「希望」

 

駄目なことがわかっているのになお希望を棄てないのは、

希望というよりは未練というべきではないでしょうか。

 

希望という美しい名のもとに、無謀、執着、身勝手、意地、ごま化し、逃避などのまかり通る場合は少なくありません。

 

こういう変質が起るのは、希望が本来、願いの絶たれたところでその事実を引き受ける落着きのことであるのに、願いをなお持続することと考えるからでしょう。

 

そして、夢に結びつくことと考えるからでしょう。

 

しかし、希望は忍耐に結びつくものなのです。

 

生きる落着きを訓練するものなのです。

 

 

 

『神の風景』p221 藤木正三著

 

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