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キリスト教的看護についてのいくつかの考察③ ナイチンゲールと赤十字社の関係

2018年08月18日 | 看護学について

フローレンスナイチンゲールを有名にしたのは、間違いなく、赤十字社でしょう。

その創設者が「アンリ・デュナン」です。

スイスの銀行家、実業家ですから、「ロスチャイルド家」の関係者です。

まずは、アンリ・デュナンとフローレンスナイチンゲールとの関係について見ていきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2003年11月07日発行812号 第26回『アンリ・デュナンと赤十字(3)』)

 赤十字創設がデュナンによるものだと言うと、「ナイチンゲールではないか?」という疑問が出てくるので補足しておく必要がある。

 戦場における傷病者の救護という意味では、ナイチンゲールはまさに赤十字の先駆者である。クリミア戦争において38名の看護婦を率いてイギリス軍に従軍したナイチンゲールの活躍は知られるとおりである。近代的医学や衛生学にもとづいた彼女たちの奮闘によってイギリス軍の死亡率は激減したという。

 デュナンもナイチンゲールのことは知っていたし、敬意を抱いていたから、『ソルフェリーノの思い出』においてもナイチンゲールの活動を称賛している。従って、ナイチンゲールの存在がデュナンの着想に一定の影響を与えているので、ナイチンゲールも赤十字の歴史にとって非常に重要である。

 ただ、ナイチンゲールはデュナンの提案を支持はしなかった。彼女は、戦場における軍の傷病者救護はまずもって国家の責任と考えていたため、国家が自国兵に対する責務を果たすべきであり、民間団体が傷病者救護に乗り出すことは国家の責任分野に介入することになる

 クリミア戦争におけるナイチンゲールの活動は、イギリス軍に従軍して、後方の野戦病院に運ばれてきたイギリス軍兵士を救護することであった。

 これに対して、デュナンの着想は、敵味方の区別なく、すべての傷病者を救護するというものであった。ソルフェリーノの戦場で倒れる兵士たちを目撃し、救護活動を行ったデュナンにとって、救護対象は味方の兵士だけではなく、救える命をすべて救うことに向けられた。

 戦場における傷病者救護という点では、デュナンの着想はナイチンゲールに由来するが、敵味方の区別なく救護するという点では、むしろソルフェリーノの現実に由来した。

 戦場に近いカスティリオーネに負傷者が続々と運ばれてくると、病院だけではとても足りず、教会その他の大きな建物が臨時病院として利用された。テントや仮小屋も使っての救護が続けられた。医師や看護婦の数は到底足りないため、カスティリオーネの女性たちや子どもたちが素人看護士として救護活動を行った。この素人看護士たちが、負傷者を国家によって区別せず、同様の親切さをもって救護したという。

 ある医師が医薬品はイタリア兵のために取っておこうと言ったが、「みんな兄弟です」と言って、敵軍であるオーストリア兵をも分け隔てなく救護したカスティリオーネの人々を、デュナンは感動と敬意をもって描いている。むろん実際には味方を救護することのほうが圧倒的に多かったであろうが、傷病者は敵味方を区別せずに救護するという思想の萌芽がここに見られる。

 デュナンは、もしソルフェリーノに十分な医師と看護士がいたなら死なずに済んだ戦死者のことを思い、国際団体を組織して、事前に組織された十分なスタッフを用意することを考えたのである。

 敵味方の区別なく救護するのが望ましいという点ではナイチンゲールも同様に考えたであろうが、実際にはナイチンゲールは赤十字の設立に賛意を示さなかった。従って、ナイチンゲールが赤十字を設立したというのは誤解である。

 このように言うことはナイチンゲールが果たした歴史的役割を否定することではない。ナイチンゲールからデュナンへの流れ、そして赤十字の設立と発展を想起する必要がある。

 現に赤十字は、ナイチンゲールの思想と活動をもっとも重要な意義をもつものとして評価している。そこで赤十字はナイチンゲール記章を創設し、傷病者の救護の向上に献身し、人道博愛精神の昂揚に尽くしたナイチンゲールの功績を記念し、救護活動に顕著な功績のある人に授与している。各国赤十字社からの推薦により赤十字国際委員会が選考して受賞者を決定している。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 フローレンスナイチンゲールは、アンリ・デュナンに対して否定的な見解を示しているという記事を見ます。

・・・・・・・・・・・・・・・(赤十字とナイチンゲール)

彼女の行動に刺激をうけたアンリ・デュナンによって設立。

但し、ナイチンゲールは自分の業績は実家が裕福な地主貴族であったことが大きな要因だったことを自覚していたため、

「構成員の善意と自己犠牲に依存するシステムは経済的援助無しには決して長続きしない」

としてボランティア活動による常設救護団体の設置については真っ向から否定的な姿勢であった。

この考えは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉にも表れている。 

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 「犠牲なき献身こそ真の奉仕」

今のブラック企業の経営者に教えてあげたい、言葉ですね。

本題からずれるため、このことについては割愛します。

フローレンスナイチンゲールは「職業看護師」の養成が必要だと考えたのです。

では、なぜでしょうか?

