作曲者エリッキ=スヴェン・トゥールと、指揮のオラリー・エルツは共にエストニア生まれ。1959年生まれのトゥールと1971年生まれのエルツはちょうど一回り違う。日本初演の「幻影」は、つい2週間前フィンランドのコトカで世界初演されたばかり。この作品の作曲をもちかけたのはエルツであり、当然世界初演でも指揮をしたはずだ。
読響とキュミ・シンフォニエッタ、エストニア国立響から共同委嘱を受けたエルツは「何かベートーヴェンとつながる作品を」と、トゥールに依頼した。トゥールの父親は第二次大戦中偶然ラジオで聞いたベートーヴェン「《コリオラン》序曲」に雷に打たれたようなショックを受け、ベートーヴェンをはじめ相当数のクラシック・レコードコレクションを集めるに至り、そのクラシックに囲まれた環境が、トゥールを作曲家にした契機となった。そこで、トゥールはベートーヴェンへのオマージュとして、《コリオラン》序曲をテーマにこの13分ほどの「幻影」(原題:Phantasma)を作曲した。
強烈な和音の後に続く、金管のブレストーン・息音 (breath tone, breath noise、マウスピースを外し楽器に息を吹き込んで出す音)や、ヴァイオリンのロング・トーン、ヴィブラフォンの強い4つの音が続く冒頭は、旋律は違うものの《コリオラン》序曲と関連付けられなくもない。これが何度も繰り返され密度が濃くなっていく。それは《コリオラン》序曲を裏焼きしたネガフィルムのような印象があった。
読響の演奏は集中度が感じられた。指揮のエルツが客席にいたトゥールをステージに呼ぶと拍手は一段と大きくなった。
一昨日紀尾井ホールでリサイタルを聴いたヴィルデ・フラングのストラヴィンスキー「ヴァイオリン協奏曲」は、軽快で羽が生えたように柔らかい音。完璧なテクニックと音程の良さ、スムーズなボウイング、濁らない重音は洗練の極み。エルツ&読響ともタイミングがぴったり合う。抒情的な第2、3楽章も表情豊かだ。
アンコールのハイドン「神よ、皇帝フランツを守り給え」(クライスラー編)の重音の美しさ、旋律とそれを支える対位旋律のなめらかなつながりなど、唖然とするばかり。このヴァイオリニストは今後も注目していきたい。
指揮者オラリー・エルツが生まれたエストニアのタリンは地理的にはフィンランド湾面し、ヘルシンキとは海路85kmしか離れていないが、シベリウス「交響曲第5番」は北欧のクールな音というより、温かく色彩感があった。
このことは、シベリウスの前に演奏された武満徹の「星・島(スター・アイル)にも当てはまり、日本的というよりもヨーロッパの音楽のように感じられた。
第3楽章の終わりはクライマックスに向かって一直線に盛り上がっていくのではなく、あちこち細かく詰めながら、いつの間にか終結部に来ていたという印象だった。しかし、最後の6つの和音は強烈で、トゥールやストラヴィンスキーで聞かせたエルツの直截的な(明確にはっきりと言う)音楽を感じさせた。