現代の迷信 | 団栗の備忘録

団栗の備忘録

心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけます。なるべく横文字を使はずにつづります。無茶な造語をしますがご了承ください。「既に訳語があるよ」「こっちのはうがふさはしいのでは?」といふ方はご連絡ください。

 経済政策を論ずるとき、とりあへず現行法制度のことは度外視して議論をします。どうすれば景気をよくすることができるのか、侃々諤々の討論の末、ある結論に達したとします。けれども「それを実行することは現行法上できません」と役人に言はれたらどうでせうか。役人としてはそれでいいと思ひますし、さう言ふべきです。むしろ、役人が法律のワクを越えた判断をすることは好ましくないとさへ言へます。しかし政治家は役人とは違ひます。「鳴かぬなら、鳴くやうに制度を変へよう、ホトトギス」といふのが政治家の仕事です。万有引力の法則等の物理法則とは違って、憲法や法律は人が作ったものですから、変へようと思へば変へることができます。不磨の大典と称へられた大日本帝国憲法でさへ変へられてしまひました。法律を変へるためには国民投票は必要ではなく、原則として衆議院と参議院を通過すればよいだけです、理論的には。では現実的に「殺人罪や窃盗罪の条文を削除する刑法改正案」が国会を通過する可能性はあるでせうか。その可能性は皆無であると断言してよいでせう。これは憲法9条を改正するよりもむつかしいことだと言へます。財政法及びその関連法の改正は、これに似たやうな困難性があると思はれます。

 

安倍政権の経済政策については、電網(ネット)界隈でさかんに議論されてきました。これまで主に三つの説が唱へられてきました。

1.安倍内閣バカ説 日本経済をよくしようと明後日の方向に全力疾走してゐる。本人はよかれと思ってやってゐる。実行力のあるバカは無能なバカよりも始末が悪い。

2.安倍内閣悪魔説 日本経済を破壊しようと意図的にわざとやってゐる。日常用語として使ふ場合における確信犯。

3.安倍内閣腰抜け説 今やってゐる経済政策がよくないことは理解してゐるし、すぐにでも止めたいのだが、闇の勢力に脅されてゐて、あるいは(流行り言葉の)「忖度」をしてゐるため、方向転換をすることができない。

この三つの内のどれなんだらうと思ってきましたが、もう一つ説があるのではないかと、思ふやうになりました。

4.安倍内閣金縛り説 自らの経済政策がよくないことはわかってゐるが、諸々の法規制があって身動きがとれない。その法規制を変へることはかなりむつかしく、実際上無理と言っても過言ではない。

 

かう思ふやうになったのは、最近財政法の本を読んだからです。一つは財政法の立法担当者が書いた『財政法逐條解説』(平井平治著 一洋社 昭和22年 定価150円とありました)、もう一つは最近の実務運用について解説した『予算と財政法 五訂版』(小村武著 新日本法規 平成28年)です。平井氏は大蔵省主計局の第一及び第二課長、小村氏は大蔵省の事務次官で、両著とも事実上の公定解釈が記述されてゐる、といふことのやうです。これらの本を読むと、財政法及びその関連法の全体が、ある思想、考へ方に基づいて制定されてをり、条文の一つ二つを改正したところでどうにもならない、といふことがわかります。根本的な発想の転換を図る必要があるのですが、はたしてそれができるものなのかどうか、はなはだ心許ないです。財政法等の基本的な考へ方は「国家財政を賄ふための財源のひとつが税金である」「国家財政は原則として税金で賄はなければならない。借金をすること(国債の発行)は原則として許されない」「国債の償還方法としては、しばらくの間は借換債発行による自転車操業をしてもよいが、しかし最終的には税金によって、全額が償還されるべきである」「国債は原則として日本銀行が直接引受けてはならず、一旦は民間に引受けてもらはなければならない(市中消化の原則)」「無借金経営(健全財政の堅持)はよいことである」等々です。どれもこれも一見常識的なことばかりなので、これを改めるのは容易なことではないです。ほとんど無理と言ってもよいくらゐです。

 

平井・財政法逐條解説 22頁以下

≪財政法の企図

第二に企図していることは、この財政法を通じて健全財政を堅持しているということである。財政が国政の基礎であつて、財政の健全性が失われては、国民生活の安定も国力の発展も望み得ないことはいうまでもない。ここに健全財政を堅持しなければならない理由があるのである。  即ち、健全財政を確立し、国民生活を安定せしめ以つて日本再建の基礎を築かんとする思想が流れているわけである。

