至近距離でぽよくんのお世話をしていた中

当然といえば当然なのでしょうけれど

ついに私も発熱しちゃいました・・・はぁ~雪

幸い、高熱ではなく

動けないほどでもなく…

喉がイガイガして倦怠感があるだけですが汗

 

昨日のこと。

すでに元気になったぽよくんを

片手間にいなしつつ

ホッカペの上で

無印のビーズクッションにもたれながら

布団にくるまって・・・

youtubeをテレビにリンクさせて

音楽動画を鑑賞していたんです^^

 

少し前に友人たちとのやりとりで

立て続けに米津玄師の楽曲タイトル

「パプリカ」を目にしていたせいか

聴きたくなって…

 

 

ふと、子どもたちの背景にある

木の枝と枝の間に渡された綱に

色とりどりのたくさんの布がかかっている様子が目に入り

涙アンテナが。

 

以下、私の個人的な感覚として

お読みくださいね^^

 

私の脳裏には

古代の緑豊かな村の中での

ワンシーンがよぎっていました。

 

空に架かる虹のそれぞれの色彩を

丁寧に採りだしてきて

そのもののように淡く、

あるいはさらに濃く…

美しく染色された

たくさんの薄布たちが

 

この動画の背景と同じように

ロープにかけられて

風にふわりとたなびく光景でした。

動画の布たちよりは幅広で、そして

繊細に透けていました。

 

その薄布の中に立ち、

髪の長い少女が遊んでいます。

風で持ち上がった布がサラリと頬を撫でる感触を

楽しんでいるのです。

 

また、布と布の間を出たりくぐったりして

自分よりも小さな子を相手に

かくれんぼをしている光景も浮かびました。

 

この髪の長い少女が

私の古代の過去世の

「カヤ」であることを感じました。

かくれんぼの相手は、

友人の明日香野さんの過去世であるトミではないか

と考えると、

ぐっと胸の中から嗚咽がこみあがかりました。

 

そして、この「染色した布」が干されていた

美しい村は

今でいう「蚕の社」となった

土地の昔であることも理解しました。

 

カヤは古代に朝鮮半島の「伽耶」から

日本の出雲に亡命してきた一族の一員です。

日本に渡来してきたのは

「12歳」で涙アンテナが反応するのですが

いわゆる「数え年」の方式の齢で

実際には

今でいう10~11歳くらいだったかもしれませんね。

 

出雲に辿り着いてからは

半島にいた頃の集落の女王であった母は

出雲の国主の妻となり

カヤや双子の兄トリや

ともに海を渡ってやってきた親族の子どもたちは皆、

国主の養子になりました。

 

出雲の国主も、出自を辿ると渡来民で

カヤたちが亡命してくることは

あらかじめ予期していたような節がありました。

船頭として指揮を取っていた勇敢な母もまた

海を渡った先に

豊穣の加護に満ちた平和な国と生活があり

自分を迎えいれる男がいることを

知っていたのでしょうか?

 

伽耶と出雲との間では

かねてより

なんらかの連携があったのではと思います。

 

親族や友人であった一族の子供たちは

同じ父を持つ

「姉妹」や「兄弟」として

新天地で絆を結び直したということにもなるのでしょう。

 

それからしばらくしてのことなのでしょうか…

カヤには、兄弟や姉妹とともに

養い親となった父王の駆る船に乗って

各地に散らばる渡来系の同族たちのクニを

周遊してまわったという記憶があるのです。

 

それが、10月に訪れた

福知山の「皇大神社」で感じた

暖かく自分を迎え入れてくれた

「集落とその人々たち」の感覚であり

天橋立の「沓島」に抱いた懐かしく素朴な想いに

リンクしているのでした。

 

そうして各地の同族を巡ることは

新しく国づくりに加わった

渡来の一族同士での「顔合わせ」のような

ものでもあったのかもしれません。

 

渡来の民たちの中に流れる血脈の繋がりを

大きな意味での「家族」として

重視していた一族だったのでしょうね。

 

そうして「皆、家族なのだ」という

友愛の意識を持たせることで

支え合い、争わないようにという

意図もあったのかもしれません。

 

とはいえカヤが感じていたのは

けして「形」だけではない

心から暖かな「家族」の絆でした。

 

古代、日本は今ほどに陸続きではなく

もっと海が複雑に入り込んでいて

近距離で点在する島々で成り立っていた場所が

多かったように思います。

 

カヤたちの同族はもとより

「航海技術」に長けており

そういった「海上交易の要所」となりうるような場所を

好んで拠点を作っていた向きもありましたので

 

海路を使うことで

さまざまな場所に行きやすかったのではないかしら?

