若雷神社(横浜市港北区新吉田町)

若雷神社。

横浜市港北区新吉田町、丘の上の住宅地内に鎮座。

日本三代実録 貞観6年(864)7月27日辛亥条に見える若雷神に比定される神社。

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境内

社頭

 

一の鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

 

境内への石段

この道が表参道っぽいのですが、下記の通り丘の上には東側(社殿正面)に鳥居があるため、こちらからだと脇から境内に入る形になります。

 

丘の上、東側からの境内入口

 

鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

コンクリートの社殿ですが、由緒によれば内部には旧社殿の主部分(おそらく木造)が内蔵されているとのこと。

境内社等

社殿右手、春日神社

寛政10年(1798)の本社社殿造営に先立ち、山城の吉田神社から勧請された神社で、当地名「吉田」の由来になったといわれています。

 

社殿左手、伏見稲荷神社

 

戦没者慰霊碑

由緒

若雷神社由緒

武蔵国都築郡新田村吉田字宮ノ原ニ鎮座スル当、若雷神社ハ人皇五十六代清和天皇ノ御宇山城ノ国(京都)上賀茂ニ鎮座スル、別雷神(官幣大社上賀茂神社)ヲ勧請セシモノニテ貞観六年七月二十七日従五位上ヲ賜ル(参代実録参照)

祭神ハ、下賀茂御祖神社祭神、建角身命ノ御孫、別雷命(わけいかずちのみこと)

世を鎮護シ、五穀ヲ豊饒ナラシメ雷ノ御神威徳ニヨリ、厄ヲ祓イ災難ヲ除キ給ウ氏神トシテ往昔ヨリ人々ハ、雷電様ト称ヘ崇メタトキク

寛政十年(一七九八年)往古ノ祠(ほこら)ヲ再建シ新タニ本殿及ビ拝殿ガ造営サレタ。ソノ建立ニ先ダチ、山城ノ国(京都)愛宕郡吉田ヨリ、春日大明神(官幣中社吉田神社)ヲ勧請シタ。コレ当地名「吉田」ノ起原ト伝エラレテイル

明治四十一年官令ニヨリ左ノ諸神ヲ合祀ス。

天照大神 大己貴尊 稲倉魂尊 市杵嶋姫 豊受姫尊 伊弉諾尊 大山咋尊

合併シタ元宮次ノトオリナリ。

神明社五柱、稲荷社六柱、子ノ神一柱、白山一柱、安塚弁才天(厳島神社)

大正十二年関東大震災ニテ社殿倒壊シタルニヨリ(本殿ハ安泰)修復大工事ヲ行ナウ。

ソノ後、長イ年月ヲ経タコトニ因ル老朽ノ箇所多ク、依テ旧社殿主部分ヲ内臓モウシテ新本殿並ビ拝殿ノ再建立ヲ計画、氏子一同ノ熱イ信仰ニ基ク協賛ト篤志家ノ協力ニヨッテ昭和四十七年三月、現在ノ若雷神社再建立ガ成ッタモノデアル。

 

若雷神社由緒書

村社若雷神社は京都賀茂神社の別雷神社として武蔵国都筑郷吉田常陸国水戸常盤神社の二ヶ所に分祀され其の一つが当社で新田村吉田宮ノ原(昭和十四年四月横浜市に編入し港北区新吉田町と改む)に鎮座人皇五十六代清和天皇の御宇(紀元千五百二十二年)山城国上賀茂の賀茂別雷神社官幣大社を勧請せられたもので貞観六年七月二十七日(今より千百九年前)従五位上を賜る(参代実録参照)祭神は加茂建角身命(八咫烏)の御孫別雷命亦名若雷命(加茂縁起及び加茂旧記参照)で国家を鎮護し五穀を豊饒ならしめ殊に祈雨の神として霊験殊に顕著なるに依り土俗雷電様と称へ往昔より庶民の信仰浅からざりしも明治六年社寺調査の為その際記録煙滅村社に列せらる祭日は旧七月二十八日なりしが明治六年九月二十八日と改む

本殿に向って鎮座在すは春日四所大明神で若雷神社御遷座に先だつ数年前山城国愛宕郡吉田から春日大明神を勧請(官幣大社吉田神社)したもので地名吉田の起源なり社殿は寛政十年建立せしものが関東大震災に依り(大正十二年九月一日)倒壊し大正十四年九月元の材料に新材を加え旧形に造営せり。左の諸神を明治四十一年十二月十五日合祀す

神明社 五柱 神隠・貝塚・倉部・腰当・斉藤藪

稲荷社 六柱 稲荷森・四ツ家・峯・四ツ家御所カ谷・向根・倉部

子の神社 一柱 峯

白山社 一柱 早淵

厳島神社 一柱 四ツ家前

安塚弁才天 明治元年厳島神社と改む

日本外史に依れば新田義貞が鎌倉攻めの途上戦捷祈願される

昭和四十七年三月社殿老朽に依り再建せるものなり

社伝によれば創建は清和天皇の御宇(858~876)。由緒書には紀元1522年とあるので、これに従えば862年ということになります。

山城の賀茂別雷神社(上賀茂神社)からの勧請とされています。

 

日本三代実録 貞観6年(864)7月27日辛亥条に見える「武蔵国従五位下若雷神従五位上」の若雷神を当社に充てる説があります。

 

五穀豊穣、祈雨の神として信仰され、俗に雷電様と称されていたといいます。

寛政10年(1798)社殿造営。

 

明治期に古記録がなくなったそうで、詳しい由緒は不明。

大正2年村社列格。

大正12年、関東大震災で社殿倒壊、同14年再建。

昭和47年、現社殿造営。

 

祭神は若雷命。勧請元が賀茂別雷神社なので、同神です。

各種資料には記載ないのですが、境内由緒書には明治41年に複数の社を合祀したことが記載されており、それらの祭神(天照大神、大己貴尊、稲倉魂尊、市杵嶋姫、豊受姫尊、伊弉諾尊、大山咋尊)が合祀神となっていると思われます。

御朱印

御朱印はあります。

ただ普段は無人のようなので、例祭(9/28頃)かお正月が確実だとは思います。

書置き拝受の情報もあるので、氏子の方がいたら頂けるといったケースもあるのかもしれません。

アクセス

横浜市営地下鉄新羽駅から徒歩15~20分程度。

駅のすぐ東側から大きな通りを北へ。

1kmちょっと行った新吉田南交差点(位置)まで来ると、正面の細い道の奥に鳥居が見えます。

 

車の場合、駐車場がないので(境内南側のは契約か個人の駐車場だと思います)、近くのコインパーキングを使う必要があります。

最寄りだとタイムズ新吉田東(位置)。他にも近辺に複数コインパーキングあり。

神社概要

社名若雷神社(わからいじんじゃ)
通称
旧称
住所神奈川県横浜市港北区新吉田町3490
祭神若雷命
合祀

天照大神

大己貴尊

稲倉魂尊

市杵嶋姫

豊受姫尊

伊弉諾尊

大山咋尊

社格等

日本三代実録 貞観六年七月廿七日辛亥 若雷神 従五位上

旧村社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「若雷神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 神奈川県神社庁編『神奈川県神社誌』神奈川県神社庁, 1981