サクラサクラ | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

今日は終戦記念日ということで、毎年恒例の戦争にまつわるお話をご紹介させていただきます。

南洋の楽園「パラオ」は、長年積み重なったサンゴ礁からなる445の島々で構成されています。
固有種も多く生態系はとても貴重で、2012年に世界複合遺産となりました。

2015年には天皇皇后両陛下が、戦没者慰霊のためパラオをご訪問されています。


パラオは第一次世界大戦後、国際連盟による日本の委任統治領となっていました。

パラオ諸島にはペリリュー島という島があるのですが、ここで日米両軍によって実に73日間にもわたる戦いが繰り広げられたのです。

そして壮絶な長い死闘が繰り広げられたにもかかわらず、ペリリュー島民には、ただの1人の犠牲者もでませんでした。

これは、日本軍が「ペリリュー島民を戦火に巻き込んではならない」と指令をだしていたからです。


太平洋戦争の時、ペリリュー島には日本軍が進駐し陣地が作られていました。

島民は共にその作業に参加し、日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたといいます。

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になりました。

日本軍はペリリュー島が壮絶な戦場になることを予見し
民間人を犠牲にしてはならぬ
という判断により、ペリリュー島の強制疎開の実施を決定します。

しかし島民たちは日本の守備隊長に
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」
と懇願しました。

が、それを聞いた隊長は
「帝国軍人が貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
と激高し叫んだのです。

仲間だと思っていたはずの日本人に裏切られた
あれはみせかけだったのだ
と島民たちは悔し涙を流しました。

島民たちが避難のため船に乗って島を出る日も、日本兵は1人も見送りに来ません。
船が島を離れます。。。

その時

日本兵全員が隊長を先頭に浜に走り出て来て、みんなで一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って笑顔で島民たちを見送りました。

島民たちは気がつきました。
隊長のあの言葉は自分たちを救うために言ったものだったのだ

その後の「ペリリュー島の戦い」で
守備隊長の中川州男大佐
師団派遣参謀の村井権治郎少将
飯田義栄中佐
の割腹自決の後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が送られました。

戦いが終って島に戻った島民は、多くの日本兵の遺体を見て泣き、皆こぞって日本兵の遺体を葬りました。

そして、日本の人達がいつ来てもよいようにと、その後も墓地の清掃に心掛けました。

ところでこちらはパラオの国旗です。


この国旗について伝えられるパラオのエピソードがありますのでご紹介します。

この国旗には
「太陽(日本)があってこそ、月(パラオ)の輝きがある」
という意味が込められているそうです。

「月」が国旗の中心から微妙にずれているのは、「日本に敬意を表し、同じでは日本に失礼だから」
と、わざと中心からはずしたといわれています。

パラオの人々は
日本軍は私たちを命に代えて守ってくれた
その勇敢さと純粋さに敬意を抱いているのだそうです。


パラオで
「サクラサクラ」
と散った日本兵は、満開の桜が咲く靖国神社に英霊として祀られています。

日本軍
戦死者 10,695名
捕虜 202名

アメリカ軍
戦死者 1,794名
戦傷者 8,010名 

一般人民
陣地構築に徴用されていたが、日本軍が戦闘前に強制退避させたため死者・負傷者ともに0名とされる


今回もう一つ戦争にまつわるお話を用意していて、どちらを記事にするか迷っていたのですが、ふと見上げると実家のカレンダーが目に入りました。


ということでパラオに決定した次第です。




人気ブログランキングにほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村