正気の沙汰でない、ある御仁の狂気の沙汰 | 加納有輝彦

正気の沙汰でない、ある御仁の狂気の沙汰

正気の沙汰、正気を失う、正気に返る・・・とかで使われる「正気」。

 

 

 個人的見解ですが、人間の根本を支える「気」「土台」かなと思います。

 

 

 いま、正気を失って暴れている御仁がおるようですが・・・

 

 

 これまたさらに個人的見解ですが、この「正気」というものは何で鍛えられるか。

 

 

もちろん、教育、家庭環境、地域の環境、時代背景・・・いろんな要素があると思いますが、私個人は、田舎で育ったゆえ、子供の頃の「暑さ、寒さ」の刺激によって「正気」が鍛えれたと理屈でなく感覚的に思っています。(笑)

 

 

夏:今のような酷暑ではなかったですが、川遊びの水しぶきと太陽の光の記憶、道路のコルタールが溶けてクチャクチャ音をたてる草履の記憶・・・夏ではありながら、ラジオ体操に起きた朝のひんやりとした空気・・・

 

 

冬:雪が積もれば、手頃な斜面を見つけては、父が作ったソリで暗くなるまで夢中で滑走、手が凍えて凍えてして焚火で暖をとった「火」の温かさの記憶・・・しもやけの記憶・・・

 

 

 子供の頃の暑さ、寒さの「身体感覚」の記憶が鮮明に残っています。そしてそれが、「正気」の「気」を支えているようなそんな気がしていました。正しさを支えているというか。

 

これは理論とかでは全然なく、そんな感覚を持っていたのでした。外で遊び遊びしていた田舎の子供、私の記憶は、身体感覚、寒い、暑い、冷たい・・・が中心です。(笑)

 

 すると、もうずいぶん前の話ですが、「戸塚ヨットスクール事件」が世を騒がせました。

 

 どこも引き受け手がない、どうしようもない非行少年の最後の頼みの綱としての民営の更生施設。

 

 手の施しようのない?ワルが、戸塚氏のスパルタ訓練で更生していく、つまり正気を取り戻していく。そんな中で起きた死亡事故でした。

 

 非難の嵐の最中にあった戸塚氏の理論は間違っていないと石原慎太郎氏が何かの雑誌か、対談本で語っていたのを、私は偶然見ました。

 

 そこに脳幹教育?みたいな事が書いてあって、脳幹は暑さ、寒さの刺激を受けることによって健全に発達する・・・とかそんな事が書いてありました。

 

 私は、自分が感覚的に感じていた事と同じ事を石原氏が書いていらしたので、ずいぶん、印象に残っています。

 

 ただ、私は、脳幹教育についてそれ以上、掘り下げてはおらず、これを書くてあたって参照も何もしていません。戸塚氏の理論は、暴論と非難を浴びたものですので、擁護も、否定もできません。

 

 ただ、暑さ、寒さの刺激が、正気を鍛える・・・という部分は、とても自分の感覚と合致しています。

 

 これは、田舎、都会、性別、、いろいろの環境下で一概にはいえないことでしょう。

 

 ただ、戸塚氏が、現代の子供たちのスマホ漬けの姿を見たら、「脳幹」が弱くなる・・・と大いなる危機感を持つことは間違いないと思われます。

 

 正気を失った御仁に、「頭を冷やしてこい!」と冷水を浴びせたくなる衝動に駆られる私ではあります。

 

 正気を失った御仁が、SNSで発信している図は、まさしく正気の沙汰ではないわけであります。(笑)

 

 強い脳幹は、悪霊をもきっと跳ね返すこともできるのではないかと思っております。

そして、強い脳幹は、タフな読書を継続、持続する気力も養うのではないかと。スマホ等の情報は、持続する何者かではなく、パッパッっと点滅する刺激に過ぎないと・・。

 

 これをブログを使って発信している自己矛盾は、保留、棚上げしておきます。(笑)

 

 

 

 

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