角岸's blog (Kadogishi s' blog)

酒、酒&映画・・時事問題?

The leading countries of the world 世界の一流国家とは?

2019-01-28 17:36:21 | 時事問題

 昨年、地元の小学校の授業で「貿易関係」の解説をする機会がありました。

 小生、解り易く説明するために、米ドル札持参で行ったのですが、生徒たちは本物の外国通貨見るのが初めてということで、口々に・・

「わ~っ、おもちゃのお札みたいっ!!」

 目をキラキラさせて物珍しそうにドル札を触ってガン見していました。

 

 いや、確かに米ドル札って、我国の「円札」と違ってちょっと安っぽい(少なくとも小生にはそう見える)。

 これね、日本の札って1ミリの線の間に20本の線が入っているというほど精巧で、しかも機械によらない職人さんの名人芸なのです(ちなみに米ドルは1ミリの間に10本)。

1万円札の製造コストは諸説ありますが、20円から25円位ってのが定説。

 米ドル札はもっと安上がりじゃないかな。子ども銀行札とたいした違わないはず、製造コストだけで言えばね。

 

けれどね、国際通貨としては「米ドル$」の方が強いっていうか、世界最強!!

(世界貿易の7割がドル建てで決済)

 

 次に強いのがEUの「ユーロ€」。で、日本の「円¥」、イギリスの「ポンド£」って続くわけ。(今や中国の人民元も基軸通貨の仲間入り)

EUができる前は、「ドル$」「円¥」「ポンド£」が世界三大通貨と呼ばれてたんですね。

 

「ハードカレンシー」とは?

で、「国際通貨“ハードカレンシー”」とは何かというと、国際取引や為替取引で交換可能なお金のこと。

早い話、円は世界中どこでも使える通貨の一つ。

 小生、海外を歩いていて日本も中々たいしたもんだと思うのはまさにこれ。

 原価20円に過ぎない紙切れ札で、日本国内で1万円分買い物できるだけでなく、世界中の国々で交換できる

 それだけ、日本が世界で信用されている国家の一つとも言えます。

 日本政府が「この紙切れ」に1万円分の価値があることを保証しますと約束していることを世界中が信じているのだから。(先人たち先輩たちがその信用を得るまでどれほど血のにじむ努力をしたことか)

 

 

 

「ローカルカレンシー」とは?

 

 逆に国際的に信用ならない通貨のことを「ローカルカレンシー」と言って、海外にそれを持って行っても、まさに「子ども銀行おもちゃ札」扱い

 ドルにもポンドにも交換できない、ただのホントの紙切れに過ぎない !!

 

 

 どことは言わないけど、我が国の お隣さんも、その北にある国の札も「ローカルカレンシー」。

 

「ハードカレンシー」クラブの座席に座るには、ただ単に経済的に成長したってだけではダメなんです。

 お隣さんは「今やGDP世界10位の経済大国」と胸を張ってますが、なら、それよりはるか下(19位)の「スイスフラン」は、何故、基軸通貨クラブの一員なのでしょうか。

 スイスは国力というより、その国家としての信用力でしょうね。

 

最も重要なことは・・・

 

国家としてウソをつかない。

 

国家間の国際条約は守る。

 

 少なくとも、この2点を守れないようでは永遠に、その座席には座れないし、世界の市場はちゃーんと真実を知っているということです。

 へんてこな像を世界中のあちこちに建て、嘘八百並べても軽蔑されることはあっても、信用されることはありません。

 

 最後に、1万円札にドーンとプリントされている「福沢諭吉」先生の、今から135年前の提言をご紹介しておきます。その、先見の明に驚かれるはず。

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「脱亜論」よりby福沢諭吉

 

日本の不幸は中国と朝鮮半島だ。

この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているが、

もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、

日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。

情報がこれほど早く行き来する時代にあって、

近代文明や国際法について知りながら、

過去に拘り続ける中国・朝鮮の精神は千年前と違わない。

(略)

現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、

たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。

(略)

もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。

「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。

日本は、大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。

ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならない。

この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。

悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。

私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。

(『脱亜論』明治18年(1885年)3月16日)

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「低空飛行の謝罪をしろ」「低空飛行していない証拠を出せ」などと馬鹿げた、駄々っ子のような子供のケンカレベルの同じ土俵に乗ること自体恥ずかしい。

 今やThe leading countries of the worldの一角を占める我が国は、格調高くエレガントに粛々と事実だけを発信する。

それで、充分です。

なに、大丈夫。放っておいても自滅します。

 

 最後から2行目はは特に肝に銘じておくべきです。

「惡友ヲ親シム者ハ共ニ惡名ヲ免カル可ラズ」

 愚かな三流国と本気モードでケンカしたら、世界から逆に同じ穴の狢かと嘲笑を受けます。

かっこよく超然としていることです。


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