ぼくと、むじなと、ラフカディオ。

かつて小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)が、自らの感覚で古き日本を歩きまわって独自の感性で見聞を広めたように、遠く故郷を離れてあてどなき夢想の旅を続けるぼくが、むじなと、そしてラフカディオと一緒に、見たり聞いたり匂ったり触ったりした、ぼくと、むじなと、ラフカディオの見聞録です。

follow us in feedly

WとH、それがきみの名前だったR日記。

眠っている間にみる夢とは、いったいなんなのだろう。

 

今朝方みた夢、夢のことは忘れがちだが唯一覚えていることがある。その夢を見ている最中、何故かこれだけは覚えておかなければと思い、必死で握りしめていたことがある。夢の中なので、その理由はよくわからない。

 

ひとりの女性と出会った。シチュエーションは忘れてしまったが、彼女は夢の中でポルノ女優だった。よくわからないが、夢の中でぼくは彼女がポルノ女優だということを認識していた。彼女が自ら語ったわけではない。つまりありふれた日常で、彼女と言葉を交わしたのだと思う。けれど、彼女の顔を見て、それに気がついたのだの思う 。それもぼくのお気に入りの女優だった。夢の中でそういう強い記憶があった。

 

現実の世界で、(いや現実が何かという定義はここでは避けるけれど)ぼくはその手の、ポルノを頻繁に好んで観ているわけではない。俗に言う、アダルトなビデオ作品。もちろん観たことはあるが、もうここ数十年、そういう類の映像作品にはあまり興味がなくなり、観る機会もなくなった。そしてかつてでさえ、何かの埋め合わせで観ていたことがほとんどで、女優の名前を覚えるほど、アホみたいに無尽蔵に観ていたことはない。

 

夢の中で、彼女は明確な名を名乗った。女優としての名前だった。本名ではないようだった。そして、目覚めてからもその名前を覚えていた。

 

目覚めてからおかしな感覚があり、明らかにぼくはその女優と完全に個人的な関係があったような記憶に苛まれた。ポルノ女優としての彼女ではなく、個人的な親密な関係があった記憶のオリのようなものが、頭を駆け巡った。

 

目を覚ましてベッドから起きてすぐに、握りしめていた彼女の名前をネットで検索してみた。漢字も読み仮名も頭の中に残っていたから、必死で検索をかけた。もちろん、その容姿も、その時にはありありとしたヴィジョンを保っていた。

 

結局、夢の中で出会ったその人を見つけることはできなかった。

 

しばらくして、いったい何を調べているんだろうと、わけが分からなかった。

 

それから時間が経つにつれて、彼女の記憶は薄れてゆく。どんどん、どんどん、出会ったことさえもよくわからなくなる。

 

いまでは、名字しか覚えていないし、容姿も曖昧になっている。

 

ただ、あの目覚めの瞬間の、奇妙な焦りは覚えている。彼女の名前を忘れないうちに、しっかりと記憶にとどめておかなければという・・・、あの激しい痛みのような感覚は、覚えている。

 

夢とは、いったい、何を運んでくるものなのだろう。