この時代、「戦争で沢山の人が死んだ」ということがあります。

後に、ナイチンゲールは統計学を使って、「戦争で死ぬのでなく、衛生状態が悪いため、環境が悪い為死ぬのだ」と発表しました。

これは世界初の統計学を使ったウソで、実際は、戦争で人が死ぬのです。

ただ、負傷した人は、「衛生環境を整えないと死亡率が上がる」ということを言っているのです。

これが、病気で弱った人は、環境を整えると回復していくという考えにつながっています。

アンリ・デュナンという人物は、「フローレンスナイチンゲールをいう人物を大物にしたてあげる代わりに、赤十字社と一体化した理念を創造すること」を目論見ます。

クリミア戦争が1854~1856年の2年間にわたり、繰り広げられる中、戦争負傷者の医療救護にナイチンゲール率いる看護班をおくります。

戦場医療に、看護が導入されました。

時をして同じく、スイスのアンリ・デュナンという銀行家が1859年にイタリア統一戦争を目の当たりにします。

・・・・・・・・・・・(赤十字のおこり)

スイス人の実業家アンリー・デュナンは1859年6月、フランス・サルディニア連合軍とオーストリア軍の間で行われたイタリア統一戦争の激戦地ソルフェリーノの近くを通りかかりました。

そこで見たものは、4万人の死傷者が打ち捨てられているという悲惨なありさまでした。デュナンは、すぐに町の人々や旅人達と協力して、放置されていた負傷者を教会に収容するなど懸命の救護を行いました。

「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士としてその尊い生命は救われなければならない」との信念のもとに救護活動にあたりました。

ジュネーブに戻ったデュナンは、自ら戦争犠牲者の悲惨な状況を語り伝えるとともに、1862年11月『ソルフェリーノの思い出』という本を出版しました。この中で、以下の必要性を訴えました。

(1)戦場の負傷者と病人は敵味方の差別なく救護すること

(2)そのための救護団体を平時から各国に組織すること

(3)この目的のために国際的な条約を締結しておくこと

この訴えは、ヨーロッパ各国に大きな反響を呼び、1863年2月赤十字国際委員会の前身である5人委員会が発足、5人委員会の呼びかけに応じてヨーロッパ16カ国が参加して最初の国際会議が開かれ、赤十字規約ができました。

この規約により各国に戦時救護団体が組織され平時から相互に連絡を保つ基礎ができ、デュナンの提案の一つが実現しました。そして翌1864年には、ヨーロッパ16カ国の外交会議で最初のジュネーブ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生したのです。

・・・・・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

1859年のイタリア統一戦争で、戦争の悲惨さを知ったアンリ・デュナンが、1862年に、『ソルフェリーノの思い出』を書いて、

戦争に反対するわけでもなく、「負傷兵を敵味方関係なく救護する」という訳の分からない論理を作ります。

そして、それを1963年2月、「5人員会」を発足させ、現在でいうEUのような組織作りをし始めました。

そこでどさくさに紛れて、法律を可決させます。

・・・・・・・・・・・(10.五人委員会)

 デュナンの提案を実現させるためにスイス国内の協力者が集まり、1863年2月、いわゆる「五人委員会」が設立されました。この「五人委員会」が後の赤十字国際委員会になります。「五人委員会」のメンバーは次のとおりです。

 アンリー・デュナン35歳(1828~1910)ギュスターブ・モワニエ(法律家)37歳(1826~1910)ルイ・アピア(医学博士)45歳(1818~1898)テオドル・モーノワール(医学博士)57歳(1806~1869)アンリー・デュフール(将軍)76歳(1787~1875)

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

1863年2月にはジュネーブにおいて、デュナン、アンリ・デュフール、ギュスターブ・モアニエ、ルイ・アッピア、テオドール・モノアールの5人によって「国際負傷軍人救護常置委員会」(五人委員会。現・赤十字国際委員会)が 設立されたことになります。

ナイチンゲールの歴史年表を見てみます。

・・・・・・・・・・・(ナイチンゲール歴史年表)

