政権の違いとしては、安倍政権での格差・売国政策は、年金の海外株式市場投入や消費増税など、「外国のため(売国)」や「大企業のため(格差)」といった漠然としたものであったが、菅政権になってからは、竹中平蔵やアトキンソンなど、利益誘導の対象が露骨になってきている。

 さらに安倍前首相は一時は、日本に新自由主義を押し付ける「外圧」や、緊縮増税を進める「財務省」に抵抗するために、三橋貴明氏と会食するなど、ポピュリズムとは言え、「焼け石に水」程度の抵抗の意志を示してきたのである。

 

 そんな状況の中、玉木雄一郎によると、今年の6月から自殺者が増え始めて、8月は去年の同月と比べて251人も増加し、男性が64人、女性が187人も増加している。
 加えて187人のうち、若い女性の自殺が増加が顕著であり、30代以下の女性の自殺が74%も増えている。

 女性の自殺は社会学の統計的に言って、少ないものであり、また、若い女性となると、極めて少ない数であるから、今の日本の現状は、社会学で言われる「成熟社会」を通り越して、完全に「異常」である。


 また、ただでさえ、安倍政権の緊縮増税路線で、母子家庭の半分近くが貯蓄50万円以下で、子どもの7人に一人が貧困、さらには20代の6割が貯蓄ゼロであり、そんな国民が極貧の状況の中でコロナショックに襲われたのだから、ひとたまりもない。

 アトキンソンは外国人だから、「してやったり」かもしれないが、安倍政権と、竹中平蔵の言う事を聞く菅義偉が殺したようなものである。

 

■外国に乗っ取られた、倒錯した、狂気の大マスコミ(週刊文春、テレビ東京を除く)

 

 ここまで自民党、菅政権の実態について見てきたが、日本の大マスコミも全くこれを信用してはならない。

 70を超える高齢者の大多数は、昭和40年代から慣れ親しんできたカラーテレビのテレビ民放が大好きであり、CMまで大音量で見ているはずである。

 しかし、そもそも大企業の利益になるようなことしか流さないテレビのいうことを信じることは、自ら進んでオレオレ詐欺にだまされに行っているようなものだ。

 遺伝子組み換え、グルテン(小麦粉)、亜硝酸Na、マーガリン、ネオニコチノイド…、国民にとって危険なものを一切知らせず、誤解を招く表現で、それらを押し進めるだけのテレビに。

 

 事実、テレビでは、「消費税を減税しろ」であるとか、「あいちトリエンナーレのような反日をやめろ」という、大多数の国民の声は一切聞こえてこない。

 彼らは巨大な利益を上げているソフトバンクグループがほとんど法人税を納めていないように、多くの大企業が史上最高益を出しているにも関わらず、大企業の法人税を極度に下げる代わりに、その分を一般国民が払う消費税を19%まで上げて穴埋めさせようとしている媒体に過ぎない。 

 

 日本のテレビも新聞も、いくらでも放送できる枠、紙面がありながら、日本の国富を略奪して、日本に格差をもたらす新自由主義の恐ろしさを一切語らず、逆に構造改革や国の借金問題など、新自由主義の側の情報しか報道しない。その最たる人物が竹中平蔵であり、橋下徹であろう。

 

 菅義偉が総裁選で消費増税の必要性に言及しても、それを批判するマスコミはほとんどない。

 さらには村尾信尚などが、国の借金1000兆円(国に貸しているのは日本国民であるが)というでたらめを言うクセに、日本が対外純資産364兆円もある、世界史上最も裕福な国であることを伝える大マスコミは存在しない。

 

 

  

 (9月16日 朝日新聞)

 

 (実際は外圧によるバカげた「新自由主義政策」の条件でしかない)「緊縮増税」の必要性を訴えるなど、倒錯した経済観で知られる朝日新聞の原真人も、外国と大企業におもねっている。

 そして、こともあろうに、ふるさと納税や消費増税など、極度の緊縮路線を採る菅総理を、「規律なき財政」として、まるで事実とは正反対の、積極財政をするかのような誤解を与えることを書いて、ネットから正しい情報を取る人がほとんどいない3500万人の高齢者を欺(あざむ)いている。

 

 つまり自虐史観を越えた「反日」である朝日新聞は、菅義偉を批判しているように見せて、その実、菅義偉を応援しているのである。

 なぜなら、これから菅義偉が採る緊縮増税路線とは、ここに書かれた原真人のトンデモ主張と全く同じであるから。

 このような日本のテレビ、新聞とは、水島 総氏によれば、中国に進出する4000社の大企業をスポンサーとして、さらには韓国と中国に株を買収されて乗っ取られており(ホリエモンによるニッポン放送買収を契機として?)、格差・売国の新自由主義を押し進める菅政権の実態を一切報道せず、日本国民にとって全く取るに足らない、学術会議の任命拒否(上念 司氏がこの問題の無意味さについてYouTubeで詳しく言及しているが)と、杉田水脈(みお)議員の失言だけで、連日論陣を張って大騒ぎしている。

