桜と古代史 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

昨日ですが神奈川県にも自粛要請が出ましたので、今週末は家でゆっくり過ごそうと思います(^^)

とはいえ、最近のこの状況で明らかに運動不足。
体を動かすべく今日はお花見がてらお散歩予定桜

あ、徒歩圏内の超ご近所ですし、宴会はもちろん人とも接触しませんのでご安心ください♪

今日はこの時期にちなんで
桜と古代史
をテーマに記事を書かせていただきますねキラキラ

記事に使用している桜の花の写真は昨年撮影したものです♬



日本人に愛される『さくら』の語源なのですが
「咲く」という動詞に複数を意味する「ら」
を加えて名詞になったといわれていますね。

また一説には浅間神社のご祭神として知られる
「木花開耶姫(このはなのさくやひめ)」
日本で初めて桜の種をまいた桜の女神だったという伝承からサクヤが転化したのでは、ともいわれます。

木花開耶姫がお祀りされる浅間神社は「桜花紋」ですものねガーベラ



さてさて♪
桜が初めて文献に記されたのはいつのことなのでしょう⁇

第18代履中天皇の御代
「日本書紀・巻12 履中紀」
には最古の花見の記録が残ります。

“三年の冬十一月の丙寅朔辛未に、天皇、兩枝船を磐余市磯池に泛べたまふ。與皇妃と各分ち乘りて遊宴びたまふ。膳臣餘磯、酒を獻る。時に櫻の花、御盞に落れり。”

402年11月、履中天皇は磯池に船を浮かべて、皇妃とそれぞれ船に乗り酒宴を開いた。膳臣がお酒を差し上げると、天皇の持つ杯に桜の花びらが舞い落ちた

履中天皇が奈良の磐余に建設した都を
「磐余稚桜宮(いわよわかざくらのみや)」
といいますが、上の記述にある季節外れの桜の花びらが、お酒を湛えた天皇の杯に舞い落ち、不思議に思った天皇がこの花びらがどこからきたのか家臣に探させたところ、同じ奈良の掖上(わきがみ)の山中にて桜の木を発見しました。
「この季節外れの桜は神意のあらわれだろう」
と天皇は都に“若桜”の名を冠したそうです。

また桜の木を発見した家臣の物部長真胆(ながまい)は、天皇より「稚桜部連(わかさくらべのむらじ)」の称号を賜りました。


続きましてその次代の第19代允恭天皇の御代ピンク音符
「日本書紀・巻13 允恭紀」
には最古の桜の和歌が残ります。

天皇が衣通姫(そとおりひめ)に求愛した時に
“井のほとりの桜の花をみそなわして”
詠んだ歌

花ぐわし  桜の愛で同愛でば
早くは愛でず  我が愛づる子ら

なんと繊細な桜の美しさよ。 同じように愛でるなら、桜のように美しい我が姫を なぜもっと早くから愛さなかったのだろうか…

が。。。
履中・允恭天皇の時代は5世紀。
日本書紀が完成したのは7世紀ですから、本当のところは分からないのです。初めて文献に記された、という意味では最初ということですね。

他にも日本書紀には、神功皇后の時代にすでに桜が鑑賞されていたことが書かれています。


また桜といえば奈良の吉野山が有名ですが、持統天皇の時代にはすでに桜の名所となっており、持統天皇は花見のために何度も訪れたと伝わっています。

史書で判明している日本最古の品種は
「ナラノヤエザクラ」
で、聖武天皇が奈良の三笠山で桜の木を発見し、都に移植したそうです。

古の人々から愛され続ける桜ラブラブ

今日は綺麗な桜に会えると良いな乙女のトキメキ



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