沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩の終わり 安倍晋三という完全自己肯定論者の「善悪の彼岸」

2019年12月18日 10時52分26秒 | 政治論

 安倍晋三という稀代の悪徳政治家が今この国を完全掌握し、あらゆる方面において隙間なく、おのれにのみ益する政治を断行している。この男の背景には麻生太郎も含め、彼らの代々の政治的眷属が大きく確実に横たわっているが、勿論単なる世襲議員の、実質的内容希薄なでしゃばり程度で済む話ではない。つまり、この男にあっては、その生い立ち裏話に出てくる悪辣な「うそつき」根性が、「三つ子の魂百まで」さながら還暦過ぎても臆面もなく、鉄面皮に露出してやまないのだ。そしてそれが「政治家」の許された特権とさえ思いこんでいる節がある。

 サッカレイの「悪徳の栄え」が21世紀の現代日本では字義通り現実のものとなっている。かつて中世の大和では藤原道長、平清盛らがまさに彼らの「我が世の春」を謳歌していた。太田道灌は、その若き日の行状の放蕩ぶりを周辺から「奢れる平氏久しからず」と言われたのに対し「奢らざる平氏も久しからず」と返したというが、安倍晋三の言動にはいつもこの逆転の発想が繰り返される。つまりは「盗人猛々しい」とか、単なる開き直り、せんじ詰めれば完全自己肯定という論理だけが横行しているわけだ。この完全自己肯定の完全な過誤というものは、それが人間の行為である限り言うまでもないのだが、翻ってこういう政治家が一国を牛耳っている場合、我々国民は我々自身の行く末が、この自己肯定論者の過誤にいつか漸く気づく前に、彼の「玉砕」性に巻き込まれて諸共に滅びる運命を引き受けねばならないことを知らねばならない。

 ところで、安倍晋三は我々がうかつに軽く扱えるようなたまではない。現代が生んだ鬼っ子、奇形児、ハンナ・アーレントの所謂「モブ」、ブルジョワ世界が作り出した劣等児、愚連隊、チンピラの類であり、その生来の「悪徳」性格が形を変え品を変え様々なリアルマッチングを繰り返して出来上がった恐るべき「不可抗力」、放っておいたら確実に隅々まで蔓延っていく病原体なのだ。

 繰り返せばこの安倍晋三ただ一人が現代に単独に、ヒトラー並みの残虐な暴君として、忽然と立ち現れたわけではない。彼は幸か不幸かヒトラー並みの狂気のヒロイズムからは程遠く、残虐な理論やオカルト的主義主張を公然と正当化する、史上途轍もない怪物というのではない。恐るべき人種差別主義とその実現のための「我が闘争」など、安倍晋三には到底書けそうもないのはわかりきっている。ただ、この恵まれた家系、眷属の中で、恐らくは自己肯定詐術にだけ長けた思い上がりの人格を育み、戦争は勿論貧困労苦等にも一切遇わずに、一族の中では「困った坊ちゃん」として生きてきた男には、切実な精神的向上心など欠片もない、虚栄に満ちた人生しか残されていなかった。

 我々はこういう、たまさか就けるべきでない地位に上った劣性の政治家について、今までの与野党攻防通りに、権力者をその者の良識や見識、あるいは常識に沿って(彼にそういうものがあると思い込んで)、その地位からおのずから引きずり下ろす(自ら身を引く)というようなありきたりなやり方は通用しないと覚悟しなければならない。

 実際、手の込んだ隠ぺい体質や修正改竄無理筋のごり押しなど、安倍晋三の配下どもが縦横に張り巡らした「政権護持」システムに従い、ここまで、安倍晋三政権という奇天烈な輩の個人名を冠する体制を、不可解なご都合主義の、後出し的数字的魔力あるいは数値的詐術(実質支持率3割程度)で印象的に正当化してきたのだ。この国民的にパンデミック化した病原体は、彼ら権力者たちの強靭な自己保存本能によって、今やどうすることもできない堅固な牙城となった感がある。ネトウヨ、事大主義的マスコミ、ファッション化したジャーナリズム、まさにパンデミック化した大日本報告会が、これを下支えしているのも見て取れる。

 逆クーデタ以外、あるいはクールなテロリズム以外、彼らを駆逐できないと考えることは、必ずしも不当ではなく、又、大向こうの傍観者並みに良識をもって全否定し去るべきものとも思えない(非暴力不服従を唱えたガンジーが、臆病からくる非暴力をいうならむしろ暴力をこそ選ぶと言っている)。良識とは何か?それが単なる臆病や危険性からの逃避を意味するなら、果たしてどう見ても「良い識見」とは言えまい。やられっぱなし、というのは本来奴隷的身分にあって否応なく我慢を促す被害感情そのものだった。何故我慢するか?奴隷だからだ。つまりは自由ではない、自己に拠らない何かに盲目に付き従っているということだ。

 民主主義を破壊する、現憲法を蹂躙する連中が暴力的に政権を維持しているのならば、彼らを排除するために暴力が使われることを我々は全否定してはならない。彼らを決して仕方なくも哀惜できないところまできた今、未練がましく「民主的手法」で対抗するのは臆病者のすることだ。と、筆者の中でとりわけ沖縄闘争を目の当たりにしてはそう言わずにはいられない。こうした現状を作り出したのは誰だ?安倍晋三一人を排除しても仕方がない。しかしまずはこいつを取り除かねばならない。(つづく)



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