Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

1922年の室内管弦楽曲

2020-10-18 | 
ティートュス・エンゲル指揮のドナウエッシンゲン音楽祭2020年を聴いた。本番ならず、その練習を編集したものだった。コロナ後の依頼に応えた作品でもありながらよく鳴っていた。最初のヒンデミートを選んだのは指揮者だろうと思う。いいところももしかしたら足りないところもよく出ていた指揮だと思うが、拘るところが若い頃とあまり変わらない。指揮者なんて二十歳代と四十歳代ではそんなに変わらない。変わったのは機会が与えられて、また音に出来る可能性が増えたことだろうか。

細部の音響への感覚が嘗てのエルネスト・ブールなどにも通じる鋭い感覚が特徴の一方、ヒンデミートのフォームへの拘りのようなものが充分に出ていたかどうかはBGMで聴いただけでは確認できなかった。1922年のスペイン風邪後の室内管弦楽曲であり、当時の前衛でもありながら、アーノルト・ファンクの山岳映画に付けた音楽や四重奏曲の楽想の喜遊性や抒情ゆえの執拗な拘りである。

そうした総合的な印象がキリル・ペトレンコなどの大指揮者とそうしたメインストリームから外れたところで活躍してきた指揮者との大きな違いだろう。

そうした専門家の力量は、無人での初演となった曲の数々にとても良く表れていて、クラウス・ラングの光彩を音にしたような音響の表現という事でもその後の曲における響きも見事である。昨年までの音楽祭での演奏を思い起こすとこれで喝を入れられるのではないかと思う。

前任者のフォランソワサヴィエ―・ロートよりも明らかに緻密な響きでいい。来年からもおかしな指揮者を出さずにティートュス・エンゲルに指揮して貰いたい。上手くベルリンでも機会を貰えればロート指揮のレパートリーよりもいいと思う。大編成の曲を振るのを待ちたいと思う。それよりも先ずはキリル・ペトレンコと今年のオペラ指揮者賞を別け合った音楽劇場作品指揮の機会だろうか。前回聴いたのはダルムシュタットの夏季セミナーの時だったと今思い出した。

今回の編集ものにしても映像が提供される予定だったのが、スタッフがコロナ陽性になって、残念ながら音声だけの放送となった。とても残念であるが、充分に来年以降を期待できると思う。

毎週のように朝一番でパン屋から森の中の駐車場へと向かった。曙は7時20分から、日の出は40分からで、パン屋を出たのは15分ぐらいだったか。駐車場では暗闇の中で暫し待って、明るみが出てから準備体操などをして、森の中でも足元が見えるようになるのを待った。走り出してから、日の出の時を待っていたが、曇っていたのであまり気が付かなかった。ゆっくりと走って峠に着いた時にはすっかりと明けていたのだが薄暗かった。

布団の上掛けに分厚いカヴァーを付けたので保温性が高まった。寒気が無くぐっすり眠れたのか、結構すっきりと起きれたのが良かった。やはり睡眠は重要である。



参照:
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音
ドナウエッシンゲン祭管弦楽 2019-10-21 | 文化一般
黒い森からの今と昔の像 2018-10-21 | 文化一般
エポックメーキングなこと 2017-12-02 | 文化一般
音楽愛好家結社 2005-12-12 | 音

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