絶滅危惧政党、みどりの狸率いる都民ファーストが統一地方選で大苦戦中だ。報道記事を全文転載したが、ここ豊島区では現職2名、新人1名が立候補しているが、現職2名は多くのみどりの狸旋風を当て込んで自民から渡りをし、そのうち1名は8年間で何をしたのかサッパリ判らない女狐。この選挙で大慌てでアメブロを更新しているが、まぁ、時既に遅しだろう。新人は若い女性のようだが、まったく関心がないので分からぬままに消えていくのだろう。そういう意味では多くの泡沫候補と同じだ。老害豊島区長の非道ぶりを直接的にアピールしているのは共産党だけと言っていい。他の腰巾着は老害と同じ穴の狢。箱物と大型開発の馬鹿の一つ覚えで豊島区を消滅に導く老害に対し、無所属の3人が争っているが、共産党が支援している山口みのるが対抗の本命だろう。ただ勝てるかというと極めて難しいだろう。なにせ豊島区民の民度は低すぎてお話にならない。想定する投票率では老害圧勝だ。かくしてまた四年間、老害の趣味=政治ゴッコ、行政ごっこに付き合わされる事になり、瞬く間に財政も悪化していくことになる。

 

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今後、報道記事のツイートやリンクは掲載しないので、気になる方は既にご自身がしている通り、新聞、ラジオ、ネット、テレビなどでご覧になるか、私の政治関連Twitterアカウントにアクセスされたし。

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AM 10:09 2019年04月18日

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さて本題だが、今日は二つの記事の全文転載で充分だ。先ずは小山田圭吾のインタビュー記事によって、これまでの音楽産業の30年をざっと振り返っているが、非常に分かりやすく、この国の音楽産業がいかに危機的な状況であるかが示されている。が、このインタビューの結論は楽観論だ。当然だろう。それで飯を食わせてもらっている人間が、簡単に悲観論で結んでは示しがつかない。業界内で現状なんとか食いつなぐことが出来ている者は、楽観論にすがる以外に生き残る術がないだけのことだ。

 

もう一つは昨日の記事に関連するが、プラットフォーマー=巨大IT企業の闇についてだ。これも非常に大きな問題だけに、呑気に傍観している場合ではない。内容は読めば判る。

 

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「音楽は空気の振動に戻りつつある」

 小山田圭吾と音楽の30年
4/17(水) 7:54 配信 Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/feature/1303

 

平成の30年間は音楽をめぐる環境が大きく変わる時代だった。CDのミリオンセラーが何作も出る時代からストリーミングの時代へ。この30年、国内外の第一線で活動してきたCorneliusこと小山田圭吾さんは時代の変化について「音楽が原初に近い形に戻ってきた」と言う。平成元年にフリッパーズ・ギターでデビューし、「渋谷系」と評されてポップアイコンに。かと思うと、ギタリストとしてYMOの面々やオノ・ヨーコさんらとバンドを組むなど、海外でも高い人気を誇ってきた。小山田さんにとって、この30年とはどういう時代だったのか。

(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部)

遊んでやっていた感覚

──小山田さんは、90年代半ばには音楽誌の表紙をいくつも飾るほどの人気を博していましたが、近年のインタビューでは、音楽活動を続けていけると思ったのはデビューから8年も経った1997年頃だったと明かしていました。

 

それまであんまり真剣に音楽やってなかった気がするんです。遊んでやってた感覚もあったし、納得できる作品もできていなかった。だから、このままやっていけるわけないでしょうと思っていました。

 

──1997年ごろと言えば、日本ではCDの売り上げがピークを迎えていたころですが、小山田さんの活動を見ると、そのころからヒットチャート的な国内市場から自ら離れていった印象があります。

 

いや、もともとそういう場を目指していないし。メジャーなレーベルでレコード出しているほうが違和感があったというか。最初、(高校卒業後に)ロリポップ・ソニックというバンドをやっていたんですが、そのバンドの曲がイギリスのインディーズレーベルのコンピレーション・アルバムに入ったんです。そういうものには憧れがあったし、うれしかった。そしたら、(そのバンドの後身である)フリッパーズ・ギターでは、いきなりメジャーデビューになってしまった。突然違うフィールドで何かやらなきゃとなって。

(撮影:伊藤圭)

小山田さんは、1989(平成元)年、20歳でバンド「フリッパーズ・ギター」としてデビュー。3枚目のアルバムを出したあと、1991年に突然解散した。1993年、ソロユニット「Cornelius」として活動を開始。「渋谷系」などと称されて人気を博すも、その後は海外などに活動を広げてきた。熱心な音楽ファンから高い支持を得てきた小山田さん。その活動は平成の歩みと重なる。

