トライアスロン始めて干支一周
トライアスロンを始めたのは、30歳の記念としてでした。それから12年、干支を一周するキャリアを積みましたが、競技への情熱はマンネリ化していきました。
自分の競技人生を振り返ってみます。
2006年から2009年はハネムーン期。
練習やレースに限らずトライアスロンをしているだけで楽しくて、エキサイティングで、まさにハネムーンのような状態でした。競技を通じてたくさんの仲間に出会い、レースをきっかけに各地を訪れ、スポーツの社会的な楽しみを見出すこともできました。
体力的にはピークを過ぎていましたが、まだまだ身体は無理がきき、日々の練習は充実した成果をあげていました。
2010年から2014年はアスリート期。
競技に対する姿勢は参加する楽しみから、高いレベルで競うことに変わりました。自分の限界ではなく、他の選手と勝負で凌ぎを削る面白さに目覚めました。
目標は日本選手権出場。1秒を削り出すために心拍数を上げて、ライバルが追って来ないかヒリヒリした気持ちでレースに挑んでいました。レース前はいつも憂鬱であり、過呼吸気味になっていました。
スイムは年々タイムが落ちていきましたが、バイクとランはかなりパワーアップしました。しかし、憧れの日本選手権にはいつもあと一歩及びませんでした。30代後半で20代の選手に勝とうとするのは無理があります。惜しむらくは、あと3年早く日本選手権を目指していれば、それなりのパフォーマンスを発揮できたかもしれません。
2015年から2018年はマンネリ期。
子どもが生まれたことで、練習量は何分の一かに減りました。育児は大変です。時間的に余裕があっても、寝かしつけで一緒にバタンと寝てしまう毎日です。むしろ先に眠っていました。
それでもレースだけは年に2〜3回、出させてもらいました。ところが、あまりの体力の無さに愕然とします。それまで自分のなかで遅いと思っていたタイムに遠く及びません。40代特有のしんどさがあります。身体が錆びついて言うことをききません。この世代はエイジで強い選手が多いのですが、継続して練習をしないと一気に体力が落ちていきます。
そして、何より気持ちが弱くなりました。全く追い込めません。息が切れて、しんどくなる前に、あらゆる理由を見つけては妥協をしてしまいます。その結果、レースはまったりしたものばかりでした。決して無理をせず、それでいて経験値はあるので潰れることもなく、控えめに予想したタイムの通りフィニッシュする。レースが終わってホッとする気持ちがあっても、身体を揺さぶるような感動はありませんでした。
さて、なんで、こんな競技に対する姿勢の変化を書いたかというと、今年出場した大阪城トライアスロンで久々にフレッシュな気持ちを思い出したからです。
それは残念ながらレース後だったのですが、その話は次回に。