ミケランジェロのしゃがみ込んでる少年とサイ像 | イタリア ローマの新聞屋さん

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イタリア在住22年。以前エディーコラ(新聞や雑誌を売るお店)を経営していましたので、このタイトルです。
お店は売ってしまいましたが、続けて興味のあるイタリアの芸能、旅行記、食などについて書きます。最近は主にユーチューブで旅行・生活vlogを公開しています。

 
ローマに
ミケランジェロの作品
が来ていることを知ったので
行ってみた。ラブラブ
 
本当に無料で観れるのかなって。。。
 
ありました!ちゅー
 
ロシアの古都サンクトペテルブルクの
エルミタージュ美術館所蔵
ミケランジェロ
『うずくまる少年』

MICHELANGELO BUONARROTI

L'ADOLESCENTE

 

 

お尻が好きなので

後ろから。

 

ぐるりと一周、

前からも写真撮りましたけど

あえて、載せません。

 

前からの写真は

検索したらいくらでも

観れると思うし、

でも、実際に行って

みる楽しみに。キラキラ

 

教会に置かれるはずだった

みたいなんですけど、

ミケランジェロ、

どうしてうずくまる少年を

造ろうとしたの?

 

どうしたんでしょうかね、

足の小指ぶつけたの??

 

1530年頃の作品で、

未完成らしいのです。。。

 

ミケランジェロ、55歳くらいだよね。

 

メディチ家が所有していたらしいけど。

 

?

 

知りたい。。。

 

ローマ略奪に後押しされたフィレンツェ市民は、1527年に再びメディチ家を追放してフィレンツェ共和国の再興を図ったが、政情はなお混沌としており、ミケランジェロも愛するフィレンツェのために要塞建築監督の任にあたった。しかし、1530年に神聖ローマ皇帝カール5世がフィレンツェを陥落させ、このときにメディチ家もフィレンツェへと帰還して往年の権力を取り戻し、公爵位を獲得した。メディチ公爵家のフィレンツェ施政は苛烈なもので、メディチ家礼拝堂の制作途中だったミケランジェロも、礼拝堂を完成するに足る弟子を残して、自身は1530年代半ばにフィレンツェを離れている。

Wiki見た。

 

この混乱で

完成できなかったのね

きっと。

 

作品は、

あと、

デザイン画が数枚

フィレンツェの

ブオナローティ邸から。

 

 

きっと、

ファブリアーノの紙

ですよ。上差し

 

展示されている建物に

ミケランジェロの作品が

映像で映されてました。

 

 

この展示、

2019年3月10日までです!

毎日 10:00から19:00

場所 Fondazione Alda Fendi - Esperimenti

via dei Cerchi 21

真実の口のある教会、

チルコ・マッシモの側です!

 

この会場、

最近修復されて、

サイ rhinocerosって

呼ばれる建物みたいです。

 

外観はボロボロ。
 

 
でも中は近代的に
修復されてます。
 
 

ローマ市の所有の建物を、

フェンディ家が手に入れたようですね。

 

フェンディの文化への貢献

素晴らしい!



外に出たら、

サイがいたよ。爆  笑

 

 
ローマに強風が吹いた時に
サイが倒れたって
ニュースを見たんだけど、
なんでサイがいるの?
って思ったんだけど、
そうゆうことねー。
 
遠くから見ると
本当に生きてるみたい。
 
 
サイはヨーロッパには
いなかったのよ。
中世以降までは、
謎の動物で
角があるからユニコーンのように
ミステリアスだったって、、、
 
像のアンノーネちゃんの
記事でかいたよ。ゾウ
 

これ。

 
夜にこのヤヌス門に来ると、
Vittorio e Francesca Storaroさんの
イルミネーションのアート
も観れますよ。キラキラ
l’illuminazione dell’Arco di Giano e 
Jean Nouvel per il restauro del palazzo
 

 

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