 

「水島(総)『オール民放の影の筆頭株主は中国資本になっていて…経営にたいへんな影響力を持ちますから、

 日本の民放は、事実上、外国人株主に牛耳られていると考えていい。

 さらに、テレビ局の株式を持っている日本企業や、番組スポンサー企業のほとんどが、中国でビジネスを展開しています。

 日本企業の上位4000社が韓国や中国でのビジネスに手を染めており、…韓国や中国を批判する番組はできません。』」

 (三橋貴明著 「大マスコミ 疑惑の報道」 飛鳥新社)

 

 中国・韓国の意向を反映した日本のテレビと新聞は、日本国民のためではなく、いかにアメリカの側を向いていて、自分たちに対する軍事的脅威を持つ「日本の力をそぎ落とすこと」しか眼中にない。

 

 それは日本のテレビが、中国海警局の公船による尖閣周辺での領海侵犯をほとんど報道しないことでも明らかだ。

 韓国系の電通が支配するマスコミは、こぞって、あいちトリエンナーレを支持し、憲法改正や安保法制、辺野古基地移転に執拗(しつよう)に反対する、極端に偏向した論陣を張っている。

 

 つまりヘーゲル哲学でいうところの「いつでも国家の寝首を掻(か)こうとする、恩知らずの下賤(げせん)な意識」である、道徳のないクソバカ・キ〇ガイの日本の大マスコミとは、「反戦」という概念によって自己正当化しているが、あいちトリエンナーレの問題でも証明されているように、それは取りも直さず、「反戦」ではなく「反日」なのだ。

 

 日本の大マスコミは、日本のことなど微塵も考えていないし、否、むしろ、自殺や少子化、児童虐待など、日本が抱えるすべての深刻なアノミー(道徳崩壊による社会の混沌状態)による社会問題は、朝日新聞や田原総一朗を中心に、戦後70年もの間、一貫して道徳を全否定してきたマスコミが作り出したものである。

 

 このまま大マスコミによる、韓流バラエティーの二番煎じのようなクソみたいな体感主義の垂れ流し番組との抱きかかえ販売による反日(日本解体)・非道徳・新自由主義のデマゴーグ(大衆扇動)と世論誘導とが進んでいけば、誰がどう考えても、日本という国は早晩消えてなくなる運命にあるのである…。

 

 その間、日本にいる中国の移民が92万人に達し、菅義偉の選挙区である横浜市だけで4万人に達するなど、激増し、世界一中国人移民が多い国となり、私の出身地である北海道のニセコなども、中国人だらけとなっていて、北海道や沖縄では、中国資本が日本の広大な面積の土地を買い漁(あさ)っている。

 

 このように、わが国日本は、外圧と大企業によって、自民党とマスコミの両面から、まさに挟み撃ちの形で、かつ十重二十重(とえはたえ)に、解体、略奪されて続けているのである。

 

 

 

■移民を進める菅義偉の実相

 

 私は菅(スガ)を前々から信用していなかった。

 彼に対して最初に悪い印象を持ったのは、2018年の10月7日に放送されたNHKの「日曜討論」での一コマである。

「―で、現時点においても、たとえば高齢者施設を作ってもですね、人材不足で、オープンできていない施設も、2割くらい、都会ではある。
 こういう調査結果もあるんです。ですから、こういうもの。あるいは農業も、そうですよね。

 外国人の皆さんに頼らなきゃなんない。
 ―で、今は外国人材が、国を選ぶ時代になっているんですね。
 『どこに行こうか』という。日本も選ばれるような国になるべきだというふうに思っています。」

 

 しかし、周知のように、実際は外国人は、日本を選ばないどころか、猫も杓子も日本に殺到してきているのが実情だ。

 それは毎年外国人が狂喜乱舞している渋谷のハロウィンでも周知であるし、茨城県にある東日本入国管理センターの牛久入管収容所では、日本に入りたくてたまらない外国人が自殺している状況である。
 

 菅が余計な心配なんかしなくても(無論、NHKを視聴している高齢者をだましているだけだが)、訪日外国人は年2000万人を越えるが、

 それでいて、「介護をするために日本に来よう」なんて考える外国人なぞほとんどいない。

 

「外国人も裸足で逃げ出す介護業界

 …2018年になっても、介護職へ申請してきた技能実習生はゼロ、誰も応募して来なかった。

 …厚労省は、2017年に過去最多の7089人が失踪した外国人技能実習生の間で、SNSなどを通して日本の労働環境の劣悪さがとっくに知られ渡っていることなど、夢にも思っていないのだ。」

(堤 未果著 「日本が売られる」 幻冬舎新書)

 

 菅の選挙区である横浜市にいる4万人もの中国人のいったい何割が介護職に従事しているというのか? 

