「ユナ・ボマー」と言う名で知られる爆弾魔をご存知だろうか。
本名を「セオドア・カジンスキー」といい、アメリカ合衆国内でのテロリストとして現在でも悪名高い。
詳細は知らずとも、「ユナ・ボマー」の名をどこかで聞いたような方も多いかもしれない。

1978~1995年にかけて、アメリカ国内各地で大学・航空会社(業界)・金融業界関係者に爆弾をが送り付けられるという事件が連続して起きた。29人以上が重軽傷を負い、3人が死亡する。
その社会的影響は大きく、現在でもよく海外ドラマや映画等でも不審な郵送物が発見されて大騒ぎ、といったシーンに思い当たる方もいると思う。

もともとは「Unabomber、University and Airline Bomber(意訳:広域大学と航空会社の爆弾魔)」と呼ばれていたが、U・N・A・Bomberと略され、「ユナ・ボマー」という造語になったらしい。
実際にFBIが長期に渡って関わっていた事件であるが、ニューヨークタイムズやワシントンポストといった新聞社にも犯行声明を送りつけており、思想派テロリストであると思われていた。

しかし、実際の犯人はIQ167の天才数学者であり、16歳でハーバード大学に進学するほどの頭脳の持ち主であったことがさらなる衝撃を与える事となる。


ドラマ「MANHUNT:UNABOMBER」より

【一連の事件の概要】
・1978年 5月
ノースウェスタン大学材料工学科の教授宛に郵便物が届く。
中身は小型爆弾であり、警察官が負傷

・1979年 5月
ノースウェスタン大学に再び爆弾が送り付けられ、学生が負傷する。

同年 11月
シカゴ~ワシントンを結ぶアメリカン航空444便に爆弾が仕掛けられる。(爆破テロ)
幸い未遂ではあったが、乗客12人が煙を吸い込んで病院へ搬送された。
(連邦犯罪として、FBIが捜査を開始)

⁂蛇足ながら。
ドラマ等でお馴染みのFBIだが、アメリカでは各州ごとに刑法や管轄が変わるなど非常にややこしい。もともとは合衆国司法に基づき、国家の安全保障(テロ)=公安関係、複数の州に及ぶ広域犯罪なども担当するが、子供の誘拐事件が発生すれば24時間以上経過した時点で自動的にFBI管轄になる。


・1980年 6月
ユナイテッド航空の社長自宅に爆弾が届く。
書類に偽装されていたため、普通に郵便物と思い開封して負傷

・1981年 10月
ユタ大学のに弾が送り付けられるが、警察により解体され、未遂。

・1982年 5月
ヴァンダービルト大学に爆弾が届く。事務員の女性が負傷

同年 7月
カリフォルニア大学バークレー校に爆弾が届く。電子工学科の教授が負傷

・1985年 5月学
再びバークレー校に爆弾を送る。やはり電子工学科の学生が負傷。右手の指4本を失う。


同年 6月
ボーイング社(航空会社)製造部門会社(工場)に爆弾が届く。爆弾処理班が出動し、未遂。


同年 11月
ミシガン大学の 心理学教授宛に爆弾が届く。2人が負傷


同年 12月
カリフォルニアにあるパソコン店で爆弾が爆発。経営者は死亡。 

・1987年 2月
ソルチレークシティのコンピューター店で不審がられ、経営者を負傷させて逃走
初めての目撃者となり、似顔絵が全米に出回った。

「ユナボマー」の画像検索結果
似顔絵のイラスト

・1988~1922年
犯行なし。この間にさらなる爆弾製造技術を磨いていた事が後に判明。


・1993年 6月
22日 カリフォルニア大学の遺伝学者に爆弾を送りつけ、負傷させる。被害者は重傷
24日 イェール大学のコンピューターサイエンス学科の教授に爆弾を送り、彼もまた重傷を負う