年表

1820年5月12日 誕生

1837年9月の初め 大陸旅行へ

1844年春 病人の看護をしたいと思う

1845年 ソールズベリーの病院で看護婦をしたいと申し出、家族の大反対にあい断念

1849年 リチャード=モンクトン=ミルクンズの求婚を断る

1853年8月 ロンドン、ハーレー街の『婦人家庭教師のための養成所』の看護監督に就任

1854年10月21日 38人の看護婦とともにクリミア戦争従軍のためロンドンを出発

11月5日 スクタリの兵舎病院に着く

1855年5月 最初のクリミア半島行き。熱病にかかる

10月 2度目のクリミア半島行き

1856年3月 3度目のクリミア半島行き。終戦を迎える

8月 帰国

1857年8月 過労で倒れ鉱泉の地モールバーンで保養

英国統計学会会員に選ばれる

1860年7月 聖トマス病院にナイチンゲール看護婦訓練学校を開く

1861年 キングス・カレッジ病院にナイチンゲール助産婦訓練学校を開く

1867年 産褥熱発生のためナイチンゲール助産婦訓練学校を閉鎖する

1874年1月 父を亡くす

1880年2月 母を亡くす

1883年 赤十字勲章を受ける

1886年 看護婦登録制度に反対して戦いはじめる

1887年 ヴィクトリア女王即位五十年記念の地区看護婦協会設立を助成

1901年 視力を失う

1907年 女性初の有功勲章(O.M.)を授与される

1908年 ロンドン名誉市民権を授与される

1910年8月13日 睡眠中に没

 ・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
「そして翌1864年には、ヨーロッパ16カ国の外交会議で最初のジュネーブ条約(いわゆる赤十字条約)が調印され、ここに国際赤十字組織が正式に誕生したのです。」
とあります。
ナイチンゲールの歴史年表では

1860年7月 聖トマス病院にナイチンゲール看護婦訓練学校を開く

1861年 キングス・カレッジ病院にナイチンゲール助産婦訓練学校を開く

その3年後に国際赤十字が設立しています。(1864年に国際赤十字が設立)
そのご、国際赤十字社が、ナイチンゲールに賞を与えます。
・・・・・・・・・・・(ナイチンゲールwikipeia 講和後)

ナイチンゲールは国民的英雄として祭り上げられることを快く思わず、8月6日、スミスという偽名を使用して人知れず帰国した。

帰国後の11月、ナイチンゲールチームはバーリントンホテルに集結し、タロック大佐の克明な報告書を読みながら病院の状況分析を始める。数々の統計資料を作成し、改革のためにつくられた各種委員会に提出した。

このためイギリスでは、ナイチンゲールを統計学の先駆者としている。これによる改革は保健制度のみではなく、陸軍全体の組織改革につながった。

ナイチンゲールは1859年にイギリス王立統計学会の初の女性メンバーに選ばれ、後にはアメリカ統計学会の名誉メンバーに選ばれた。

ナイチンゲールは「自分は(クリミア戦争における英国の)広告塔となる」ことをいとわなかった。

しかし、あまりに広告塔として利用されたせいか、戦争終結後はむしろ有名人として扱われるのを嫌うようになる。それが昂じて遺言では、墓標にはイニシャル以外を記すことを許さなかった。

ナイチンゲールのこうした態度に影響されてか否か、赤十字国際委員会の創設者の一人であるアンリ・デュナンがナイチンゲールの活動を高く評価していたため、委員会が

「傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して、偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師」(全世界で隔年(西暦で奇数年)で50人以内)

に対して贈る記念章に名前を残している。

なお、ナイチンゲールは赤十字社活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた。

これはマザー・テレサと同様、「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」ということを見抜いていたためである。

この考えは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉にも表れている。そして「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である」という考え方があったからだといわれている。

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

「傷病者や障害者または紛争や災害の犠牲者に対して、偉大な勇気をもって献身的な活躍をした者や、公衆衛生や看護教育の分野で顕著な活動あるいは創造的・先駆的貢献を果たした看護師」(全世界で隔年(西暦で奇数年)で50人以内)」

をナイチンゲール紀章と言われています。これを創設したのが赤十字社でした。

・・・・・・・・・・・(フローレンス・ナイチンゲール記章とは)

フローレンス・ナイチンゲール記章は、第8回(1907年)と第9回(1912年)の両赤十字国際会議の決議に基づいて制定された「F.ナイチンゲール基金」によって創設され、F.ナイチンゲール女史の生誕100周年を記念して1920年に第1回の記章が授与されました。