 バカも休み休み言え。

 逆に、これらの中国人はすべて、中国国内の「国防動員法」によって、有事の際には中国政府の指揮下に動員されることが義務づけられており、拒否すれば処罰される(堤 未果)。

 つまり立場上は、尖閣に毎日領海侵犯している中国海警局の公船の乗務員に相違ない。

 

 また、外国人技能実習生の失踪は5年間で延べ2万6,000人と言われていて、2018年の失踪者は9,052人に上り、その大半がベトナム人と中国人で、「介護人材」どころか日本の治安が荒れ、各地で農作物や家畜が盗まれる事件が続発している。

 

ドイツ家族省の最新調査では、移民の流入時期と犯罪率の増加に因果関係があることが明らかにされた。

 …外国人労働者で介護の人件費カット

 2016年11月18日。竹中平蔵氏が出席する国家戦略特区諮問会議の提案で、外国人労働者の受け入れ分野に、『介護』を加える法改正が成立した。…外国人技能実習生なら最低賃金で雇うこともでき、…日本人介護士の給与も引き下げられてゆく。」(堤 未果 同著)

 

 そして、ここまで売国をやって、さらには外国の皆さまを、竹中平蔵一人のレントシーキングによる「ピンハネ」だけのための奴隷にするような、地獄に堕ちるべき所業を進めておいて、そこまで「今の日本が外国人から選ばれるような国になっていない」とうそぶくなら、「まず隗(かい)より始めよ」ではないが、

 

菅義偉、オマエが直ちに日本から出て行け。

 

 (まぁ、この記事を投稿した日は、くしくも外遊で日本から出てはいるんですが…)

 

 竹中平蔵による「レントシーキングとピンハネ」の絶妙な親和性。

 

 「2015年7月8日。…「改正国家戦略特区法」が成立。
 …外国人労働者の家事代行サービスが解禁される。
 …外国人労働者が政府に委託された企業と契約を結び、在留資格を得る仕組みだ。
 これを要求したのは、国家戦略特区  諮問会議のメンバーで人材派遣大手パソナグループ取締役会長の竹中平蔵氏だった。
 …パソナは…3年弱でおよそ1000人の外国人労働者を斡旋、同社に巨額の利益がもたらされることになる。」

 (堤 未果 同著)

 

 また、1989年に竹下内閣によって、物品税などの間接税が廃止されて消費税が導入されるまでには、テレビ・新聞全盛の時代でもあり、様々な国民的な議論があったが、菅義偉が竹中平蔵の言うことを聞いて進めた急激な移民政策や、2013年にワシントンで麻生太郎が突如切り出した水道民営化には、テレビ民放を反日左翼に乗っ取られたということもあって、「国民的議論が全くないまま」なのであるー。

 

 そして介護現場の人手不足は待ったなしであり、藤 和彦氏によれば、現在の認知症高齢者数は約500万人もいて、5年後には700万人となり、 全労働者の25%が医療と介護の従事者になるという。

 

 堤 未果さんによれば、日本には介護の資格を持っていながら、現場にいない介護士がなんと53万人もいる。

 

 つまり、介護の仕事は、堤 未果さんによれば、高齢者と日本語で会話ができなければお話にならず、かつ失踪して成り手のいない外国人をあてにするよりも、財務省を説得して下げられた介護士の給与を上げて、これら53万人の介護士のみなさんに魅力的な職場を提示することが何より先決なのである。

 

 しかし、「どうしてもピンハネをして外国人を骨の髄までこき使いたい」という、日本版ミルトン・フリードマンとも言うべき、守銭奴・レントシーキングとベーシックインカム狂の、悪魔のごとき竹中平蔵様がいる限りは、このような正論が政策に活かされる日は来ないのである。

 

 野党憎しの余り、思考停止した菅信者が多いためか、今のところ、このブログ記事へのアクセスは極めて少ないが、このまま竹中平蔵と、その盟友であるホリエモンがベーシックインカムを菅首相にゴリ押しして、菅首相がこれに反対する官僚をバシバシ左遷させつつ、強硬な「改革」を進めて行けば、早晩日本の社会保障もなくなって、アメリカや中国と同様、「1%の大金持ちだけのための国」となる。

 

 「『年金や生活保護は不要に』 経済ブレーン竹中平蔵」(週刊文春 10月15日号 広告)

 