・1994年 12月
バーソン・マーステラ社(ニューヨーク大手のPR会社)の重役に爆弾を送りつけ、爆殺

・1995年 4月 
木材業界におけるロビイスト団体(特定の主張を強行する圧力団体)の代表に爆弾を送り、爆殺

比較的几帳面だった犯行間隔が狭まってきていることや、過激化し始めていることに社会は危機感を抱く。


同年、犯人は新聞社に犯行声明「Industrial Society and Its Future(産業革命とその未来)」を郵送。
後に「ユナボマー・マニフェスト」と称されたその内容は、著名な思想家の言葉を引用し、文明による人間性の崩壊や、生態系の破壊、自然回帰を主張するものであり、全国紙に論文を掲載することで犯行を中止すると宣言した。

この「ユナボマー・マニフェスト」は大手新聞社2社に載り、大きな反響を呼んだ。が、皮肉にもその内容・思想・論調が実兄に告示していると、実弟がFBIに通報する。

しかし、この時点で容疑者は2000人を超えており、カジンスキーはその容疑者の1人に過ぎず、また彼はモンタナの山奥で自給自足の世捨て人同様の暮らしをしており、その容疑は非常に薄いと考えられていた。
だが、ハーバード卒業時の論文の論調と「マニフェスト」が非常に酷似しており、急遽最重要人物となる。

・1996年
1年をかけた捜査の末、100人の捜査員及び米軍兵士がカジンスキーを包囲。
ようやく爆弾魔は逮捕された。

「セオドア・カジ...」の画像検索結果


【動機】
・実は、この事件においてもはっきりとした動機は不明のままである。
カジンスキーは幼少の頃から優秀で、そのためにいじめの対象になった事もあったが、地元では有名な天才少年だった。
15歳で飛び級で高校の上級数学を受講、16歳でハーバードに入学し20歳で卒業。
シカゴ大学、カリフォルニア大学バークレー校、ミシガン大学の大学院にも合格し、結果としてミシガン大学で助教授を務めている。
1967年、25歳でカリフォルニア大学バークレー校の助教授になり、位相幾何学や関数空間を学生に教える立場だった。
「ユナボマー」の画像検索結果
当時のカジンスキー

非常に優秀で将来も期待されていた人物であったが、学生受けはあまり芳しくなかったらしい。
最終的には1969年に大学を辞職、1971年にモンタナ州に山小屋を製作し、電気と水道のない自給自足の日々を始めることになる。

カジンスキーは、何を求めていたのだろうか?
彼は弁護団を自ら解任し自己弁護に拘るあまり、事件の裁判が全く進まなかった。業を煮やした検察官側は、8回分の終身刑を提案、司法取引を持ちかける。が、カジンスキーはそのまま同意し、刑を受け入れてしまった。
そのため、公判は一度も開かれず、真相は全くわからない。
現在カジンスキーは服役中であるが、犯行動機も、爆弾を送ったターゲットの理由も黙秘を続けている


また、犯行声明(動機)と思われた「ユナボマー・マニフェスト」であるが、実際にそのような思想を支持していたかははなはだ疑わしい。
乏しい彼自身の証言からも「(一連の犯行は)個人的な復讐」と語っており、思想を実現するための社会運動や活動、アーミッシュ(人間の自然回帰を目指す生活を集団で行う人々)との交流もなく、ただただ1人で隠遁生活を送っていたにすぎず、何故そのような生活に入ったのかもわからない。

「セオドア・カジ...」の画像検索結果
収監後のカジンスキー

ただここに、詳細は不明ながら1つの説がある。
カジンスキーは、ハーバード大学学生時代(思春期時代)、心理学者ヘンリー・マリー教授の行動心理実験の被験者に協力していたという。この時に受けた心理的拷問体験や、隔離入院などの非人間的実験が、後の犯行心理の元になった可能性だ。。
ヘンリー・教授はCIAの前身機関でスパイ養成を行っていた人物だという。

都市伝説か、陰謀論か。どちらにしろカジンスキーが真相を語る事はないだろう。