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)
ナイチンゲールは1910年に亡くなっていますので、その後に創設されたものです。

また、「ナイチンゲールは赤十字社活動には関わっておらず、むしろボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた。これはマザー・テレサと同様、「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」ということを見抜いていたためである。

この考えは「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉にも表れている。そして「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である」という考え方があったからだといわれている。」

とあるように、ナイチンゲールは、赤十字社がおかしなことをしている(ボランティアによる救護活動=人件費ゼロ)に反対しています。

しかしながら、晩年は視力を失い赤十字や英国王室から賞を受賞してまんまと広告塔として使われてしまっています。
ナイチンゲールがクリスチャンでないことは前回の記事で書きました。
彼女はプラトニズム(プラトン主義)であり、これはキリスト教神秘主義、ヘルメス信仰と言われ、キリスト教ではありません。
 
 
ですから、聖トマス病院に無宗教の看護学校を設立したのでしょう。(無宗教としたのは、当時の英国国教会がおかしなことをしていたため、政治利用されることが分かっていたから、うんざりしていたのもあるでしょう。)
 
「病人を癒すのは、宗教の愛ではなく、衛生環境だ」と「ナイチンゲール」は堂々と神を否定しています。
こんなクリスチャンはいません。
皆さんは「赤十字社」と聞いてクリーンなイメージを持つかもしれませんが、戦中の赤十字社は天皇家と財閥の秘密機関として行動しています。
・・・・・・・・・・・(天皇家は戦争中に何をしていたのか②)

前略)アメリカは公式には日本への石油の輸出を禁止した。しかし、アメリカ国籍の船、または日本国籍の船によるものが禁止されただけであった。あの太平洋戦争田布施2中も秘密ルートでアメリカの石油、重要な原料(タングステン、四塩化エチル等)が日本へ送られた。

これが戦争の本当の姿なのだ。昭和天皇はこのからくりを知っていたが、近衛首相や木戸幸一内大臣に秘密にしていた。

あの国際赤十字社のシステムは、戦傷者を救うためにつくられたのではない。

国際金融同盟の連中が、商売(=戦争)をスムーズに長きにわたって続けるためにつくられたのである。

太平洋の委任統治諸島で密かに石油や重要物資が日本の赤十字の船に移される。

この船は攻撃できないという国際条約ができているので、安心して石油や重要物資を日本は購入できた。(後略)

(引用終わり)

前回は戦争時においてその、戦争することによって派生する日本の植民地事業において三井、三菱、住友などの財閥、銀行などが大儲けし、結果天皇家も大儲けする、ということについて記させて頂きました。ですがこの引用文は戦争から派生する要素ではなく、戦争そのものが天皇家を儲けさせていたことを記す内容となっています。

あの、戦前に日本への制裁としてABCD(アメリカ、イギリス、中国、オランダ)包囲網が1941年に敷かれてアメリカから石油の輸入が途絶え、日本は窮地に追い込まれた、と我々は学校の歴史の授業で教わってきました。

だが、実際には「赤十字」という看板を掲げた船で石油が輸入されていた。

その赤十字は実は戦傷者の傷を治したり命を救うために設立されたのではなく、戦争を‘スムーズ’に長引かせるために国際金融同盟の連中がつくり上げたものだった。

つまり戦者が簡単に死んでしまっては戦争がすぐに終わってしまい、国際金融同盟の連中やそれに纏わる財閥、銀行そして天皇家もカネ儲けができなくなる。

だから赤十字を設立して、兵隊の傷の治療をし、延命させ、再度戦場に送り込む、ために赤十字がつくられたということです。

では次に同著から上の引用文に続く、その石油購入の資金についての記述を以下に引用します。

(引用開始)

では、あの大戦中、その莫大な支払い代金はどうしたのか、という問題が出てくる。この代金の主なものは、天皇家の蓄財5ジア支配の途中で略奪した、金、銀、プラチナ等の貴金属である。

その一部は日本へ持ち帰り(赤十字のマークをつけた船で)、マルフクという金貨に鋳造する。これを現地に送り、食料等の必要物資の現地での購入にあてる。残りの金塊や宝石類は、スイスの国際決済銀行(BIS)に送る。

ここで貴金属をドルまたはスイス・フランにし、迂回経路で必要物資の支払いにあてる。

残ったドルやスイス・フランは、国際決済銀行か、同一系統のスイス国立銀行の秘密口座に入っていく。

かくて、戦争が長引けば長引くほどに天皇一族と、秘密裏に天皇一族を支えた財閥の資産は天文学的に増えていった。

(引用終わり)

