何年か前に書いた内容だが今一度考察してみたい。

 

 日本での保守系の意見をみていてよく散見されるのが、

 

 「中国、韓国は反日教育を実施している反日国家だが、それ以外の国はみな親日である。例えば、インドや東南アジア諸国などは先の大戦の経験や戦後の日本の様々な援助を通して非常な親日国家ばかりである」

 

 という客観的な観察である。しかしながら、筆者はこの客観的な観察に対して、実際に外国で様々な国籍の人々と接した経験からも異議を挟まざるをえない。

 

 まずインドであるが、先の大戦の経験を通して親日的な人は若い人にはほとんどいない。一部のその時代を経験した人々の中にはもちろん、上記の保守系一般が認識しているような事実に合致する人もいるが、そういう人たちは全体の何割かといえば、これは統計をとってみなければわからないが、おそらくかなりの少数派になるのではないかというのが筆者の経験による客観的な分析である。大体の若い人にとって、日本は別に特別な存在でもなんでもなく、たんなる外国である。

 「あの憎いイギリスと戦って私たちの解放に尽力してくれた日本人ね!」などという若い人たちは、おそらくマニアックに歴史を勉強しているインド人以外は皆無であろう。

 

 では東南アジアではどうか。これはもうインドと全く同じである。ひどい時は、「日本は侵略したが、もう許したよ」などとわけのわからないこと、つまりは中国や韓国の洗脳教育世代がいうようなこととまったく同じことをいったりする人が多い。歴史などほとんど知らず、表面的な中韓、あるいは欧米によるプロパガンダ通りの認識しかもっていないか、なにももっていない(むしろこちらが多数派だが)場合が多い。

 

 欧米に関しては、歴史に関してはもうはっきりと中韓の側に立っている。現時点では自由主義、民主主義という価値観を共有する仲間としてみられていても、歴史に関してははっきりと「反日国家」ばかりである。それも当たり前といえば当たり前、でアメリカ、カナダ、イギリス、フランス、イタリア(最後は戦勝国)などははっきりと日本の敵国だったわけであるから当然である。憎き敵国を美化する国などありえない。ドイツはといえば、自分たちよりも酷い国があったというために戦勝国よりも悪質に日本を非難するケースが結構多かったりする。

 

 では、保守系の人々がこよなく愛する台湾はどうかというと、もちろん、日本語世代と呼ばれる人々には非常な親日家が多いのは客観的事実である。しかし、若い世代や戦後の世代に関しては、この日本語世代と同じ価値観を持つ人は皆無である。もちろん、中韓やその他の国々にくらべてみれば、はるかに日本に親しみを持っている人が多いのは事実である。しかしながらだからといって、日本に歴史を通して特別な感情を持つ若い人は、これもまたマニアックに歴史を勉強している一部の人を除いては皆無である。基本的には日本の政治に関心を持たない人々と同じように、無関心であるというのが客観的な状況である。

 

 中東、アラブ、アフリカ、中南米、東ヨーロッパなどのその他地域の国々はどうかというと、もうはっきりいって以下の言葉に集約される。

 

 「どうでもいいし、無関心。というか、誰が金をくれるのかだけが関心の対象、日本が金をくれるなら、日本大好きよ」

 

 もちろん、日本のアニメ好きなど、サブカルチャーのファンはいる。しかしこの人たちは基本的に日本の文化や歴史、伝統に対する敬意など全く持ち合わせていない。むしろ歴史などに関しては反日的な意見を持つ人の方が一般的である。これは、「自称親日実は反日外国人」の記事でも細かく書いたので興味のある方はご参照願いたい。

 

 正直な話、世界の様々な国の人々と外国で接した経験をもつ筆者としては、中韓以外は親日だという見方には、客観的な観察がかけているという結論を出さざるを得ない。筆者の見方は、

 

 「中韓以外は極端な反日ではないが、基本的には歴史などに関してはゆるやかな反日で、かつ日本そのものに関心がそもそもない」

 

 というものになる。これは主観的な意見ではなくて、あくまでも客観的な観察であることに今一度留意していただきたい。

 

 例外のない法則はないように、本当に歴史などに関しても公平で客観的な視点をもち、日本に親日的な人は世界のいたるところに少数ながら間違いなく存在する。事実、筆者もそうした人たちと出会ったこともある。しかしこれらの人は、本当にごくごく少数なのである。基本的には、日本に対して無知、無関心である人々が大半なのである。

 

 たしかに、中国や韓国の常軌を逸脱した反日ぶりには極度の疲れを感じるであろうが、だからといってその他の国々に対して過剰な期待や幻想を抱くことは、状況の客観的な認識を阻害し、判断(主観的な行為のための)を誤ることにつながる。

 

 まずは、なにをおいても、とにもかくにも、状況の客観的な観察と分析こそが大切であるという筆者のいつもの主観的意見をもって締めくくりたい。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。