 そうなると99%の日本人は、香港の人たちと同様に移住を考えざるを得ないが、正直、アメリカには国民皆保険すらなく、病院すらまともに行けないなど、日本以外で日本国民がまともに暮らせる国があるはずもなく、合法的で非暴力的で民主的な「二・二六事件」を起こさなければならない。

 

 そう考えた私は、8月14日に国民民主党に電話をしたが、党の分党と合流のため、公募の受け付けはしておらず、しかしながら、同党に東京選出の議員がいない状況を鑑み、高齢者が多い都下を重視する私は、今すぐ私に駅頭でのビラ配りなどの政治活動をさせていただくよう、9月28日に玉木代表宛てに3つのルートで提言を出したが、10月19日現在で、玉木代表や同党からの返事はない。

 

 私は菅首相が、どうでもいい学術会議で、左寄りの学者を排除して、保守層の感心を買おうとしているようにしか見えないし、また、学術会議の任命拒否以外のすべてが大問題である菅政権に対して、学術会議の任命拒否の一点でしか糾弾(きゅうだん)しない大マスコミもまた、菅政権を攻めているぞという見せかけをしているだけであって、女性の側から一方的に男性をレイプ罪に問える、倒錯したスウェーデンの悪法成立を目指す、国連左翼による内政干渉のSDGs(エスディージーズ)など、アトキンソン&菅政権によるアイヌ新法とは別の形の、中韓寄りの日本解体を目指しているのである。

 

 自民党も、大マスコミも、完全に、直ちに、日本から駆逐(くちく)されなければならない。



 

 

 

 

 

 

 

■ Retrieval (for Hiroshima) / Selective Mind  配信

 
 画像をクリックするとSpotifyで試聴できます。

 

 私は2008年に日本哲学会総会のために初めて訪れた広島で、いくつもの宗教的、神秘的な体験をしたが、学会指定のホテルにチェックインした後、真っ先に訪れた広島平和記念公園で受けた強いインスピレーションを元に作曲したRetrieval を今年の9月14日にようやく配信することができた。
 

 それは、同じく広島の原爆投下をモチーフにしたOMDの「Enola Gay」や、ソフトバレエの「Escape」に近い、同系統のテクノ的な作品と呼べるものであるが、両者の曲が最初から最後まで明るいだけなのに対して、私の曲は暗から明へと展開していく点では、曲として優れていると自負している。

 しかしそれは、私が意図してそのような展開にしたのではなく、広島から得たインスピレーションを元に、自然に作り進めた結果そうなったのである。

 それは完全に無意識的なものであり、出来上がった後で、よくよく考えたら、そのような展開になっていたのである。
 

 ただ当然、日本の音楽のように、歌メロから曲を組み立てるのではなく、テクノ音のパートを元に組み立てているため、歌モノとしては非常につまらない。
 が、そもそも私は日本の主観的なだけの音楽、つまりボーカリストの歌のクセだけが前面に出たような、メロディアスでカラオケ的な歌モノが嫌いであり(どんなに頑張っても、聞き手がその人のような精神性には近づけないため)、千利休の「わびさび」がごとく、欧米の社会性のあるテーマを扱うインダストリアルというジャンルの、暗喩的なメッセージ性のある散文的な詞が好きである。

 つまりは誰が歌っても大差なく、誰の声であってもいいような音楽を目指しているのである。
 しかし、ほとんどの日本人は歌モノしか聴かないため、ブログでは自身の音楽活動について宣伝することを差し控えてきたが、Retrievalはそうはいかない。


 なぜなら10年ほど前に、広島で感化されたRetrievalをYouTubeでアップロードしたところ、インダストリアルを聴く外国の方からいくつかのコメントをいただき、反応があったことに喜んでいたが、「広島の人に聴いてもらわなければ意味がない」と考え、また、当時は広島で学生が前衛芸術の活動を行っていたことから、同曲のYouTubeリンクを広島市のホームページの広告覧にお金を払って掲載してもらおうとして、条件をそろえて申し込んだが、「市長判断」という理不尽な理由で、広告がなんと却下されてしまったのである。
 

 そしてその市長からの事務的な断りの返事が届いたまさにその日、2014年8月20日に集中豪雨による土砂災害が起き、甚大な被害を出して、私の申請を無下に断ったばかりの市長による人災だとも言われたのである。
 

 そしてその年以降も、私は日本の人に「Retrieval」を聴いてもらうことはできず、その状況と並行して、広島、さらには西日本での前例のない線状降水帯という名を知らしめた、集中豪雨による被害は続いているのである。
 

 無論、他の人から見れば、ただの偶然に違いないが、私は広島で聖パウロに近い体験である神の啓示(?)と、インスピレーションを受けたときに、私が平和記念公園にいた時間帯だけ、平和記念公園の敷地内だけに集中豪雨が降るという、「奇跡の雨」に遭遇しており、私一人だけはたまたまその瞬間に、「原爆の子の像」のそばにある折り鶴が飾られた小屋の中にいたため、雨で濡れることはなかったのである―。

