パリのルーヴル美術館のエントランスとして使用されている、ガラスのピラミッドを手掛けた建築家イオ・ミン・ペイ氏が、102歳で逝去。

 

 

1917年に中国は広州市で生まれたミン・ペイ氏は、1935年に建築を学ぶために渡米し、1954年にアメリカ国籍を取得。

 

ヨーロッパで一番有名な作品は、1989年に公開されたガラスのピラミッドだけれど、アメリカや中国では数多くの作品を手掛け、1983年には建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞。

 

卒業後は、ハーバード大学の助教授を経て、ウェッブ&ナップ社の建築部門長として働いたのち、1955年に独自の建築設計事務所「I.M.ペイ&パートナーズ」を設立。

 

フランスではあまり名前が知られていなかったものの、1983年に当時のミッテラン仏大統領から「ルーブルを再考してくれ」と依頼。

 

創作したピラミッドに意見は分かれ、「文化の冒涜」、「有名な観光地を醜くするもの」といった批判が噴出。「アメリカから来た中国人建築家が、フランスに超現代的なエジプト式の建築物を持ち込んで、どうしようというのか?」という声も。

 

これに対し、ミン・ペイ氏は、「デザインはフランスの造園家ル・ノートルの影響を受けたものであるからして、典型的なフランス建築である」と主張。

 

今日、ミン・ペイ氏のモダンな幾何学デザインは称賛され、今年、美術館はピラミッド創設30周年記念を迎えたところ。

 

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今やパリの象徴的な存在ですが、いまだに衝撃を与えた建築物として、語り継がれる代物です。。。

 

 

 

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