今日のLAは晴れ。
日本ネタの続きです。
箱根ではブラモモをしながら・・・あ!本家のように地質マニアではありませんが・・・
とあるお寺へ行ってみました。
惣門
こちらは北条家ゆかりの早雲寺。
早雲という名前からもわかる通り、戦国大名の時代の幕を開けた北条早雲の遺言により、その子氏綱によって京都大徳寺の第83世以天宗清を招き創建されたと伝えられているそうです。
北条ファンではありませんが、歴史ファンとしてはやはり押さえておきたいところではあります。
俗世との境目を意味する中門は、残念ながら改装中でした。
鐘楼
ここに吊るされている鐘は、秀吉が小田原攻めの際に石垣山一夜城で使われたと伝えられています。
枯山水石庭
本堂の裏手にある枯山水石庭は、1493年~1589年の作庭だろうと言われています。
詫び寂びを感じますね。
西洋の庭とは違い華美でなく、日本人の美意識を刺激する静かで質素な、そして時間がゆっくり流れるようなお庭でした。
ちなみにこちらの茶室では歴史的な事件が起きた舞台でもあります。
山上宗二をご存知ですか?
利休の一番弟子の山上宗二です。
一般的には秀吉の怒りをかい、耳と鼻を削ぎ落された上に打ち首にされた茶人です。
この後、利休の切腹につながっていく重要な事件ですよね。
秀吉と利休の関係を描くドラマなどでは、必ず描かれる場面ではないでしょうか?
5代続いた北条家の墓はこの上にありました。
秀吉が小田原征伐の時(1590年)、箱根の山を越え、ここ早雲寺に入り本陣としました。
いきなり北条家の菩提寺を本陣にする秀吉も凄いですよね。
その2か月後、石垣山一夜城が完成し本陣を移すと、火を放ち早雲寺は灰燼に帰したのです。
その後北条氏は降伏、氏政、氏照は切腹。
氏直は高野山に追放され1年後に死去。
この北条5代の墓は、狭山北条5代目当主氏治により1672年に供養塔として建立されたものなんだそうです。
北条早雲
北条氏綱
北条氏康
北条氏政
北条氏直
戦国の幕を開け5代にわたって関東の覇者となった北条氏の痕跡や、秀吉との関わりや事件など多くの歴史の表舞台に関わってきた寺院。
境内は広くはありませんが、歴史ファンには見ごたえはありますよ。