1998年までの最初の10年間はCDのミリオンセラーが続出する時代で、売り上げは全盛期を迎えていた。

──デビュー当時のインタビューでは質問にはまともに答えず、遊んでいる感じがあります。

 

うん。まったく真面目に答えてないです。ひどいですよね。違和感を覚えつつ、テレビに出たりして、そういう状況をおもしろがってた部分もあります。

フリッパーズの時は契約とかもよく分からず、何か言われるままに曲を作っていましたね。最初は5人でしたが、曲を作っていたのは小沢(健二)と僕の2人だけで。レコード会社のお金でスタジオでレコーディングできるというのでやっていましたけど、いろいろやってみるけど、自分が思うようにできないということも感じてました。

(フリッパーズは)突然やめちゃったんで、当時、新聞にたたかれたり、みんなに迷惑かけました。なにか一つ理由があったわけじゃなく、もうお互い、そういう感じになってたんです、きっと。「やめよっか」みたいな感じだったと思います。

 

──解散して、Corneliusというソロユニットとなると、「渋谷系」というくくられ方をされるようになります。

 

渋谷系って、イメージとしては、ネオアコとかボサノバとかあるのかも分からないけど……サウンドのことじゃないですよ。渋谷で当時売れてたということだけだと思います。これもまた、フリッパーズと同じで、半分おもしろがりながら、半分違和感という感じです。

知らない土地で出会う観客

──当時、爆発的に売れていた音楽は小室哲哉さんなどが作るエイベックス系でした。ああいう音楽をどのように見ていましたか。

まぁ、はやっていたんだなという感じです。当時、たまたま小室さんのライブを海外で見たことがありました。1997年、香港でやっていたMIDEM ASIA(アジア国際音楽産業見本市)で。安室(奈美恵)ちゃんやglobe、TRFなどもいて……。とにかく当時、街で流れていましたからね。

 

─そのころ、アルバム『FANTASMA』を作ったわけですね。翌1998年には海外レーベルとも契約して、活動が海外に広がるようになりました。

 

海外で活動するようになって、自分の活動も海外のアーティストの感覚も捉え方が変わりましたね。自分がやりたいことは、こういうことなんじゃないかと気付いたんです。

初めてのライブはアメリカ・テキサス州のライブハウスで200人ぐらいの観衆。その前に日本でやったのは武道館でした。会場の大きさが全く違うので、日本からの機材は持ち込めないし、自分でセッティングもしなくちゃいけない。全然うまくいかなくて。最悪だ、と打ちのめされていたんです。でも、向こうで自分が好きだったバンドの人がたくさん見に来てくれて、ツアーに誘ってもらったり、すごく褒めてくれた。それから一緒にツアーを回ったり、実際に彼らの活動を間近で見たり、経験を積んでいくと演奏や表現も磨かれていく。それが分かったのはすごくよかった。

自分が全く知らない場所で自分の音楽を聴いている人がいるというのを知ったのも大きかった。「こんなところで?」と驚く場所でライブに来てくれる。それが、ちょうど『FANTASMA』という、当時の自分の集大成的なアルバムができた時だったので、すごく変化を感じていたと思います。

 

あのアルバムでは、サンプリングやコラージュみたいなことをすごくやっていて、音楽的にもいろんなジャンルが混ざる編集をしてたんです。そのせいか、よく言われていたのは、ものすごく情報があるなかで、それを取捨選択してコラージュしている感じが「すごく東京的だ」と。90年代後半って「あらゆる音楽が渋谷にある」と言われ、消費されていた時代。1998年はCDの売り上げもピークでした。「そういう感じを象徴している」と言われていましたね。

音楽業界の悪い雰囲気

平成の次の10年間(1999~2008年)、音楽業界は急速に陰りが目立っていく。1998年に6075億円とピークを記録したCDなど音楽ソフトの生産金額は翌年以降、毎年5%前後の減少を続けた。2008年は3618億円となり、10年間で40%以上の減少。音楽業界には悲観的な空気が広がり、そんな変化を小山田さんも感じていたという。同時に、自身の活動にも変化が表れる。作品は音の数が減って、一音一音の輪郭が際立つようになっていき、海外でのライブ活動やほかのアーティストとのコラボレーションに積極的に乗り出していく。

出典:日本レコード協会、コンサートプロモーターズ協会(図版:ラチカ)

──デビュー10年を過ぎた2000年ごろから、小山田さんの活動が次第に変わっていきます。一方、音楽業界は下降していきます。

 