これがためには、先ず、赤字財政を克服することであるが、第四条で普通歳出は、普通歳入を以て賄うという方針を明らかにして、赤字予算の編成を禁止している。只例外として生産的な経費乃至資本的な経費について、又、デフレーション対策として、公共事業費について公債及び借入金を以て財源を処理することを認めている。≫

 

それぞれ反論すると「税金は国家財政を賄ふために徴収するものではない」「特例公債(赤字国債)で国家財政を賄ふことは、物価上昇(インフレ)がひどくならない限り別に問題ない」「国債の償還は、半永久的に借換債の発行で対応していけばよい」「日銀乗換以外にももっと広く日銀直接引受を認めたとしても、さう簡単には物価上昇はしない」「健全財政を堅持することにすると、増税か又は緊縮財政をしなければならなくなる」です。とにかく少しでも「税金の機能の一つとして、国家財政を賄ふといふことを挙げることができる」といふやうなことを言ってはダメです。これでは財務省はおろか、一般の国民すらも説得できなくなります。また、閣議決定で基礎的財政収支の黒字化目標を放棄すべきだ、といふ意見をみましたが、法律により決まってゐることを、閣議決定限りで否定することはできません。「財政運営に必要な財源の確保を図るための公債の発行の特例に関する法律」の第三条及び第四条はかうなってゐます。

 

平成二十八年度から平成三十二年度までの間の各年度における特例公債の発行等)

第三条 政府は、財政法(昭和二十二年法律第三十四号)第四条第一項ただし書の規定により発行する公債のほか、平成二十八年度から平成三十二年度までの間の各年度の一般会計の歳出の財源に充てるため、当該各年度の予算をもって国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行することができる。

(2項・3項は省略します)

4 政府は、第一項の規定により発行した公債については、その速やかな減債に努めるものとする。

(特例公債の発行額の抑制)

第四条 政府は、前条第一項の規定により公債を発行する場合においては、平成三十二年度までの国及び地方公共団体のプライマリーバランスの黒字化に向けて経済・財政一体改革を総合的かつ計画的に推進し、中長期的に持続可能な財政構造を確立することを旨として、各年度において同項の規定により発行する公債の発行額の抑制に努めるものとする。

 

苟も一国の法律の条文の中に「プライマリーバランス」などといふ耳馴れない横文字を使ふとは何事であるか、と思ひます。むやみやたらに政治家が横文字を使ふのは亡国の始まりであると思ひますが、それはともかく、第四条は努力目標の規定ですから、達成できなくても法的責任は生じません。がしかし政治的責任は問はれ得ます。精一杯努力しましたが目標を達成できませんでした、といふ場合でも非難されるわけですから、ましてや閣議決定で「プライマリーバランスの黒字化なんかくそくらへ!」なんてできようはずがありません。まあそれでも特例公債法が複数年化したのは良い傾向です。毎年毎年制定しなければならないとすると「特例公債法を通してほしくば、外国人参政権法案に賛成しろ」と人質に使はれる危険性がありますので。第三条第四項は、特例公債は一刻も早く現金償還しろ、といふ思想の現れです。安倍政権が、消費税増税分の税収の一部をやっぱりここに突っ込まうとしてゐることは、報道等で明らかにされたとほりです。安倍内閣金縛り説を採る所以です。

 

もう少し詳しく財政法をみていきたいと思ひます。第4条について平井氏はかう言ってゐます(なほ元の本の漢字は全て旧字体です)。

 

37頁以下

第四条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。

前項但書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。

第一項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。

 

≪〔解説〕 公債及び借入金の制限

第四条は健全財政を堅持して行くと同時に、財政を通じて戦争危険の防止を狙いとしている規定である。財政が総ての国策の根本であり、健全なる国策遂行の要諦は常に財政を健全に維持して行くことにある、而して健全財政というのは、収支の均衡を得ていることが原則である。即ち、赤字公債がないということである。只健全財政必ずしも予算上公債財源による歳出が計上されていてはならないということではない。又公債財源によるものが直ちに赤字公債であるとはいい得ない。然しながら健全財政の原則として一応普通の歳出は普通の歳入に財源を求めねばならないことはいうまでもない。又一方我が国の財政が昭和七年以来所謂赤字財政の連続によつて今日のインフレーションの重大なる原因をなしていることは事実である。従つて健全財政でないことも又認めざるを得ない。而して此の間常に公債収入が歳入の重要な地位を占めていたのである。特に臨時歳入の太宗をなして来たものは常に公債収入であつた。以上これ等の事実と、理論とを重視して健全財政の根本原則として定めたものが本条第一項本文である。 (中略)

