季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

エスプレッション

2019年03月03日 | 音楽
車のメンテナンスをしてもらう間、待合室にいた。有線放送でチェロでシューマンの小品が流れてきた。

言葉を失うのである。奏者は不明だがこれでもかと情緒を盛り上げ訴えかけようとしている。

あ〜っ、世の中は〜〜、な〜んと う〜つくし〜い のでしょ〜〜う

こんな風にウルウルした目で言ったらバカ丸出しだろうに。

弦楽器がこの手の「エスプレッション」を付ける傾向を示すようになったのはいつ頃からだろう。

フルトヴェングラー がベートーヴェンの7番2楽章を練習している録音がある。

幾度となくOhne Ausdruck (表情無しに)と言うのが聞こえる。連綿と続くメロディにややもすると甘い叙情が与えられるのを戒めているのである。

その結果、練習での言葉とは裏腹に深い情感としか形容が出来ない世界が現れる。

同じベートーヴェンの3番(英雄)のアダージョで、諸君の演奏は涙があり過ぎる、これは涙のない悲しみなのだ、と言ったそうだ。ウィーンフィルの楽員はたちどころにそれを理解した、とはウィーンフィル理事だったオットー・シュトラッサーの言葉である。これも7番での注意と全く同じことなのだ。

ラジオから流れるこれでもか、これでもかという叙情の押売りは何の情感ももたらさなかった。人の情緒というのはこれ程に薄っぺらくもなれるのだ。僕は疲労を感じて放送が終わるのを待つしかなかった。

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