音楽業界の雰囲気は急に下がり始めて。2000年くらいから世の中の雰囲気もだいぶ変わってきました。90年代的な過剰なものに疲れて、いったん休憩というか。自分自身、2000年に子どもが生まれたりして、生活のパターンも変わった。そういうところから、自分の音の組み方ができていく感じがありましたね。もうちょっと“間”とかにフォーカスして、隙間のようなものを意識するようになった。

2001年に『POINT』というアルバムを出した後から、それまで所属していたレコード会社はリストラを始めた。世の中的にも、9.11(米同時多発テロ)があった。すごく悪い雰囲気があったように思います。友達のレコード屋がなくなったり、音楽業界全体に「これはやばい」って感じはずっとありましたね。

ただ、作る側でいうと、逆に楽になってきた部分もありました。例えば、楽曲の作り方。90年代は無意味にお金を使ってたと思うんです。フリッパーズの頃だと1日何十万円もするスタジオをブロックで押さえてとか、海外レコーディングにたくさんのスタッフを連れていったりとか普通にやっていた。それがパソコンのハードディスク・レコーディングが進化して、事務所のスタジオで十分できるようになった。自分の好きな時間に来て、好きなだけ作る。そうなると、自由にアイデアを試せて作曲や編曲での音の入れ方、組み方も変わる。自分のやりやすいやり方でできるようになりました。

 

──また、ユニット的な活動、ギタリストとしての参加という活動が増えていきます。

 

YMOの人たち(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)とか、オノ・ヨーコさんとか。誘ってくれたから「やってみようか」と。そういう人たちと一緒に演奏できるというのは楽しいですからね。もともと高校生の時には友だちに頼まれていろんなバンドでギターを弾いてたので、その感じです。

 

──その後、2003年にiTunes Music Store(現iTunes Store)で有料の音楽配信が始まり、2005年には誰でも音楽や動画をアップロードできるYouTubeが始まりました。ウェブでの音楽の広がりをどう感じていましたか。

 

YouTubeは出てからすぐ大好きになって、めちゃくちゃ見ていました。違法なものもあったとは思うけど、ネットにどんどん発表していく人もいるし、そういうふうに変わっていくものだと思っていました。自分ももちろんいろんな活動をしますけど、作り手である前にリスナーであって、楽しめるものが好きなんですよね。

 

音楽やメディアをめぐる環境はその後、さらに変化が続いた。日本では2008年にiPhoneが登場。スマートフォンの普及で、MP3などの音源ファイルを再生する形から、ストリーミングで音楽を楽しむ層が増えた。

一方、小山田さんは海外でのツアーに出たり、映画音楽やアートに関わったりと多方面の活動に乗り出していく。自分自身の作品としては、2006年に『Sensuous』というアルバムを出した後は、2017年の『Mellow Waves』まで11年間もの空白期間が続いた。

(写真:アフロ、図版:ラチカ)

ストリーミングに「所有できない」違和感も

──長く自分の作品を作らなかったのはなぜですか。

 

気づいたら、10年以上経ってた感じです。正確に言えば、ずっと曲は作っていたんですが、テンポが速い曲とか圧が強めの曲は、高橋幸宏さんらとのバンド、METAFIVEの曲になったり、映画『攻殻機動隊』のサントラになったり、ヨーコさんの曲に使ったりしていた。そこで残った曲を集めて作ったのが『Mellow Waves』なんです。まとめてみたら、曲線的で、やわらかい感じの曲が多かった。

加齢によるさまざまなことってあるじゃないですか。自分の肉体的な衰えとか、脂っこいものを食べられなくなったりとか、周りや自分が憧れていた人が亡くなったり。圧が強い音楽が疲れるというのもありますよね。そういう雰囲気が作品にも出てるんじゃないかと思いますけどね。

 

──息子さんもモデルなどで注目されたりしましたね。

 

モデルっていうか、バイト的に。ただの高校生ですよ。いまロサンゼルスにいるんですが、日本にいるときにはレコード屋でバイトをしてた。音楽がすごく好きで、最近は友達みたいな感覚で音楽の話をしてますね。

 

──そういう若い世代の聴き方から感じられる変化などはありますか。

 

彼の友達は、ストリーミングのSpotifyとかで聴いてますね。アメリカのレーベルだとCDは出さないで配信とアナログという形が増えている。日本ではiTunesとかのほうが上だと聞いたけれど、アメリカやヨーロッパではもうほぼSpotify(などのストリーミング)が中心になっている印象です。

 

──この十数年、「モノよりコト」と言われ、音源を買うよりもライブで音楽を体験するほうの市場が伸びていると言われています。

 