戦争危険の防止については、戦争と公債が如何に密接不離の関係にあるかは、各国の歴史を繙くまでもなく、我が国の歴史を観ても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であつたことを考察すれば明らかである、又我が国の昭和七年度以来の公債を仮に国会が認めなかつたとするならば、現在の我が国は如何になつていたかいわずして明らかである。換言するならば公債のないところに戦争はないと断言し得るのである、従つて、本条は又憲法の戦争放棄の規定を裏書保証せんとするものであるともいい得る。然しながら実は本条もまた原則を定めたものであつて既に現在においても他の法律によつて幾多の例外を認めているのである。≫

 

野坂昭如氏の『火垂るの墓』を彷彿とさせる読点でつなぐ奔る文体、≪然しながら私は財政とは常に支配階級の経済的統制を本質としていると信じている。而かも私が終始関係した我が国満州事変以来の財政が、この私の信念を動かすべからざるものとしていることを附記しておく。 総論16頁≫といふ信念の吐露等、もう二度と国民を絶望の淵に突き落すまじといふ烈しい情熱が、本来無味乾燥なはずの財政法の条文解説書を、何か異様な迫力を以って迫りくるものにしてゐます。財政法四条が、憲法九条を裏書保証するために規定された条文であるとすると、憲法九条が存在する限り財政法四条を改正することは事実上不可能でせう。無理に財政法四条を改正しようとすれば、共産党、社民党、そしておそらくは立憲民主党あたりも「軍靴の足音ガー」と騒ぎ出すことは必定です。否、たとへ憲法九条が削除されたとしても、健全財政を堅持しなければならないといふ洗脳の呪縛から国民が解き放たれなければ、財政法四条を改正することはできないでせう。

 

公債のないところに戦争はないと断言」してゐる平井氏ですが、また同時に「公債のあるところに戦争はある」といふことはいへない、とも言ってゐます。

 

自序より

≪然し私には憲法や、会計法が不備であつたがために戦争が計画されたり、インフレーションが起つたりしたとは信ぜられない。やはり戦争を惹起したのは人であり、インフレーションによつて大衆をこの惨めな生活に突き落したのも人である。こう考えて来ると如何に民主的な憲法が出来ても、立派な財政法が出来ても、其の運用に人を得なかつたならば、所謂、猫に小判であつて、意味をなさない。況んやこの財政法には幾多の抜道と、曖昧なところのあることは本文で指摘しているとおりである。従つて私は総ては人にあると信じている。即ち民主的な人によつて民主的に運用せられて、始めて、財政法は民主的であるといい得るのである。私はこの財政法が民主的な人によつて民主的に運用せられて、この荒廃した、祖国を再建し、国民大衆を再びこのような惨めな生活の淵に突き落すことのないように念願する。≫

 

かたじけなさに涙こぼるる文章ですが、さうであればやはり特例公債を禁止するやうな条文は作らないでほしかったです。戦時下の特例公債(赤字公債)と、平時のそれとでは意味合ひが大きく違ふのではないでせうか。戦時下での公債発行によって得たお金で、国は食料や金属等の生活必需品を吸ひ上げました。そしてそれらの生活必需品は、国外の戦地に輸送され、費消されてしまひ、モノが国内を潤すといふことにはなりませんでした(それでも日本に十分な生産力、供給力があったならば、国民が塗炭の苦しみを味はふといふことにはならなかったでせう)。これに対し平時では、公債発行によって政府が得たお金は、国内の様々な需要に使はれるわけですから、モノが国内に環流することになります。従って国民が苦しむことになった原因は、公債の発行それ自体ではないのではないか、と思ひます。さうであるにも拘らず、条文上の整理として特例公債の発行を禁止してしまったことが、後の世の足枷となってしまったのだらうと思ひます。とはいふものの、平井氏にあっても「四条国債(建設国債)のみならず、いづれ特別法を制定して特例国債(赤字国債)の発行もせざるを得ないときがくるだらう」と予測してゐたのではないかと思はれる節があります。≪この財政法には幾多の抜道と、曖昧なところのあることは本文で指摘しているとおりである≫なかなか含みのある表現です。卒読すると「図らずも抜道がたくさんある立法結果となってしまひ、残念だ」とも解釈できますが、どうも平井氏は、消極的にではあれ赤字国債の発行を容認してゐたのではないかと思はれます。

