大堀相馬焼コラム

きっと馬九いく!大堀相馬焼は地域の皆さんと共に(19)畠山浩美さん

第19回:畠山浩美さん
hana-cafe 店主

1ご夫妻

浪江町大堀地区に受け継がれてきた「大堀相馬焼」。左馬(右に出るものがいない)、九頭馬(馬九行久=うまくいく)の絵柄は、縁起物として開業祝いなどの贈答にも用いられ、喜ばれてきました。このシリーズでは、徐々に活気を取り戻しつつある浪江および近隣の町で事業を再開している方にお話を伺います。

今回は、浪江町川添に今年7月オープンしたばかりの「hana-cafe」を訪問。8年ぶりに浪江へ帰還して念願のカフェを経営する、店主の畠山浩美さんご夫妻をご紹介します。

2hanacafe外観

浪江町内に誕生した待望のカフェ

ゆったりしたBGMが流れる明るい店内。店主の浩美さんのセンスあふれるインテリア。緑の芝生を臨む窓辺の席に腰をかけると、その向こうの国道114号をダンプトラックが次々と走り抜けていく様子がまるで別世界のようです。

この日のランチは和風ハンバーグをメインに、カレー味ポテトサラダ、ニンジンとしめじの白和えなど、お野菜たっぷりの手作り総菜が、紺色のスタイリッシュなお皿に並んでいました。見た目もカラフルで、思わずたくさん写真を撮りたくなってしまいます。デザートのクリーミープリンももちろん手作り。身体がよろこぶ大満足のお昼ごはんです。

3ランチプレート

浪江町川添で週に3日だけ営業するこのhana-cafeは、7月のオープン当初から、こうした“カフェごはん”を待望していた町民や来町者の人気を集めています。この日も、常連のお客さまと談笑しながら、ご主人の正志さんと二人三脚で手際よくランチを提供していく店主の浩美さん。てっきり以前から飲食店を経営されていたのかと思ったら、なんとこれが初めてだとか。

「カフェめぐりは大好きだったんですよ。でも自分でお店をやるのは生まれて初めて。メニューもずいぶん試行錯誤しました。オープン直前にはもういろいろ考えすぎて怖くなってしまって(笑)」

でも浩美さんは、ご主人をはじめ周囲の方からの、「好きなことをやってみればいい」「何事もやってみなければわからない」という声に背中を押されたといいます。

4イメージ

一度は諦めた故郷へ、再び

そのhana-cafeが位置するのは、畠山家が代々農業を営んできた土地。浩美さんは27年前、隣りの南相馬市原町からここへ嫁いできました。しかし、8年半前の東日本大震災と原発事故で、親子三代の穏やかな暮らしは一変します。浪江町は全町避難となり、畠山さん一家は県内外の避難先を転々。震災の翌月には、当時ご主人の単身赴任先だった茨城県ひたちなか市に移りました。そして2年後、ご夫妻はひたちなかに新しくご自宅を建てます。

「浪江には帰りたいけど、もう帰れないよね・・・」

ご主人の仕事のこと、3人のお子さんたちの学校や就職のこと。一緒に暮らしてきたじいちゃんばあちゃんのお身体のこと。そしてご自身のこと。たくさん悩まれた上での苦しいご決断だったことでしょう。

新天地での生活を始めた浩美さんは、得意のお菓子やパンを作っては周囲におすそ分けしているうち、「作り方を教えて」という声に応えてレッスンを始めることになりました。Hiro-panの名称でパン作り・菓子作りの教室を運営し、一時は「かなり力を入れていた」とか。新しい環境の中でも、持ち前の明るさでどんどんお友達を増やしていかれた様子が目に浮かびます。

ところが、しばらくしてご主人が難しい病気を発症し、お勤め先も退職せざるを得なくなってしまったのです。自宅に引きこもり元気がなくなっていくご主人の姿を見て、浩美さんは再び、将来のことを考え直すようになったといいます。

「やっぱり、おとうさんの大好きな浪江に帰ろうか」

そんなとき浩美さんは、東京から訪ねて来た友人を車に乗せて、浜通り地方を案内する機会があったそうです。原発事故で長期避難を経験した海沿いの町村を南から北へと縦断し、最後にご自宅のあった浪江町川添に着いたとき、「ああ、やっぱり私が帰ってくるところはここなんだ」と強く感じた浩美さん。その後ご主人と話し合い、末の息子さんの大学進学を機に浪江への帰還を決めたのでした。

ここをみんなが集える場所に

今回、そんな浩美さんに差し上げた大堀相馬焼プレゼントは、栖鳳窯(山田正博さん)のカップ&ソーサーです。

5カップ

「あら、かわいい。あ、でも内側はちゃんと相馬焼なんですね」

おっしゃるとおり、水玉模様がポップな印象ですが、カップの内側は青磁色の肌に貫入(ひび)が入った伝統スタイル。楕円のソーサーは、小さなお茶菓子など添えるのにちょうどいい大きさです。

「浪江の家ではもちろん大堀相馬焼を使っていましたよ。茶碗とか納豆鉢とかね。でも残念ながら、(地震と長期避難で傷んだ家を建て替えるとき)家といっしょに処分せざるを得なかったんです。そういえば、子供たちが小学校の授業で作った作品はどこかにとってあるかも・・・」

大堀相馬焼の窯元たちは、時代に合わせてさまざまな独自デザインの作品も生み出しています。いつかhana-cafeの雰囲気にもピッタリの相馬焼の器が見つかったら、うれしいですね。

6浩美さん

全町避難前2万人以上を数えた浪江町の居住人口は、現在1,300人足らず(8月末)。新しい施設整備が進む一方、住まなくなった家屋の解体も進み、見慣れた風景が刻々と変わっていく様を、多くの町民が寂しい思いで見守っています。

ふるさとを追われた町民たちはみな、それぞれに難しい選択を何度も迫られてきました。その中で、一度は諦めた帰還を再び決意し、カフェという新しい挑戦に踏み出した浩美さんは、あくまでも前を向いています。その自然体の笑顔は、喜びも悲しみも全部ありのままに受け入れることを知った方の笑顔に見えました。

「カフェの採算ですか?そういうことはあまり考えていません。当面は週3日のペースで、おとうさんと二人、元気で働ける場所があるだけでいい」

7ショップカード

ところで、hana-cafeの名前の由来を伺うと、できたばかりだという2つ折りのショップカードをいただきました。開けるとそこには、畠山家の愛犬はなちゃんの姿とともにこんな言葉が。

「可愛くって、癒される。そんな、はなのような田舎のごはんやさんです」

ふるさとへ帰ってきた人も帰れない人も、新しい住民もフェイスブックを見て来たという人も、いろんな方がここに集い、おいしいご飯を食べ、楽しく語らい、癒される。hana-cafeは確実に、そんな場所になりつつあります。末永いご発展を心からお祈りいたします。

2019年9月取材
文/写真=中川雅美

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