フェスとかに人が来ているのはそうですよね。お祭り気分だし、ライトに音楽好きな人が多く行ってる感じはあります。でも、本当に音楽好きな人はやはりモノとしての音楽も買ってるんじゃないかな。ただ、若い人はCDプレイヤーを持っていなかったりするからな……。

ストリーミングはすごく便利なのだけど、所有欲を満たせない。音楽好きな人には、そういう気持ちになる人はけっこういるんじゃないかと思いますね。自分はアナログ盤で育ったので、アナログ盤に対する愛着がある。それはジャケットも含めて、アートピースとして完成されていると思うからなんです。だからストリーミングだけだと、どうなんだろうと思うところはありました。

物質じゃなくなっても、音楽に付随するビジュアルな世界観はなくならないんじゃないかな。音楽が複製芸術になってからは、ビジュアルやその他のものを含めて作品と考えていいと思うんですよ。僕自身、ジャケット眺めながら音楽聴いて想像力膨らませる、数少ない情報から妄想してどういうものなんだろうと考える。そういうことをしてきたんですよね。Spotifyでもアイコンとしてのビジュアルは残ってますよね。

ストリーミング時代に作り方も変化

──いまストリーミングサービスは広がりつつありますが、メリット・デメリット両方あるように思います。どう考えますか。

 

Spotifyは利用者目線でいえば、すごく便利なんですよね。「これあるんだ」と驚くようなものまで、ほんとにいろんな音楽が入っているし、インターフェイスも使いやすい。AIが優秀なのか、新しいおすすめ曲として高い精度で自分好みの音楽が届けられる。

一方で、作り手からすると、ああいうストリーミングだけでいいのかなと思うところもあります。まず、CDをパッケージで発売するのと、配信が始まるのを比べたときに、配信は「出した感」はないです。それと、再生回数による報酬は決して多くない。仮に1000回再生して100円だとして、それでミュージシャン側は普通に活動できるようになるの?って思いますよね。

でも、配信という形態だからこそ、聴かれ方も変わる。いまSpotifyでCorneliusがいちばん聴かれているのは東京で、2番はメキシコシティーなんです。それは去年メキシコシティーでライブしたからなんですが、熱狂的だったんです。そうしたら再生回数が増えていった。また、人気のプレイリストに入った曲は、その曲だけ再生回数が多くなっていたりする。自分のアルバムの中では地味な曲なんですが。

そういういまの音楽の聴かれ方で、作り方も変わってきてるんですよ。

 

CDでは七十数分という中で流れをつくってきた。実際、『FANTASMA』では最初の曲から最後までシームレスにつながっていく作りでした。でも、新作『Mellow Waves』では1曲ごとに分けて、どの曲でも頭から再生できるようにした。ストリーミングのプレイリストでどの曲が選択されても不自然じゃないようにしたんです。

音楽は原初の状態に戻っていく

──そうなると聴き手と作り手の関係も変わりそうですね。

 

僕が子どもの頃はアナログ盤とカセットしかなかったけど、今はYouTubeもSpotifyもApple MusicもCDもカセットもいろいろある。今だとSoundCloudのように、今作った音源をすぐアップして、誰もが聴けるようなサービスもある。そういう聴き方の多様化で新しい音楽に触れられる。

昔はFMラジオをエアチェックして聴くか、レコード買うかだった。そういう時代には、アーティストに対してファンタジックな夢がありましたよね。でも、今はそういうのはないんじゃないかな。だからといって、あの時代に戻れと言っても戻らない。

 

──そう考えると、平成の30年間で音楽は伝わり方や広がり方が相当大きな変化を遂げたように思えます。

 

もともと音楽って、物質じゃないんです。空気の振動なんです。エジソンのレコードができたときから複製録音芸術が始まって、レコード業界のようなマーケットができた。それより前は、誰かが演奏したり、歌ったりしていた。つまり、音楽の原初は物質じゃないので、本来的にお金に換算するのが難しい芸術なんですよね。だけど、そこが音楽の面白いところで。

1990年代までは、そういう複製芸術が物質、レコードやCDとして取引される進化の過程があってピークを迎えた。ところが、ネットが登場して、また音楽という原初に近い形=その場で感じる空気のようなものに戻ってきた。それはもちろん課金したり経済活動はあるんだけど、物質じゃないものになっていっている感じはしますね。

 

──そういう中でお金をしっかり払ってくれる人が増えるかどうか。

 

いや、音楽を熱心に好きな人は世界中にちょっとずつ相変わらずいて、そういう人はCDやレコード買ったり、ライブ行ったり、積極的に払って聴くと思います。それで音楽のマーケットは回るようにも思いますしね。

 