 

魂の奥に刻まれたまま

残るその想い出は

とても平和で牧歌的な、

和合に満ちたクニと人々の姿だったように思います。

 

父王に関しては

海路を掌握する、たくましい体躯をした

「海の男」であったというイメージがあります。

 

のちに記紀で「猿田彦」という

一柱の神として習合された

天皇以前の「王」たちの一人でしょうか?

 

母を妻にした父王は

精悍で若々しく見えましたが
ロマンスグレー色というのか…

銀色に見える太くゴワゴワした白髪頭だったような

そんな感覚があります。

 

 

日に焼けた褐色の肌の色や

頭髪のイメージに近い画像です。

角髪でははなく

肩くらいの髪だったような…。

 

胸の奥に、不思議な懐かしさがこみあげ

思わず、明日香野さんに報告したら

「パプリカ」の「世界観バージョン」

(※youtube以外では再生できないようになっているので

文字にリンクしておきますね)

教えていただいたんです。

 

木立の中をワクワクした表情で進んでいく女の子。

 

 

なぜかこの「木立の道」を見た瞬間

古代の「蚕の社」を感じ、心震えて…

 

 

木々の葉の間に揺れるキラキラとした木漏れ陽…。

 

 

そして、色とりどりの布をまとい

ゆったりと舞う男女のこの映像、

布がいかにも柔らかに

ふわりと風に浮きなびく様子を見た瞬間

涙アンテナが強烈に反応しました。

 

歌に合わせて舞いはじめる両手…。

 

脳裏には、

薄布を持ち、頭にヴェールのように被ったり

体のまわりを羽衣のようになびかせながら

手指と腕をしなやかにくねらせながら

とても嬉しそうに幸せそうに…

ゆったりと回転しながら

舞うカヤの姿がよぎっていました。

 

トリが笛を吹き

女の子たちは皆で薄布を持ち、

ゆるやかに、くるくると舞を舞ったのです。

 

夏が来る 影が立つ

あなたに会いたい…

 

おさえきれない嗚咽に

胸がずっと震え上下していました。

 

カヤにとって会いたい「あなた」とは

双子の兄、トリのこと。

カヤもトリも年を重ねて

自分たちが「男」と「女」であるということに

気がついて間もなく

ある夏の日に

トリは突然、消息を絶ちました。

 

船を扱い、海に出たあと

二度と帰ってこなかったのです。

カヤはずっと

兄は海中に亡くなったのだと思っていましたが

 

当時、クニの要職についていた兄は

同族ながら価値観を違え、

野望を持つグループの一員に拉致され、

洞窟に幽閉されて餓死していたというのが

実際のところのようです。

 

以来、カヤは長い時を経て

こうして私の魂の遍歴の一部となってまでも

ずっと兄を探し続けていました。

 

だけどこうしておぼろげによぎった記憶の中で

遥かな古代、緑と水に満ちた平和なムラを訪れ

兄弟や姉妹たちと

ワクワクとした気持ちで

初めての地を探検したあの日に

確かにトリはいたのでしょう。

 

記憶の中でよみがえった

少年だった兄の存在の感覚に

(それははっきりとイメージはしづらくて

今にも儚く消え入りそうだけれど…)

深く胸が慟哭します。

 

過去世とは、本当に不思議なものですよね。

悲喜交々の感情と

物語に満ちていて…

私に理屈ではない嗚咽や涙を感じさせ

「今、私が私として生きていることへの尊さ」

を呼び起こしてくれます。

 

国を追われたどり着いた新天地で

少女だったカヤは

明日や未来への

夢や希望を感じていました。

 

それはきっと、

初めての地を探検して笑い合い、

同じ美しいものを見た「兄弟」や「姉妹」たちも

同じ想いを感じていたことでしょう。

 

父王、兄弟や姉妹たちと各地を巡り

新たな家族を得てゆく旅の記憶は

全てを思い出したわけではありませんが

断片、断片が宝物のように煌めいています。

 

きっとこの地には戦(いくさ)はないんだ。

豊かさに結びつく平安を信じて疑わなかった頃の

カヤの純粋な喜びに満ちた

大切な想い出なのでした。

 

パプリカ 花が咲いたら
晴れた空に種を蒔こう
ハレルヤ 夢を描いたなら
心遊ばせあなたにとどけ