 

 その日の天気予報は晴れであり、私が平和記念公園の敷地に入るまで雲一つなかった。

 その広島での奇跡の雨をしのいでいたのが、このRetrievalのジャケットの写真である。

 

 

  

  そしてこちらが、折り鶴の小屋から「原爆の子の像」の反対側を見た時の風景である。

 

 

 

■「脱ツイッター・YouTube」 道徳倫理のない日本のツイッター・YouTube
   /誹謗中傷だけのための場

 ※私は日本人ユーチューバーのYouTubeを見ることをやめた。

 (※三木大雲、ファンキー中村、三橋貴明、西田昌司、柳生忠司などを除く)
 道徳倫理のない日本は落ちる所まで落ちた。
 ツイッターやYouTubeのコメント欄は、誹謗中傷だけのための場と化している。
 ゲームをやったり、サッカーを見た方がましである。
 チャンネル登録者数の多さにふんぞり返っているユーチューバーも多いが、正直あまり関係ない。
 事実、いくら登録者数が多くても、毎日のように更新していなかったり、また更新しても、ほとんど誰も見ていなければ、意味がないのである。
 そしてYouTubeだけで食べていけるのは「ほんの一握り」だ。
 私自身、いくらYouTubeで動画を上げても、低評価を付けに来るバカが後を絶たないため、「自分には合わない」とも思った。
 そして今は完全にインスタグラムの時代である。
 多くのフォロワーや登録者を抱えたインフルエンサー(影響力のある人)が多すぎるツイッターやYouTubeを今から始めても全く何もできないが、インスタグラムは新しいため、ハッシュタッグを付ければなんとかなる。
 また、インスタグラムはYouTubeのような低評価もなく、画像か動画を貼り付けるSNSであるため、ツイッターのようには、他の同テーマのツイートによって埋没されない。
 そして、ツイッターやYouTubeのような「文章がメインのSNS」ではないため、誹謗中傷がほとんどないのも利点である。
 無論、コロナや災害などでは、社会性のある情報の入手や拡散のためにツイッターを使えばいいし、見ておきたい映像コンテンツがあれば、YouTubeを見ればいい。
 つまりはツタヤや、自治体からの情報が入った回覧板、その程度の物である。

 ツイッターやYouTubeにすべてを捧げるなど、アホのすることである。
 

 事実、野党系や左派のインフルエンサーには、反日的なことをツイートしているのに、「いいね」や「リツイート(拡散)」がやたら多いが、実際、日本にそんなに反日的な日本人が多いはずもなく、一人で何十個ものアカウントを持っている工作員が必死に自作自演しているだけなのである。
  
 日本でツイッターやYouTubeをやっても、あまりにもやっている人が多すぎて、費用対効果に見合わない。

 匿名も含めたインフルエンサーが無限にいて、完全に飽和している今の状況で、費用対効果が出る何万人ものフォロワーを自力で作ることなど不可能だ。
 つまりはテレビと同様、ホリエモンや津田大介であったり、ツイッターしか取り柄がないようなクソくだらないインフルエンサーによる「一方方向的な媒体」と化している。

 それは「トランプ大統領だけ」のツイートに注目する人があまりにも多い現状を見れば明らかだろう。

 

 それでいて、3500万人いる高齢者は全く見ていないから、無意味この上ないのである。
 そして、当たり前だが、若い世代よりは、戦後の貧しい時代を生き抜いてきて、多くの子どもを生み育てた高齢者の方がまだ道徳はある。
 つまりツイッターやYouTubeは、人間のクズが集まるような場所と化しているのである。
 昔、イタズラ電話だけをしていた子どもが、より多くの人たちに迷惑をかける愉快犯をするためだけに集まっているようなクソツールである。

 その点、このアメブロの利用者は、ツイッターやYouTubeに殺到する攻撃的な連中とは一味もふた味も違って、建設的でまじめな人が多い。
 ツイッター、YouTubeをやるとしても、私は完全に海外向けだけである。

 

 

 

 

 

 

■高澤一成・無世界論  抜粋  「命と魂」

 私は20代のころから、なぜか「無世界論」が口グセであり、それは当時弟も覚えていた。それからいろんなシンクロニシティーがあって、自分がスピノザの生まれ変わりではないかと考え、それまでほとんど知らなかったスピノザの哲学が「無世界論」であると知った。
 また、私が20歳くらいのころに哲学に関心を持ち始めた原因の思考も(当時、私の父に伝えたが)、スピノザ哲学そのものだったのである。