日本に石油はなかったが中国侵略などで強奪した金・銀・プラチナを代金の支払いにあてた。その一部が天皇家の資産となった。つまり戦争で金・銀・プラチナなどの貴金属を強奪すればするほど天皇家は儲かるということです。

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

これは事実であり、陰謀論でも何でもありません。
人道支援という殻を被り、戦争というビジネスで儲ける秘密機関の側面を持っています。
戦争が長引けば長引くほど、天皇家がもうかるシステムを支援する赤十字社。
赤十字社のトップは天皇家です。
以下の記事を参考にしてください。
・・・・・・・・・・・(1.日赤は天皇家のファミリー企業)

      *         *        *

日赤…それは天皇家のファミリー企業 (2011年3月19日 )

日赤は天皇家のファミリー企業で総裁がたしか皇太后です。
先の大東亜戦争にて、アメリカ国との開戦前に、赤十字に莫大な寄付をして、終戦工作をバチカンに依頼をした事もありました。
また赤十字に『献血』を啓蒙していますが、これ自体が利権で、この善意の『献血』を製薬会社に原材料として売却して独占的利益を享受してます。
過去の薬害『AIDS』もアメリカ国からの売血(貧困層や麻薬患者等の血液)を輸血、もしくは製薬の原材料に混入してAIDSが感染の要因です。
この東北震災においても『焼け太り』する気ではないですか?
所詮、『民草』の事は何も考えていないのです。
それが、彼等の思考回路なんです。
また多くの死者及び行方不明の預金等は、今後、持ち主が特定できないと、某国の銀行の如く『引き出し』に応じない!

つまり、企業(銀行)の内部留保(利益)になる。
その企業のオーナーは、国際金融資本で『金』は其処へは流れて行くのです『この震災で被害を受けた人々の怨念』と共に!
      *         *        *

 それで私も遅ればせながら、「今回の災害による莫大な募金は、かなりが日赤に集中している」わけを解いてみよう。
 私が日本赤十字社が皇室と関連がきわめて深いことを知ったのはだいぶ前で、たしか昭憲皇太后のことを調べていたときだった。その後、鬼塚英昭氏の著作でも知ったように思う。


2.日赤の歴史とその大事業
 「智象」さんは、「日赤は天皇家のファミリー企業で総裁がたしか皇太后」と言っておられるのは、前半は正しいが後半はちょっと違う。現在は皇太后はいないし、美智子皇后が名誉総裁を務めている。名誉副総裁が皇太子・浩宮である。
 日赤の代表者=社長は、近衛忠輝である。この人物は旧公爵家近衛家の当主である。
 彼の兄が細川護煕(元総理大臣)だ。旧肥後熊本藩主・細川家から近衛家に養子に入った。「霞会館」に集う皇族関係者である。

 戦前の日赤は、明治10年に設立された博愛社を前身として設立された。

博愛社は、西南戦争に対応して熊本の熊本洋学校内につくられたものだ。その後明治19年のジュネーブ条約締結にともなって、翌20年に国際赤十字社日本支部のような形で日本赤十字社と改名した
 発足は赤十字社と無関係に設立されたが、「博愛社」の名前からもうかがえるように、これはおそらくフリーメーソンの流れを汲んでいると思われる。

実際、赤十字活動は最初からヨーロッパでは王室が熱心に関わってきた。
 日本でも皇室がそれを担当するようになった。戦前の日赤の管轄官庁は宮内省だった。

 戦後の日赤は、昭和27年に再発足している。同年に「日本赤十字社法」が制定され、その法によって設立されたことになっている。
 認可法人であり、準公共機関である。純粋な民間企業ではない。
 なぜかと言うなら、それは「智象」さんも指摘するように、日赤がそもそもの設立以来、天皇家のファミリー企業だったからである。

 吉田祐二著『天皇財閥 ~皇室による経済支配の構造~』(Gakken刊)によると、日赤はその従業員数は世界一だそうだ。戦後になって増え続けてきたのだ、と。
 同書から引用する。

      *          *          *
 社員増加にともない事業規模も拡大。日赤ホームページによると、平成二十年度の決算報告では1兆円を超える規模であり、うち血液事業が一五〇〇億円、医療施設事業が八〇〇〇億円を占めている。

 一見すると善意のかたまりのような団体だが、内部の不透明性を指摘している本もある。松倉哲也の『現代の聖域 日本赤十字(奉仕者の善意を裏切る虚像と実像)』によると、日赤は非課税にもかかわらず診療報酬が開業医と同じであったり、献血された血液が製薬会社に売られていたり、治療用の血液も「在庫調整」のために捨てられていたりといった不祥事が告発されている。
  (引用終わり)
      *          *          *