 

第五条については以下のやうに説明されてゐます。

 

≪第五条は、公債の発行方法について制限し、これから来るインフレーションを防止せんとした規定である。(中略)日本銀行引受による公債発行とは、国が所要の資金を先づ日本銀行から公債を発行して借入れ、国はこの資金を各種の国策遂行によつて放出し、此の資金が国民に撒布せられてから日本銀行は前に引受けた公債を売出す、此の方法を繰返すことによつて国は巨額の資金をいくらでも得るのであるが、此の方法がもともと公債の応募能力のないところへ先に資金を撒布しておいて、それから公債を所有させるのであるから不健全であり、インフレーションの原因を含んでいるのである。(中略)健全財政を堅持してゆく上からは、どうしても此の方法を禁止して、公債は国民の貯蓄資金より借入れるということにしなければならなかつたのである。而してこれが又健全明朗なる国民生活の樹立にも役立ち得るものである。≫(41,42頁)

 

「公債は国民の貯蓄資金より借入れる」といふことですから、国民が銀行に預金をし、銀行はその預金されたお金で以て国債を買ふ、といふことが想定されてゐるやうです。国債を買ふ財源は民間の余剰資金である、といふことが前提となってゐるみたいです。

 

公共事業費の範囲について、小村氏は次のやうに説明してゐます。

 

101頁以下

≪公共事業費の範囲であるが、建設的・投資的な経費、つまり、経費支出の見合いが資産となって将来まで残るものであり、その資産によって国民全体が利益を享受することができ、まわりまわって国民経済の発展に資するものが対象となる。  (中略)

公共事業費の大半は、建設事業費・施設整備費等であるが、その他公債発行対象経費とすることについて問題のないものが加えられている。例えば、船舶建造費についても公共事業費の範囲に加えられているが、これは海上保安庁等の船舶は国有財産法等においても国有財産として取り扱われ、通常の官庁施設に準ずるものと考えられることから建設公債発行対象経費に含められているのである。ただし、自衛隊の艦船警備艇等の建造費は、資産を取得する経費ではあるが、公債を発行してこれに充ててもよいかという点からみれば、通常、防衛費のようなものは消費的な行政費と考えられているので、建設公債発行対象経費に含められていない。≫

 

海上保安庁の船を作るためには建設国債を発行してもよいが、自衛隊の艦船を建造するために発行することはできないといふことですか、さうですか。一般会計の中から、それも四条国債を使はずに(税金か赤字国債かで)防衛費を捻出しなければならないとすると、増大する社会保障費との兼ね合ひもありなかなか大変です。飛躍的に防衛費を増大させることは事実上不可能といふことになりませう。

 

 異次元の金融緩和をどこかで止めないと、お金が溢れかへって超超超超物価高(ハイパーインフレーション)になるといふことをききますが、ほんたうでせうか。たとへば、個人資産十億円のおぢいさんがゐたとします。彼は、一日の食費の上限が千円、10㎞くらゐなら乗り物を利用せず歩く、家賃月5万円の借家に住んでゐる、としたらどうでせう。彼の持ってゐるお金のほとんどはモノとの交換には使はれてゐないことになります(株式投資をしてゐたとしても物価との関係は薄いでせう)。物価がモノとお金の交換比率であるならば、退蔵貨幣がいくら増えても、実際に活動して世の中を回ってゐる貨幣の量が増えなければ、物価は上がらないのではないでせうか。また、生産力、供給力が十分にある場合には、増えたお金のほとんどは退蔵されるはうに回ってしまひ、活動する貨幣にはならないのではないでせうか。一億人の需要を上回る供給力がある場合には、お金があってもそれは消費されるはうにはあまり回らないのではないか、といふことです。生産力が十分ではなかった戦前とは事情が違ふので、さう簡単には超超超超物価高にはならないと思ひます。

 

(令和2年10月28日 加筆)