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公取委が巨大IT企業調査 

個人情報収集に消費者「懸念」75%
2019.4.17 20:08 産経新聞
https://www.sankei.com/economy/news/190417/ecn1904170043-n1.html

 

公正取引委員会は17日、米グーグルなど「プラットフォーマー」と呼ばれる巨大IT企業の消費者や取引先を対象に実施した取引実態調査の中間報告を公表した。個人情報や利用データの収集、利用、管理などに「懸念がある」と答えた消費者が75・8%に上った。

 

 取引先では、インターネット通販出品者の約5~9割が国内外のIT大手5社から「規約を一方的に変更された」と回答するなど、不公正な取引実態が明らかになり、公取委は独占禁止法の適用も視野に調査を進めていく方針だ。

 

 実態調査では、消費者の47・7%が「巨大IT企業が個人情報や利用データを勝手に利用することはやめてほしい」と回答。実際に「不利益を受けたと感じたことがある」は15・1%だった。公取委は「消費者の個人情報が今後、乱用される可能性もある」と指摘。優越的地位の乱用に該当するかどうかを見極めていくとしている。

 

 また、規約を一方的に変更された取引先の割合は楽天が93・2%と最大で、アップルが81・4%、グーグルが73・8%、アマゾンが72・8%、ヤフーが49・9%と続いた。

 調査は、今年1月からの「巨大IT企業の取引慣行などに関する実態調査」の一環として2月末から3月末までの間にインターネットで実施。消費者2千人、ネット通販の取引先811などから回答があった。

 

 プラットフォーマーは、世界中で収集した膨大なデータを活用して急成長し、各分野で寡占化が進んでいる。菅(すが)義偉(よしひで)官房長官は17日の記者会見で、取引実態調査の結果について「デジタル市場の競争環境整備の観点から、政府として取引の透明性・公正性確保のためのルールの具体的な検討をしっかり行っていきたい」と述べた。

 

 

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都民ファ統一選、表に出ぬ小池氏 

公認絞り地道な選挙戦
2019年4月17日15時17分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASM4H7J40M4HUTIL03Y.html

 

小池百合子・東京都知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」が、初の統一地方選で正念場を迎えている。追加公認を含め55議席を得た2017年の都議選から一転、都内46区市町村議選のうち17区市議選に計28人しか公認候補を立てていない。小池氏も前面に出ず、都議を中心に地道な選挙戦を進めている。

 

 16日午前、小池氏は渋谷区長選候補者の選挙事務所を訪れ、「がんばってください」と握手を交わした。候補者は無所属で、都民ファーストとは直接関係ない。小池氏は「前からの友人なので」と記者団に説明し、都民ファースト公認候補の応援について尋ねられると「頑張ってほしい」と答えるにとどめた。

 

 風向きが変わったのは、17年10月の衆院選。小池氏は希望の党を率いて臨んだが、惨敗した。翌月の葛飾区議選(定数40)で、都民ファーストの公認5人のうち4人が落選し、失速があらわになった。その後、都内の選挙でも苦戦を続け、「都議選のような風はもう吹かない」(幹部)として公認を絞る方向に転じた。

 

 統一地方選の公認候補は、小池氏が立ち上げた政治塾「希望の塾」の塾生や都議の秘書らが目立ち、新顔が半数ほどを占める。ただ、大半の議員選で公認候補は1人か2人。落選者の数を抑えるためというが、計28人では、都内で計392人を公認した自民党の1割にも満たない。都民ファーストの若手都議は「これでは全員当選しても胸を張れない」とこぼす。

 

 都のトップ小池氏の応援は、新顔たちの知名度向上につながるが、市区議選の公認候補に対し、街頭演説など表立った応援活動をしていない。都民ファースト内から「負けたときにやけどをしないためでは」といぶかる声もあがる。議員選に初めて挑戦した女性は「少しでも多くの人と握手を交わすなど風に頼らずに戦うしかない」と話す。

 

 知事の任期満了まであと1年3カ月。2年後には再び都議選もある。ベテラン都議の一人は「最後はやっぱり、『小池旋風』がまた吹くのを待つしかない」と漏らす。

 

(西村奈緒美)

 

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平成31年4月執行豊島区議会議員・区長選挙特集ページ
http://www.city.toshima.lg.jp/361/kuse/senkyo/1901311418.html

豊島区長選挙 選挙公報(PDF:2,260KB)
http://www.city.toshima.lg.jp/361/kuse/senkyo/documents/kuchouhp2.pdf

豊島区議会議員選挙 選挙公報(PDF:2,975KB)
http://www.city.toshima.lg.jp/361/kuse/senkyo/documents/kugihp.pdf

 

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