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「井原隆一の告白的蓄財法―体験史で描く生涯経済設計」井原隆一

2020/05/25公開 更新
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【私の評価】★★★★☆(89点)


要約と感想レビュー

著者は20歳で、3000坪の農地と3000円の借金を相続しました。著者の年収は300円。借金の利率は10%なので、利息の支払いで給料はなくなってしまいます。農地を売却すれば借金は返せますが、先祖に申し訳が立たない。そこで昼は銀行、夜は農作業で借金を返すことにしました。


著者は過労と栄養不足のためか、頭髪がすべて抜けてしまったという。そうした中で著者は、読んだ書籍から発奮し、次のように生涯を設計しました。20歳代は銀行実務と法律の勉強、30歳代は禅の本を読んで自己修養、40歳代は経済・経営の勉強、50歳代が蓄財、60歳代以上は悠々自適の生活。これは「菜根譚」という本を読んだときに"勤労とは徳を高める手段なり"という言葉があり、"働く場とは自己成長の場である"と自分で決めたのだというのです。


・「学なし、地位なし、金もなし、頭髪もなければ青春もなし」の五無才と自嘲したのは私の20歳のときでした。人間とは無ほど強いものはない。無ければ有るように努める以外に生きる道はない、と悟ったのはそのころです(p2)


著者は銀行マンと農家の二足の草鞋で、年収の10倍の借金を20代で完済しています。30代は太平洋戦争の中で禅の勉強を継続し、39歳で証券課長に抜擢されました。40歳代は安くなれば買い、高くなれば売るという人の逆を行って運用益を上げています。


万年課長のあだ名をもらいましたが、40歳代は自己投資として、とにかく人との交際に金を投資し、50歳で取締役に就任。生涯設計通りに生きたといえるのでしょう。


・過去50年をふり返ってみると、よくも頑張りつづけたと思う・・・思うに、一つは失意の時期にまだこれからだと考えたこと、二つに年代毎に計画をたててそれを実行したこと、三つに、少ない目的、方法にしぼって実行したこと、四つに、財、地位いずれにも片寄らず、並行して進めたこと、五に、ムダ、ムリ、ムラを少なくして順序をたてて実行したこと、・・・一口でいえば、先憂後楽を旨としてきたことではないかと思う(p180)


世界恐慌、太平洋戦争、朝鮮戦争など経済的混乱の中で、公私ともに財を成した秘訣は、高ければ売り、安ければ買うという当たり前のことだという。つまり、人の逆をやったのです。これは著者の妻の父が織物業で巨財を得ながらも廃業したことについて、39歳で証券担当になったとき、聞いたのだという。つまり、儲けるコツは簡単なのですが、このあたりまえができない。これは人間の心が揺らぐからだろうと、著者は理解したという。


世の中の景気や流れを正確に把握し、当たり前の取引を行う(人の逆を行く)のは、今の時代でも難しい。現代はコンピュータプログラムによる取引が盛んですので、心理に左右されないプログラムのほうが儲かるのかもしれません。井原さん、良い本をありがとうございました。


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この本で私が共感した名言

・伊地知剛という先輩から・・・「定年退職後に収入が減るようであったら、現職時代怠けていたと思え」とも言われている(p19)


・四面楚歌の中で・・・会社の財務体質の強化に専念した・・・私を鬼と思った人もあるだろうし、ゲジゲジじじいと考えた人もあるだろう。しかし、どう思われ、どういわれようと、会社を再建するのが私の目的。一時の孤独を恐れて永遠の孤独を招いてはならないと考えていたし、自作自戒として「自分を捨てきれないものは、会社を捨てるか自分が捨てられる」としていたため、四面楚歌を気にしなかった(p203)


・退職すると地位、肩書きから離れるから淋しいという人もあるが、私は道楽会社の社長に就任したと考えているから、淋しいことはない。その代わり雑役夫も兼務しなければならないが、大会社の社長でも秘書のいいなりに動かされている雑役夫にすぎない。ただ違うところは、私には社長の任期がなく永久というだけである(p178)


▼引用は、この本からです。

井原隆一、実業之日本社


【私の評価】★★★★☆(89点)


目次

1 私の処世・蓄財の秘訣
2 いま私が20歳であったなら
3 体験から学んだ利殖哲学


著者経歴

井原 隆一(いはら りゅういち)・・・1910年生まれ。14歳で埼玉銀行に入行。20歳で父親の莫大な借金を背負い、銀行から帰ると家業をこなし、寝る間も惜しんで借金完済。その間、並はずれた向学心から独学で法律、経済、経営、宗教、歴史を修めた。最年少で課長に抜擢される。証券課長時代にはスターリン暴落を予測し、直前に保有株式証券をすべて整理。 経理部長時代には日本で初めてコンピューターによるオンラインを導入する。各部長、常務、専務を歴任。1970年、大赤字と労働争議で危地に陥った日本光電工業に入り、独自の再建策を打ち出し短期間に大幅黒字無借金の超優良会社に甦らせる。その後も数々の企業再建に尽力。名経営者としての評判が高い。


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