 大ヘーゲルはスピノザ哲学の正統後継者である。
 だが、スピノザは一元論、ヘーゲルは二元論、私は三元論っぽい。

 日本では、ことにナベツネさんや石原慎太郎氏が、ヘーゲルを引用、言及してレスペクトしていたが、あまりにも難解すぎる哲学ゆえ、今の日本のマスコミや言論界でヘーゲルを語れる者は全くいない。
 私がお会いした高山守 日本哲学会元会長は、哲学において最も重要であるヘーゲルの研究の第一人者であるが、ヘーゲルが重視した道徳に理解のない全共闘世代かつ理系の人ゆえ、彼の放送大学「ヘーゲルを読む」においても、ヘーゲル哲学において、極めて重要な哲学である「主人と奴隷」(バタイユが重視、黒人や女性の市民権獲得によって証明)や「自己正当化」(西 研 氏が重視、キリストが否定した左翼思想の本質)と同様、紹介されていなかったが、命とは「自己還帰」である。

 次のように言っている。

「自己意識にとって否定さるべきものとしてあらわれる対象は、事の真相をとらえるわたしたちの目には、それはそれで意識と同じように自分へと還(かえ)っていっている。そして、この自己還帰によって『生命』となっている。」
(ヘーゲル 著 長谷川 宏 訳『精神現象学』)


 またヘーゲルはこうも言っている。

「生命の本質は、すべての区別を克服していく無限の、純粋な回転運動…にある。
 さまざまな運動が消えて一つの自立体になったものが生命である。
 それは時間のなかで自己同一の単一な存在を保ちつつ、空間のなかに確固たる形をとって位置を占める。」(同著)


 要約するとこうだ。
 生命とは、①自己還帰の運動であり、②時間的な自己同一の存在である。

 つまり命とは、物質的な存在ではなく、外部との関係であり、運動であるから、一度死ねば、決して生き返ることはないということである。

「生命が実体としてあるということは、純粋な運動が単一の流動体の内部で現におこなわれているということなのだ。」(同著)

 命が物質ではなく、運動であるということは理解できる。
 だが、当然この運動の源は何なのかという疑問が湧く。
 命とは当然、一元的でシンプルなものでは全くない。
 命には、我々日本人(信仰心のない現代人はともかくとしても過去の日本人)が信仰してきた神社神道における自然界のエネルギーが必ずつながっている。
 命とは、日本の神道、中国の道教のような、三大宗教が関わる霊界、冥界とは異なる、宇宙とつながる自然のエネルギーから成立している。

 ビニール袋にめいいっぱい水を入れ、パンパンに張った状態を想像してほしい。
 この水の入ったビニール袋を、ヘーゲルの言う「無(=死、絶対者など)」にたとえる。
 そして、そこに小さな穴を開けると、ピューと水が吹き出る。
 穴を開けられた瞬間は水が勢いよく飛び出るが、この水の勢いが生命エネルギーである。
 赤子のうちはオギャーオギャーと鳴き、10代になって爆音を発する改造バイクを乗り回し、30代前半くらいまでは、養殖池で餌を食べるウナギのように生命エネルギーがみなぎっている。
 しかし、高齢になるにつれ、時間と共に生命エネルギーが弱くなり、「無」から飛び出る水もチョロチョロとしたものになる。
 これが前述した運動(=命)の源である生命エネルギーである。

 つまり魂や霊は三大宗教が担当する霊界、冥界の領域であるが、命とは、それらとは全く別であり、自然や宇宙とつながる神道や道教の領域なのである。
 逆に言うなら、心霊動画となって現れる霊は、自然エネルギーとは無縁の存在である。

 このように命には、オーソドックスに言って、前述したような二つの側面があることがご理解いただけたと思う。

 ただ、現実的な「命の発生」と「命の源」が、絶対無に切れ目を入れることによって、自然エネルギーを手に入れることであり、つまり車でいうガソリンであって、「生きていること」は、自己と外部との運動である自己還帰であり、こちらが車でいうエンジンである。

 

 ヘーゲル他、キリスト教圏の哲学者には、道教や神道的な、自然エネルギーの概念は希薄だが、それこそがスピノザが言及した「神」であり、ヘーゲルが言及した「絶対無」であり、すなわちそれらは三大宗教的ではない「自然エネルギー」であって(教会ではなく神社)、我々は自然エネルギーによって生かされつつ、自己と外部との運動、関係によって生きている、在るのである。

 そうした関係性による存在の哲学は、ヘーゲルの弟子筋であるハイデガーやサルトルにも引き継がれていく。

 それゆえ、一度屍になった死体はモノと化してしまうため、よほどのことがない限り、自己と世界との関係である自己還帰を復活させることは難しいのである。

 

