春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

川越の氷川神社・一億の祈り。

2019-10-16 20:16:54 | 関口文治郎/神社仏閣
 
ギターリスト、村治佳織さんは、
東日本震災の後、本人の病気も重なり、
ピアニストで作曲家の谷川公子さんと、
亡くなった方への鎮魂と復興を願う「一億の祈り」を創った。
谷川公子さんも、乳がんを食事療法だけで、
治した女性。
今回も、早く元の生活に戻れるよう・・・。

 
 
氷川神社・川越。
 
 
本殿は入母屋造り。
天保十三年(1843年)起工、
嘉永二年(1849年)に竣工されました。
 
 
本殿の周りに彫った彫刻家は、
嶋村源蔵と氷川神社では公表していますが、
飯田岩(巌)次郎との共作。
源蔵はもともと江戸彫り、島村家の7代目。
先代たちは、日光東照宮も手掛けた、名工です。

岩次郎の父は飯田仙之助。
群馬県勢多郡の花輪に住んで、
石原吟八の愛弟子で、吟八がくなると、
生まれ故郷、東松山で、大工棟梁、飯田和泉守安軌の子の元で、
武藏国で活躍した彫刻師でした。

彫刻には、必ずもとになる絵師がいるのですが、
川越神社の絵師は絵心のある、
嶋村源蔵(俊表)ではないかと・・・・推測です。

余分なことひとつ。
源蔵と岩之助はコンビを組んで、
東松山市の箭弓神社も手掛けています。
ここにはさらに、群馬県太田市薮塚に住んでいた、
名工、岸又八が絡んでます。

 
海老紅陵の繊細な鑿使いは、
彫り物師、関口文治郎の榛名神社の海老紅陵の流れを、
さらにきめ細かく彫られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
👇牛若丸

 
 
 
 
👇頼朝が鶴を放す場面。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神社は、
苦しい時、悲しい時、寂しい時、
いつでも何か、明日はいい日であることに、
手を合わせる。
嬉しい時、楽しい時がありました、
いい日が続くようにと、
一億の胸が待つ、
1652年から続いている、
横笛の音、摺り鉦の音、太鼓の音、
歓声が川越にまもなく響く。
 
 
👆👇 案内掲示板から
 
 
👇川越市護国神社
西南ノ役以降の、英霊2970柱を奉斎しています

 
訪問 2019.10.3
 
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