 吉田祐二の新著『天皇財閥』は、日本の隠された支配構造をひもといて見事である。
 同書の表紙カバー見返しにはこういう宣伝文句がある。

 「明治維新以降、天皇家は三井や三菱をはるかにしのぐ大財閥として、日本経済を“支配”してきた。
  しかも、戦後、すべての財閥が解体されるなか、天皇家だけは財閥解体されず、形を変えて、今も日本経済を支配しているという。
  日銀の大株主・皇室による経済支配の痕を綿密に追い、現代日本の経済構造の真相に迫る。」

 私は3月18日「天皇メッセージの愚劣」で、アキヒトの読み上げた「お言葉」は、宮内庁の官僚が作文した当たり障りない文章を、抑揚もなく読み上げただけであり、あの顔は深刻そうな一方で、薄ら笑いをかみ殺しているようにも見えた、と書いた。
 つまりは、この国難にあたっても、天皇家=天皇財閥は災害をダシに一儲けできると踏んでいるのであろう。
 だから薄ら笑いのビデオ・レターになったと思う。隠すより現るるなし…。

 マリナーズのイチロー選手は、震災の義援金1億円を日赤に寄付したそうだ。日本ハムのダルビッシュ投手も5000万円を同じく日赤に。
 同じ寄付ならもうちょっと別のところにしたほうが良くはないか? イチローやダルビッシュだけではなく、みんな義援金というと日赤に放り込んでおけば被災者に届けてくれるんだろう、と信頼しているだろうが、いちど立ち止まってよく考えてはどうかと思う。なにせ、義援金の収支決算なんか誰も検証しない。どんぶり勘定もいいところで、それがいつどこへ、どのように届けられたかも定かではないのだから、不正の温床になっていたとしても不思議ではなかろう。
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3.天皇財閥とは
 吉田祐二氏の『天皇財閥 ~皇室による経済支配の構造~』を見れば、「貴方のためにも 天皇陛下は祈っておられます」などとの「助言」はアホらしきの限りだとわかってくる。ちゃんと歴史は勉強してほしいものだ。
 同書の冒頭部分を引用させていただきたい。なぜ天皇家が財閥なのか、を端的に説明している。

         *          *         *
 天皇を中心とする企業グループを、ひとつの「財閥」と見立てることができる。この財閥はあまりにも巨大なので、日本全体がこの財閥の興亡に左右されることになった。それが、本書で論じる「天皇財閥」である。

 近代日本の代表的な企業には、もちろん「財閥」と呼ばれた三井家一族の支配による三井財閥や、岩崎家一族の支配による三菱財閥、住友家による住友財閥など、大企業グループが存在した。しかし、日本最大の財閥である三菱財閥、三井財閥を、さらに数倍上まわる規模の財閥が存在した。それが「天皇を中心とする、天皇が支配する財閥」、略して「天皇財閥」である。

 天皇財閥とは、天皇家を財閥家族とし、宮内省を本社機構に持ち、その傘下には、日本銀行や横浜正金銀行、南満州鉄道株式会社(通称「満鉄」)、日本郵船といった、日本を代表とする「国策企業」群を有する大企業グループである。〈天皇家=宮内省〉を中核とする天皇財閥は、これら大企業たちを、株式を通じて支配した。

 ゆえに、戦前の天皇は、立憲君主であるとともに戦争時の大元帥であり、さらに財閥総帥であったことになる。
 このことは意外な事実であろう。

 「現人神」(あらひとがみ、あきつかみ)という天皇イデオロギーから解放された現代の日本人は、一転して、戦後は天皇を、平和を愛好する「象徴」としての立憲君主とみなしている。これが現在の一般的な天皇に対する理解である。

 しかし、事実はそのどちらとも異なる、天皇は、日本を代表する複数の国策企業の大株、ご主であり、なかんずく日本銀行の、過半数を超える株式を持つ大投資家であった。本書ではそのことを明らかにする。

 また、この天皇財閥という枠組みを用いることにより、昭和前期からの日本の行動がよく理解できるようになる。明治から昭和に至る日本の近代史は、要するに天皇財閥の興亡のことである。日本の対外侵略とは、天皇財閥の対外経営戦略であり、敗戦はその破局的な終わり方だったのである。

         *         *        *

 小林よしのりが、ゴー宣スペシャル「昭和天皇論」を描いて、そこまで言うかというほどの天皇賛美を繰り広げた。少し読んだが、あきれかえって捨ててしまった。
 ヒロヒトを、無私無欲の神みたいに捉えるのはまったく間違いではないか。

