読書と顔 | 加納有輝彦

読書と顔

 あるお宅を訪問して家人のお顔を拝見した瞬間、「あっ!この方Fさんに違いない」と思い・・・その通りご本人。

 At random な訪問だったゆえ、全くの偶然の出会い。

 

 実はFさんとはお会いしたのはその訪問が初めて。

 

 どうしてお会いしたこともないFさんをFさんと瞬時に認識できたのか。(笑)

 

 それは、「みずなみ文芸」という瑞浪市文芸友の会が発行していた同人誌で、Fさんの小説、エッセイを読んでいたからでした。

 (「みずなみ文芸」は、昨年の12月、第40号をもって、関係者の高齢化等を理由に廃刊。昭和50(1975)年創刊。別冊みずなみ文芸は、平成23(2011)年発行の第12号まである。)

 

 私も、創刊30周年記念号(平成19年、2007.11)と、別冊みずなみ文芸NO.9(平成20年、2008.5)、NO.11(平成22年、2010.5)と3回投稿させて頂きました。

 

 実は、家内経由で、Fさんのススメで投稿することになった経緯がございます。そんなわけで、Fさんの小説、エッセイを読んでいました。

 

 不思議なんですが、楚々とした清潔感が漂うFさんの和服姿、所作、家のたたづまい、家具、調度品、蔵書・・・全体の醸す雰囲気が、まさに女流作家、女文士ならかくありなんというものだったのです。

 

 楚々とした・・・は本来若い女性に使う表現でしょうが、ご高齢のFさんにまったく違和感のない表現と思えます。

 

こんな風に年を重ねたいものだなあと思いました。

 

 

 以前、作家の石牟礼道子さんの写真を始めて新聞で見た時、名前を確認する前に、瞬間的に「石牟礼道子」さんに違いないと確信した時と似た体験でした。

 

 小泉信三氏の有名な言葉

「本を読んでものを考えた人と、全く本を読まない人とは明らかに顔が違う。読書家は、精神を集中して細字を見るため、その目に特殊な光を生じ、これが読書家の顔をつくる。然し、ひとり眼光に限らない。偉大な作家、思想家の大著を潜心熟読することは人を別心たらしめる。これが人の顔に現れるのは当然であろう」

 

 Fさんの読書遍歴が、Fさんの容姿、所作、そして家具、調度品にまで「現れて」いたのでしょう。

 

 スマホ時代の現代、それが人の顔にどのように表れるのでありましょうか。一抹の不安を感じるのは私だけではないと思います。

 

初めて投稿した文章が母への感謝だった。それが収録された30周年記念号を介護施設にいた母は全部読破した。とても楽しみに読んだと言っていた。
 するとほどなく母は眠るように帰天した。その母を偲んで投稿したもの。
 はからずも、みずなみ文芸は、母との最期の思い出づくりの場となった。

 

 

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