<占術&言霊メッセージ>

4番目のHさん、質問へのご回答ありがとうございましたv

連休が終わって

ひとりきりの時間ができ次第、また進めてゆきますね~ポッ

 

「メッセージの制作過程」の記事は

ひとやすみ。

 

甘えんぼちゃんで可愛らしく

時に…いや、しばしウザいぽよくんと男の子。ニヤリ

マッタリと連休を過ごしました。

 

ここ数日、いろいろと

想いを馳せることがあって。

 

胸の中のあれこれのアウトプットを兼ねて

「今後、留意しようと思っていること」

の記録用の記事です。

 

三日月願い

 

++++++

 

なんとなく、クラゲ~くらげ

 

人生を歩む上で「起きた出来事」って

そこに内包されている学びや、

意味(それが起きた理由)

というのは

「ひとつ」だけではなくて

たいてい

「多重構造」になっています。

 

幾重にも重なっている真実の

「表面的な学び」だけを拾って

 

その「奥にあるもの」には

まだ届いていない

そのような場合も、よくあります。

 

自分の内側をしっかりと見つめて。

 

安易に「わかった」と結論づけて

スピリチュアル的な価値観でよくある

お綺麗な言葉で

まとめてしまわないようにしたいなって。

 

また、自分の持つスピリチュアルな感覚に

ある程度、自信がついてきた時などに

 

さまざまな角度から、

「その感覚を見つめ直す。検証する」

ということを忘れてしまうことがあります。

 

自分がなにげなく発している言葉や気持ち、

物事の捉え方と

現実に起きていることとの「ギャップ」や

「矛盾」に気づかないまま

 

「そっか。こういうことなんだ」って

わかったつもりになって

「見落としてしまう気づき」。

 

「自分には、わかる」

という慢心に、気を付けようって

そう思いました。

 

それは

「自分の感覚」や

「そこから導きだした結論」を

やみくもに疑うということではなくて

 

たとえ、一般的な人よりもアクセスできる領域が

広かったり深かったりしていたとしても

 

自分が感じ取っていることというのは

「大きな真実の中の『一部』に過ぎないんだよ」

ということを、忘れないでおく、ということ。

 

そして一時的な理解や、

表面的な気づきに終わらずに

「なぜ?を掘り下げてゆくこと」

への気概を、持ち続けたいな。

 

あとね。

 

「内観」や

霊的な感性で得た情報を解釈する時には

「自分に対する、セルフイメージ」や

「こうでありたい自分像」を

「オフ」にして、持ち込まないことが

やっぱり大切なんだなあって

思ったんです。

 

そうでないと「ありのまま」ではなく

「セルフイメージ」や

「願望としての自分像」に沿わせて

フィルターをかけた解釈をしてしまうから。

 

たとえば

 

「けがれのない、清らかな存在でありたい自分」

「執着なく、軽やかでありたい自分」

「神聖な存在でありたい自分」

「純粋で、まっすぐな存在でありたい自分」

「愛にあふれ、善良でありたい自分」

 

がいたとして

 

その自分たちの目で

情報を見ないということですね。

 

「スピリチュアル的に優等生でいたい気質」

が強いと

綺麗なものや純粋なもの、

善良な精神による強さ

そういった、わかりやすく美しいものばかりに

目を向けたり、

本当はそうではないものまで

そちらの方にあえて結びつけてしまったり

そのように感じられるように、

美化して装飾してしまったりすることも

あると思うんです。

 

よくよく、気をつけていきたいですねにこにこ