 我々がパワースポットに行くことは、我々の命の源泉である自然エネルギーに触れることであり、心霊スポットに行くことは、命やパワースポットとはあまり関係ない、そして、同じ霊界、冥界ではあるものの、聖(正)なるお寺や教会とは真逆の、負の魂、過去性を見に行くことなのである。

 しかし、この現象として現れ出る霊とは一体何なのか? 
 それは非自然的なものとも言えるが、霊が悟性(=科学)でとらえることができるか、それてもできないかという哲学を知らない人たちの思考、つまり、ヘーゲルが一番否定する「A = A」 という同一律でとらえようとすることがそもそも誤りなのである。
 つまり霊とは「矛盾」であり、a. 霊は悟性でとらえることができる b. 霊は悟性でとらえることができない、の両方なのである。
 悟性、科学とはおおむね感覚でとらえられるものであるとして仮定して、霊は感覚でとらえられもするし、かつ、とらえられないのである。
 それは一見して無意味な矛盾に思われるかもしれないが、たとえば時間軸で考えるとわかりやすい。

 日中には全く心霊現象が起きないが、深夜から未明にかけては起きやすいというように。
 つまり、もっとわかりやすくいえば、霊は、「部分的に(例外的に?)悟性的になったり、ならなかったりしている」のである。
 それは悟性的に見て全く存在していなかったり、人間のような姿をしていたり、オーブになったりという具合である。
 無論、ヘーゲル哲学は二元論であり、自然における無も、霊界における無も、同じ無であって、悟性では決してとらえることのできない客観、ブラックボックスである。
 しかし、私はこの無を神社の領域の無と、お寺や教会の領域の無の二つに分類した。

 無論、自然界と霊界は部分的に融合しているかもしれない。
 だが私は神道と仏教が異なるように、交わる部分もあれば、交わらない部分もあると考える。
 まず自然界は茫漠とした宇宙であり、一方、霊界はいくぶん人間的であり、思念的である。

 

 つまり人類は、たとえるなら、ハードディスク内のデータを消しても、復元できるように、自然界の領域である絶対無に、色付け、書き込みしてしまったのである。

 そして、人が死ねば、ハードディスクからデータを消したように一見して消えてなくなるが、それらのデータが復元できるように、世界における人の生の記録も、何らかの痕跡が残る、それが霊というのである。

 少なくとも生前に悪事の限りを尽くした人と、善行を尽くした人とが死後、全く同じところに行くことがないと我々が信じるように、生前の記録はいくぶん絶対無でも反映されるようになっている。

 それが人類の誕生の後にできた、三大宗教の領域である冥界の方の絶対無である。

 そしてヘーゲルが「理性的なものは現実的である」と言うように、両者の世界を元に世界を築き上げることができるのは、理性を伴う生きている者たちだけである。

 我々が一般的に言う理性とは、ヘーゲル哲学における悟性、科学であり、つまり、ここで科学者ではない私が論じる意味がない陳腐なものである。
 そしてヘーゲルが言う理性とは、絶対無をとらえられるものである。
 しかし、絶対無には前述したように、どうも二つの側面があるようだ。
 死ねば我々は冥界の方に行く。それは江原啓之氏が言うように、我々の魂が一滴の水の雫となって、各々のグループソウル(似た魂の人たちの集まり)が入れられたコップの水に帰るというものだ。

 それは三上丈晴氏の言うような、プラズマというシンプルなものではない。
 なぜなら、我々の魂がプラズマということになれば、単なる科学的な現象ということになってしまうからだ。
 確固として現れる人間の姿をした霊の映像が、単なるプラズマであるとは到底考えにくい。
 むしろ人間の魂が死んで、プラズマ状のものに変化すると考える方が妥当ではないか? 
 つまり我々の霊魂とは、オーブのような発光体に代表される魂、過去性を帯びたプラズマなのである。
 もっとわかりやすく言えば、霊界・冥界の方の絶対無とひも付きのプラズマである。
 だが当然、霊界・冥界が絶対無である以上、やはり悟性ではとらえられないブラックボックスなのである。
 つまり、霊体をプラズマと言い放っても堂々巡りなのである。

 それは霊界の方の絶対無に書き込まれた、デリダの言う「差異差延」であり、さらには眼差しを中心とする人のイメージとして、また、江原啓之氏の言うアカシックレコードとして、霊界に(おそらくは部分的、断片的に)記録されている。
 つまり我々は、我々が行(おこな)ったいかなることも、行(おこな)っていないことにはできないように、我々の生の過去性が、目に見えない世界の記録として残されている(それは、『ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン』の登場するドナテロ・ヴェルサスのスタンド、「アンダー・ワールド」がよく表現されている)。
 ヨーロッパや中国、日本に見られる歴史的遺産など、各大陸の文化、文明も、この霊界のアカシック
レコードに添って代々受け継がれていると推測する。
 芸術的な流れや建築的な流れが子々孫々(ししそんそん)、亡くなった先駆者たちからのインスピレーションとして、目に見えない形の伝統として、次世代に受け継がれているのである。