 吉田祐二氏は『天皇財閥』で、「天皇法人説」を提唱している。「天皇主権説」や「天皇機関説」ではなく、その本質は「会社法人」だというのである。それも、宮内省が財閥本社としても機能を有している(ただし株式は発行していない)。非課税特権にも守られている。

 吉田氏は、これを次のように説明する。三菱で例にとると、岩崎家を頂点としてその下に三菱本社があり、さらにその下に直系会社があり、そのまた下に孫会社がある。 
 天皇財閥は、天皇を頂点としてその下に「宮内省」があり、その傘下に国策会社がある、という構図である。日赤はこの宮内省傘下の国策会社のひとつであった。

 三菱や三井は財閥家族が持ち株会社の株を所有するが、天皇家は持ち株会社と同等の機能を有する宮内省を支配したのである。
 どういうことかと言えば、宮内省は「皇室のための御用ならなんでもした」のであり、それは皇室の財産・山林管理や投資、大企業の株の管理運用、配当金の扱いなどである。

 宮内省は戦後、宮内庁に変更されて、そのまま引き継がれている。財務省や外務省などと違って、その古色蒼然とした建物は実に皇居のなかにある。1~2度所用あって訪ねたことがあるが、坂下門で皇宮警察のチェックを受けないと入っていけない。「陛下のお側にいて…」という理屈なのだろうが、実態は天皇家の財産管理を担当しているから、厳重なセキュリティのために皇居内に置かれていると見たほうがいい。


4.町内会を利用する日赤
 みなさんは町内会組織が、日赤とか「赤い羽根募金」などの木っ端役人の天下り団体の肩代わりしてカネを半強制的に徴収しに来ることをご存じだろう。日赤やそうした団体は、自分たちの資金集めのために、住民を「町内会の当番」として使って各戸を回らせている。
 慈善行為を隠れ蓑にして、町内会の断りにくい雰囲気の中で「みかじめ料」を恐喝している、その元締めの一つが日赤である。

 町内会は、事実上入らざるを得ない状況になっている地域も多いだろう。 住民を脅迫的な構造の中で無理やり巻き込んで、本来なら強制してはならないことを強制している。
 今度のような災害があると、決まって回覧板が回って来て、カネを「任意」と言いつつ事実上強制的に収奪するのはおなじみの光景であろう。

 日赤は皇族を広告塔にするから、人のいい日本人は余計断りにくい。断固、信念にしたがって断ると、なにか「村八分」にされかねない雰囲気が町内会にはある。マンションの自治会なんかも同じような役割を担わされているだろう。
 行政の手が届かない(不十分な)街灯設置やゴミの処分などを名目に会費を取り立てる。本来ならすでに税金を納めてあるのだから、さらに町内会費をふんだくられるのはスジ違いであるが、街灯やゴミ問題で(さりげなく)詰め寄られると、それは生活に必需なので拒否できない仕組みになっている。

 しかも町内会の回覧板は役所が仕切っていて、町内会を通じて行政の新聞とか、ゴミの回収予定なんかを知らせてくる。だから役所と町内会と日赤などはグルである。

 日赤を筆頭に、慈善事業の輩は、町内会で波風をたてるのも、はばかられる、という心理をついてくる。回覧板に小箱が添えてあり、寄付金を入れた家はハンコを押させられる。寄付をしないとただちに町内会の全員に知れてしまう。
 日赤は「みかじめ料」を強奪するヤクザと同じ。
 だから社員の数が世界一に膨れ上がったのではないか。

 神社の祭りにも町内会が協賛金をとりにくる。しかし、断れば子どもがいる家ならば困るだろう。子どもが友達とお祭りに行くといえば、親はダメとは言いにくい。子どもを祭りに行かせないとなれば、よほどの変わり者とみなされる。たかが祭りじゃないか、たかが花火大会じゃないか、近所付き合いでしょ、わずか何千円で済むんだから…と、こういう理屈で、住民は首を締め付けられる。
 
 そこに巧みに日赤や慈善団体が入り込むのである。
 そのシステムを作ったのが宮内省もなのではないか?
 みなさんは、義援金を寄付するなら、天皇家ともゆかりの深い日赤なら安心と思うのであろうが、私は逆だ。
 詐欺師は、自らを絶対に詐欺師に見えないように装うものだ。紳士で、善人ぶり、慈善家のふりをし、親切で、金満家を気取る、だからみんな詐欺師に騙される。
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WIKIに頼るばかりでは真想は追求できないので、日赤に関する本を探したところ、次の本を見つけました。

『日本赤十字の素―あなたはご存じですか?(2003/07)赤十字共同研究プロジェクト』

 


同書には、赤十字社の誕生の歩み、ナイチン・ゲールが赤十字社創設に関わったこと、及び日赤の設立の経緯が詳細に書かれています。

このような人道支援を行い、国際的にその活動が認知されている赤十字社、さらには日赤に闇があるのでしょうか?