 この世界とは、ヘーゲルが言うように、悟性的(=科学的)な側面だけではなく、霊界的な側面、つまり超感覚的な彼岸が存在する。それがすなわち、多くのカメラで捉えられている霊現象である。
 我々の世界はこのように、「悟性でとらえることのできない世界との二重写し」になっている。
 

 そこはさしづめ、神楽 京氏が言うような「亜空間」とも呼べるものであり、だが当然、その世界には
理性がないため、「二重写しであるようなもの」に過ぎず、当然、現実世界に取って代わるような、確固として存在できる世界では全くないのである。

「我々の世界にないようなものが向こうの世界にはある」と考えるのが一番、しっくり来るだろう。
 逆に言えば、理性や物質など、我々の世界にあるようなものが向こうにあるなら、向こうの世界が
別に存在する意味がないのである。
 また霊的な「二重写し」のない、つまり悟性でとらえられないもののない、物質だけの単純な世界などは存在しないのである(be<存在>が不可知である以上)。
 それはさしづめ、平面だけの世界が実際には存在しないように、である(縦スクロールや横スクロールのゲームのような)。
 基本、霊とは過去性の残像、アフターイメージでしかないのである。
 無論、現実世界に霊障を及ぼすような悪意のある呪いが蠢(うごめ)く忌(い)み地も多々存在する。
 たとえば、六本木ヒルズには、灯篭(とうろう)を動かすことができた霊体もあったようだ。

川崎市教育委員会:お化け灯籠  
https://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000119533.html

 また霊界は、理性のない亜空間であるがゆえに、理性では計り知れないことができてしまう側面もある。
 そのような霊の力の源泉は明らかに不可知であり、プラックスボックスだ。
 たとえば、スコットランドのダニエル・ダングラス・ホームは、霊の力によって空中に浮かぶことができた。
 だが霊界は理性的な世界ではないため、我々の理性的な方法論を以て、計算通りに空中浮遊をすることは今のところ不可能である。
 美輪明宏氏によれば、日本でも、修験(しゅげん)道の開祖である役 小角(えん の おづぬ)が、空中浮遊ができたとされている。
 霊の力は、自然エネルギーとは異なり、明らかに恣意的であり、かつ特異である。
 また、メッセージ性がある。
 そして、自然界と霊界は部分的に融合している。
 少なくとも生きている人間とは、すべての人が神の一部であり、神性を宿していて、当然霊的な存在であり、かつ生命力という側面においては、自然エネルギーによって生かされてもいるので、我々はすべての状況を整理して、認識することができれば、自然界と霊界の力を融合した、計り知れない力を持つことができる。

 

 ところで、霊媒であるホームの空中浮遊が限定的かつ一時的だったのに対し、自然界の力を操れた役小角は自由自在に空を飛べたのである。

 だが、役小角は飛鳥時代の7世紀の人であるため、ホームに比べ、科学者にとっては信憑(しんぴょう)性が低い。

 そして世界中にある三大宗教は、神道のような自然界ではなく、霊界・冥界の領域であるため、①宗教、②科学と続いた役小角以降の人類史において、空中浮遊ができる人間が一人も輩出されなかったのは道理である。

 また、役小角のような自然界の力を手に入れるには、科学だけを盲信した、唯物主義的で、俗物的で、現代的な社会によってスポイル(甘やか)された一般的な日本人には持ちえない、哲学に対する関心や、敬虔さ、信仰心が必要であろう。 

 そこに必要となってくるのが道徳(感謝、純粋さ、あるいはイスラーム(すべてを神にゆだねること)など)である。
 ただ、このような書き方をしてしまうと、誰しも宗教を連想してしまうだろうが、我々が人間である以上、宗教的な道徳は絶対的に必要であるとしても、大衆をコントロールする宗教それ自体を目的としては、本来的な力を持つ意味がないのである。ましてや世俗的もしくは形式的な宗教は無意味である。
 クリスティアーノ・ロナウド、マイケル・ジャクソン、YOSHIKIなど、神から与えられた(Godgiven)力を持つ人たちとは、必ずしも宗教を第一義としているわけではない。
 だが、YOSHIKIが聖書の英訳を勉強したように、全く宗教と無縁ではない。
 美輪明宏もまた、多くの宗教に精通しつつも、特定の宗教を信仰しているわけではない。
 つまりは宗教的な精神、純粋で崇高な精神こそが必要なのだ。
 命に対する憐み、深淵こそが。