同書では、第1章が「町内会と日赤の奇妙な関係」と気になるタイトルで始まっています。

何故、町内会と関係があるのか。

同書の指摘を簡潔にまとめると、
・日本のごく一般的な家庭の表玄関にはNHK受信料支払いのシールを筆頭に、いろいろなマークが貼られている。
・その中の一つに日赤のマークもある。
・マークには「社員 日本赤十字社」と書かれている。
・活動資金として毎年一定の金額(500円以上らしい)を継続して日赤に出資した家庭には、このマークが貼られる。
となります。

日赤に出資した人は「社員」として日赤の資本金の出し手になります。
株式会社で言う株主と同じような立場・権利ですね。

似たような仕組みに、日本生命などの大手生保会社があります。
日本生命や住友生命は株式会社ではなく相互会社(大同生命、第一生命などは株式会社に転換し上場した)ですが、保険加入者が納める保険料の一部が出資金となっています。

したがって保険加入者は生保の「社員」に知らず知らずのうちになっています。
ほとんど保険加入者は、そのことに気づいていないと思います。

同様に日赤に寄付(出資)した人、いわゆる社員は、なんと2002年時点で1724万人いるそうです。
日本国民の約15%に当たります。

皆さんは出資していますか?
私はしていません。
こんなに多くの方が本当に出資しているのでしょうか?


これにはからくりがあるそうです。

同書によると、
町内会費の一部が知らず知らず日赤に出資され、町内会費を支払った人が知らないうちに日赤社員になっているケースが多いそうです。

その仕組みを簡潔にまとめると次のようになります。

・戦後復興時にGHQにより戦前にあった町内会は禁止された。
・そこで町内会の代わりに活用されたのが、戦前に出来た日赤の地方組織、日本赤十字奉仕団。
・その後、日本赤十字奉仕団をベースに町内会が各地方に復活していった。
・その名残りで町内会費の一部を日赤に納める慣習ができてしまった。

このように町内会費徴収システムを組み込んだことで、戦後、日赤は急激に肥大化したようです。
そして、今では利権を生む構造になっているのかも知れません。
資金がなければ活動はできないですからね。

・・・・・・・・・・・(転載ここまで)

 

世界的に、そしてイギリスだけを見ていても、わかりませんが、日本を見てみると、赤十字社がいかに悪質なことをしていたかお判りになったと思います。
そして、「天皇家」という世界最大の偽善者をトップとして活動してきたのが日本赤十字社です。
「赤十字社とは戦争ビジネスのエージェントである」ため、イメージアップ戦略のために、様々な歴史的偉人を使います。
ナイチンゲールもその一人なのでしょう。
 
イルミナティ、銀行家が作った赤十字社という偽善団体が「クリミア戦争で人道的に活躍した人」を戦争美化のために利用しただけなのです。
現在は、大っぴらに戦争はできませんが、国際紛争地域に赤十字社はかかわっています。
そして、現在の赤十字社は「募金ビジネス」という一大詐欺で、震災等、人の不幸につけこんで、暴利をむさぼっています。
地震は人工的におこすことができますので、彼らは、定期的に人工地震を起こして、募金詐欺をして庶民からお金を巻き上げて、蓄財しているのです。
ナイチンゲールが「慈善事業」に反対したのは彼女に良心があったからでしょうか?
しかし、晩年は、見事に赤十字社に政治利用されてしまっています。
そのことによって有名になりましたが、ナイチンゲールの考えは赤十字社によって捻じ曲げられてしまったのです。
このように見ると、使えるものは何でも広告塔にしてしまう、赤十字社とナイチンゲールとは無関係であるということが分かります。
しかし、晩年は、視力を失ったナイチンゲールは判断力も乏しく、政治利用されてしまっています。
 
統計学という詐欺を広めた広告塔としてもナイチンゲールは有名です。
そして、赤十字社という詐欺組織は、ナイチンゲールを偉大に広告することで、より募金詐欺が可能になります。
単なる、ドイツで医療をまなんだ貴族がナイチンゲールの実態であるのに、歴史的偉人に祀り上げられる理由は
「伝説的な英雄としての広告塔」
として使いたいからだけなのです。
 
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